ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

彼岸を過ぎたら爛漫の春

2013-03-26 08:31:13 | 家庭菜園・庭・花 
今年の冬は例年にない厳しい寒さが続き、雨のない乾燥した日が続いていた。
2月初旬の立春を迎えたころの田畑は、乾いて寂しさを感じさせる風情だった。
雨水から啓蟄に向かう頃は気温も徐々に上がってきて、若草も芽を吹きはじめ
葉を落として殺風景だった木々も、若芽や蕾を膨らませてイキイキしてきた。
そんな天候が3月中旬まで続き、梅の花は遅れていたがその後は突然的に暖
かい日が加わり、時期としては異常とも云える夏日を記録した日さえもあった。
お彼岸を前にして天候が大きく変わり、人々の姿や野山が様変わりをしてくる。

そんな陽気で迎えた春分の日の、ひげ爺の家では形ばかりのお彼岸会を行い、
兄弟夫婦と子供が集まってお墓参りをして、その後は近くにある川魚料理店で
「ウナギ定食」の昼食をとりながら、団欒のひと時を過ごした。
その日の気温は、熊谷で20度を超えるなど上着もいらないくらいの気温だった。
全国各地から桜の開花情報も伝えられ、我が家でも水仙や椿や梅の花に続き
土佐ミズキにコブシにアセビにボケの花等が咲き、高校野球も話題なってきた。
人々は身体も心も春めいて、声は明るく活発になりファッションも華やかになる。

今年は桜の開花が全国的に早まって、観測上の記録となったところも多くある。
東京の桜の名所上野公園の開花が16日で、埼玉の大宮公園は19日だった。
すでに花が散り始めた所もあり、さくらまつりの実行者達は慌てている事だろう。
お花見ツアーを企画している旅行業者は、催行時期の予測が狂ってしまった。
私の花見会もこれから2回もある、とてもお花見気分は期待できそうにもない。
「桜が満開になったら、家の庭では 2種類のボケも満開だ」と、ひげ爺の独り言。
花のボケなら良いのだが、パソコン前の親父が ボケの春爛漫では困っちゃうぞ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

渡良瀬遊水地のヨシ焼き

2013-03-19 07:33:22 | 食楽・年金ライフ 
国指定鳥獣保護区渡良瀬遊水地は、昨年7月ラムサール条約に登録された。
足尾銅山からの鉱毒に苦しんだ所で「日本における公害の原点」と云われる。
大規模洪水に見舞われてきた土地で、洪水調整を目的に遊水地化された所。
その広大なヨシ原では、例年3月にヨシ焼きと呼ぶ焼却作業を行ってきた。
しかしこの2年間は、東北大震災と福島の原発事故が原因で行われなかった。
天候にも恵まれた3月17日、3年ぶりに遊水地での「ヨシ焼き」が行われた。
朝の8時半に、遊水地の数か所に火がつけられ約3時間にわたり燃え続けた。

乾燥が続いていたヨシ原は、弱い東風にふかれて勢いよく炎を上げて燃えた。
その煙は空を曇らすほどで、遊水地内のヨシ原の8割ほどを焼き尽くした。
ヨシ焼きの目的は、枯れ枝や枯れ葉を焼却して地面に陽当たりを良くし、害虫
を駆除して良質なヨシの生育を助け、雑木や蔓草など湿地になじまない植物を
除去し、自然環境を保全し結果的に貴重な動植物の生息を助けることと云う。
素人考えでは、ヨシ焼きによって昆虫や小動物が焼死し野鳥も逃げ出すなど自
然の生態系を壊すのではないか・・・と。しかしそんな心配は無用のことらしい。

ヨシ焼きをしないと、太い良質なヨシが育ちにくく 枯れ枝や枯れ葉に覆われると
貴重植物に悪影響があり、つる草が繁茂してヨシ原が減退してしまうと云う。
また、ネズミ等の小動物が減少して それを食にする猛禽類が減ってゆくと云う。
遊水地の自然を守るためには、人間による保全活動が必要ということになる。
幸いラムサール条約の精神にも、地域による「賢明な利用」が提唱されている。
「ヨシ焼きできて、4月のクリーン作戦でゴミが拾いやすい」と、ひげ爺の独り言。
春植物の発芽が促進されるように、賢明な「利用の芽が出る」ことも望んでいる。
コメント (3)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

田中正造翁の足蹟に学ぶ

2013-03-12 13:23:45 | 地域活動・つながり
冬の寒い日が続いていたが、3日前から突然的に春の暖かさがやってきた。
そんな9日土曜日、地域で活動する会員と田中正造の遺跡を訪ねて回った。
車3台に分乗し9時に出発、遊水地から渡良瀬川に沿って田中霊祠を視察。
廃村に抵抗する住民とともに居残った正造翁の霊祠を、その後移したところ。
続いて佐野市郷土博物館、入り口では正造の銅像があって出迎えてくれた。
田中正造に関する資料や遺品も展示され、翁の苦労と功績が分かりやすい。
次に厄除け観音として有名な惣宗寺へ、葬儀をした寺で立派なお墓がある。

続いて田中正造の旧宅を見学、病気の父のために建てた隠居所や翁が生ま
れた母屋などを、ボランティアの説明を聞きながら有意義な見学ができた。
正造翁の人柄に感服すると、お腹がすいてきたので「佐野ラーメン」の昼食。
次に足利市の壽徳寺へ、ここは近年になって公表改修された分骨墓がある。
館林市に移動し、正造終焉の地であり「押し出し」で農民が集合した雲龍寺。
そこは、谷中村残留民家屋が強制破壊されたのち、翁が渡良瀬川周辺地域
の河川調査で訪ね歩くなかで倒れた『庭田家』に隣接し分骨地になっている。

次に、被災農民の「押し出し」が警官隊と衝突した川俣事件発生地を訪れた。
最後に、地元の分骨地である北川辺霊場のお墓を参拝し研修会は終了した。
翁の遺骨が6箇所に分骨されている事で、その偉大さが分かるというもの。
「真の文明は 山をあらさず川を荒らさず、村を破らず人を殺さざるべし」と。
また翁言う「デンキ開けて、世間暗夜となれり」と、伝言は現在にも通用する。
「話は替わるが、各寺内で梅の花が満開になっていた」と、ひげ爺の独り言。
参加者中の女性3名も花だったが、それを「姥さくら」とは決して言いません。

 *パソコンを新機(Windows8)に変えたら、不慣れでもあり面倒になった。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

曽我で観梅・河津で観桜

2013-03-05 09:24:19 | 旅行・秘湯・巡礼 
この冬は例年にない厳しい寒さが続き、春を告げる花の開花も大分遅れている。
秩父のローバイもそうだったが、小田原曽我の梅も伊豆河津の桜も遅れていた。
2月下旬予定の観梅と観桜の旅は、開花情報に合わせて3月1日出発になった。
好天に恵まれた朝8時に出発し、東北道から首都高を通って東名道に進んだ。
途中渋滞も少なく、小田原の曽我に10時20分に着き駐車場にも余裕で入った。
開花状態はちょうど良く、梅林には種類によって満開もあれば5部咲きもあった。
梅林をそぞろ歩きし、臼で打ったお餅を食べたら「梅花は満開・お腹は満腹」だ。

薄日も射すなかのお花見を楽しみ、11時ちょうどに車に戻って次の目的地へ。
昼の予定は、真鶴港で「新鮮な伊勢海老のフルコース」と思っていたのだが・・・、
11時半ではお腹も満腹で、食欲も出ないうえに高価な伊勢海老では勿体ない。
交通渋滞もなく時間も早いので、明日に予定の河津桜を繰り上げようと考えた。
真鶴を通過し、熱海の後楽園ホテルで一休みして時間を読んで河津に向かう。
午後2時半に河津駅近くの駐車場に到着、歩行者天国を河津川へ道を進んだ。
その道は、上に濃いピンクの河津桜が咲き幹元は黄色の菜の花が満開だった。

満開の桜花でトンネルとなっている川沿いの並木道を、歩いて花見を楽しんだ。
気温は15度にあがり、人出も多くお店もたくさんあって花見気分が満喫できた。
そんな散策を45分間、駐車場に戻って今日のお宿である伊豆高原に向かった。
車の中で聞く気象情報では、今晩から雨と風が強くなり明日は寒くなるという。
土曜日の明日は花見も道路も渋滞するだろうから、今日に繰り上げて正解だ。
「河津での私は、お土産も買わずの客で カワズノサクラだ」と、ひげ爺の独り言。
温泉付きホテルに泊まり、翌日は干物のお土産を買って箱根経由で帰ってきた。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする