ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

信州高山村の五大桜鑑賞

2014-04-29 09:15:43 | 旅行・秘湯・巡礼 
4月の下旬も暖かい好天の日が続き、各地から 種々の花だよりが届いてくる。
そんな24日、ひげ爺夫婦は思い立って長野の高山村五大桜鑑賞に出かけた。
そこは善光寺平の東部に位置し、志賀の山々に連なる村内には「しだれ桜」の
古木が20本ほど点在し、近ごろは「しだれ桜の里」 と呼ばれ注目されている。
数年前に訪れたときには桜の花がイマイチだったので、もう一度訪れたかった。

朝7時半に家を出発、東北道から北関東道を経由し上信越道で信濃路に入る。
残雪の峰々を望みながら 須坂インターを降り、高山村には11時過ぎの到着。
最初に訪れたのは水中のしだれ桜、七分咲きながらその雄姿を見せてくれた。
水中と云うが付近に川も沼もなく「水中花」もない、地名が「みずなか」なのだ。
案内板にしたがって 赤和のしだれ桜へ、そこはちょっと早く 三分咲きだった。
おにぎりを食べて 黒部のエドヒガン桜、種類も違うので これはまだ二分咲き。
二つ石の桜を見て対岸の坪井のしだれ桜へ、ほぼ満開の姿は正に西の小結。
運動広場の桜並木を見て中塩のしだれ桜、ちょうど満開期で見事な花を堪能。

高山村の五大桜は、種類や場所により それぞれの開花や満開が若干づれる。
桜の全部を満開で見ることはできないが、どこかで必ず満開の花が見られる。
山道を奥に進めば山田や七味の秘湯があり、さらに上れば志賀高原に通じる。
手前に戻る道をとれば小布施の街があり、観光客受入れに熱心な自治体だ。
資料や道路案内板が整備され、一方通行の処置と親切なボランティアが良い。
『お目当ての桜のそばまで車で行けて、全て無料がいい』と、ひげ爺の独り言。
我が家に桜の木は1本もないが、ウバサクラとも云えないのが 一人だけいる。
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家庭菜園は多彩な縞模様

2014-04-22 09:51:18 | 家庭菜園・庭・花 
お彼岸を過ぎたら 春が一気にやってきた感じで、桜もすでに葉桜になっている。
節気は若木枝葉繁る「小満」で、庭では花水木が満開となり藤が五分咲き状態。
冬の渡り鳥たちは北に帰り、代わってヒバリ ツバメが忙しく空を飛び回っている。
周辺では田植えが最盛期を迎え、作業が進むにつれて 田圃が姿を変えている。
ひげ爺の菜園も多彩で、収穫中や育成中もあれば 耕作して準備中の所もある。
種の発芽を待つ物もあれば育苗中もあり、幼苗を移植して栽培中の野菜もある。

ほうれん草かき菜 春菊が収穫の終わりに近く、時差を付けて育てている小松菜
が間もなく収穫期を迎え、連休明けには 早生タマネギとイチゴの収穫が加わる。
ジャガイモも順調で、黒マルチを掛けた早採り分は 葉茎を30センチ程伸ばした。 
種から育てたキャベツ ブロッコリー レタス カリフラワーの苗は、畑に移植をした。
雨天を期待した一昨日には、カボチャ2種と時差播きのレタスに小松菜を播いた。
自家制インゲン苗は、2種類ともポットで順調に育ち畑への移植待ち状態にある。
市販のトマトとキュウリの接木苗は、ハウス内移植床に明日にでも定植したい。
接木ナスと小玉スイカは、連休前に購入して定植できるよう 植え床を準備した。

連休中にオクラの種を播けば、予定している夏野菜類は 一通り揃うことになる。
栽培する野菜を数えたら、4月末時点で なんと23種類29品種にもなっていた。
欲張り菜園は野菜だらけで、縞模様に短冊模様が入りまじる様相になっている。
そこでは、野菜ごとの数量や栽培時期や期間の長短を考えた年間計画が重要。
『足りない頭を使っている、ボケる暇もない農業は脳業だ 』 と、ひげ爺の独り言。
肥料や水をやり 連作障害や病虫害を避けるため、配置図や記録も必要になる。
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自家米でパン製造に挑戦

2014-04-15 07:48:03 | 食楽・年金ライフ 
我が家の主食は米で、子供の頃からの習慣が当然であり 好みになっていた。
おいしいということもあるが、所有する田圃で獲れる お米の消化目的もある。
滅多にはないことだが、娘や孫等の来宅時に パン食で朝食を摂ることもある。
特にパンが嫌いと言うことではなく、時には洋風の食事もしたいと思っている。
そこで 自家産のお米を使ってパンを焼けば、お米は減るしパンも食べられる。
・・・と云うことで、自家産米「減るしー」の米パン作りに挑戦することになった。

資料で確認しながら、材料等をそろえて分量と時間を計りながらのパンづくり。
材料は、自家作の白米に小麦グルテン ドライイースト バター 砂糖 塩である。
米粉を買えば簡単だが、自家のお米を使うことが目的だから 白米を粉に挽く
ことからはじまり、ドライイーストやグルテン等を加え 捏ねてパン生地をつくる。
出来たパン生地は、時間をかけ寝かせることで イースト菌の発酵をうながす。
四角い形状の食パンにするため、生地はそれらしい容器に入れて焼き上げる。
一回目は上手く焼けたが、膨れすぎていて冷めると縮んで 陥没してしまった。
二回目からは 正確に分量を測って、水を減らしたら立派な米パンが完成した。

白米の粉挽きから焼き上がり完成まで、所要した時間は4時間半ほどだった。
そのお米パンは、しっとりとした重量感があり もちもちとした食感の納得品だ。
それは 米粉のパンではなくて米パンであり、しかも自産自消の逸品になった。
レシピに沿って計量と時間を正確に行えば、米パンづくりは簡単なことだ。
『そこには、「GOPAN」と云う家電製品の優れ物がいる』 と、ひげ爺の独り言。
主役は、確定申告還付金で駆け込み購入した 「米パンクッカー」 なのである。
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消費増税体験 飛騨の旅

2014-04-08 09:36:20 | 旅行・秘湯・巡礼 
札所めぐり納めの精進落としは、奥飛騨の旅と決め 東海北陸道を北に進んだ。
山肌や道端に雪が残る ひるがの高原 を越えて、途中の荘川ICで一旦降りる。
御母衣ダム建設で全村移転した荘川は 古くて新しい郷、そこには五連水車
シンボル的に置かれ蕎麦が名物。古民家風の店で手打ち蕎麦の昼食をとった。
午後は高速道と山道をたどって、飛騨市の古川に2 時に到着して駅裏に駐車。
古い街並み殿町筋を散策、28 年ぶりながら 昔と変わらぬ街でコーヒータイム。
ひげ爺は当時から古川の街並みが好きで、機会あるごとに推薦してきた街だ。

そして車で20分程走り、飛騨の中心地であり 今日の宿泊地である高山市に。
駅近くのホテルにチェックインした後、3 時半から歩いて市内観光に出かける。
高山は小京都と呼ばれ、戦災のなかった街並みは古都の雰囲気を保っている。
宮川を渡って高山別院から 上三之町を散策し、さらに陣屋前からホテルまで。
古い街並み「上三之町」は、高山祭の前週ながら外人観光客で賑わっていた。
ホテルでとった夕食は、飛騨牛を中心にした心づくしの料理でお腹は満腹状態。

翌日は朝から小雨だったが、予定通り8時半に宿を出発し 桜山八幡宮を見学。
それから平湯に向かうも、期待していたアルプスの峰々は 雲に覆われている。
平湯を左に折れて奥飛騨温泉郷の一つ、新穂高「佳留萱山荘」に車を入れる。
そこは日本最大級の「露天風呂」があり、かねてから入浴の希望を持っていた。
至福の一時を過ごした後は、平湯から 松本 佐久 本庄を経由し帰路についた。
「露天風呂にはひげ爺一人、これ本当の お翁(おおきな)露天風呂」と、独り言。
4月から消費税が増税、早速実行した増税協賛体験旅行は有意義に終わった。

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西国観音霊場巡り 第八回

2014-04-06 10:15:12 | 旅行・秘湯・巡礼 
昨年の5月から始めた 西国観音霊場巡りも、間もなく1年を迎えようとしている。
今回が八回目の旅で、三十三霊場と番外のすべてに 納経を終えることになる。
4月2日の朝8時半に車で出発、桶川ICから中央高速を進み 駒ケ根SAで軽い
昼食をとり、小牧経由で岐阜ICに降りて 金華山下の駐車場に2時半に着いた。
大河ドラマ「軍師官兵衛」で放映された岐阜城は、桜の花が満開の状態だった。
ロープウエイで上り、山頂の天守閣から 織田信長の心で美濃平野を眺望した。

その後、夏の夜は鵜飼船で賑わう長良川沿いの 古い街並み「川原町」を散策。
車で移動し 対岸のホテルに5 時着。入室後に長良川の堤を散歩して腹べらし。
翌日朝は8時半に出発し、揖斐川にそって上り 西国霊場の結願寺に向かった。
参道街の駐車場に入って、満開の桜並木を5~600メートル進むと山門がある。
さらに境内を進み 急石段を上ると、三十三番札所「谷汲山華厳寺」本堂がある。
無事満願を迎えたことに感謝しながら、納経し朱印をいただき 感無量の心持ち。

ひげ爺夫婦の旅は、霊場参拝に加え 季節や地方の魅力を味わう事にしている。
今回の目的のそれは、日本三大桜の一つ 「根尾谷淡墨桜」を見ることであった。
薄曇りの中、樹齢1500年と云われるエドヒガンサクラはこの日6分咲きだった。
時期がすこし早いうえ 天候も心配して来たが、満足度十分の開花状態だった。
三春の「滝桜」 山梨山高の「神代桜」は観ているので、これで三大桜の満覧だ。
『霊場巡りは満願 桜は満開、三大桜を満覧 お腹は満腹 』 と、ひげ爺の独り言。
満ち足りた旅の帰り道は、飛騨路を訪ねることにして 東海北陸道に車を進めた。
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母の白寿を全家族で祝う

2014-04-01 09:38:32 | 食楽・年金ライフ 
日本では、歴史的に経験したことのない 少子化と高齢化が急速に進んでいる。
我が家も高齢化が進行中で、家族3人の平均年齢が78歳半ばになっている。
母である 「大お婆ちゃん 」 は、3月20日に誕生日を迎えて 満99歳になった。
その母は93歳頃から認知症が進むなか、3年前に両腰を相ついで骨折し手術
をしたものの、後に骨折した左腰の方が完治せず車椅子生活になってしまった。
体験入所していたことが幸いし、地元の特養施設にお世話になる事が出来た。

入所の直後は、病院に通院しながらも 妄想と帰宅願望を強く言うので困った。
その後認知症が進む中で、手と口の機能は十分動き 胃腸も元気そのものだ。
時に見舞いに行くと、帰宅願望を云いながらも持参した食物をペロッと食べる。
記憶力は ほとんど無いが、人との会話を巧く合わせることが本能的にうまい。
そんな母の誕生日が過ぎた30日、白寿の祝いを家族大集合で行う事にした。
我が家に10時集合、子供3夫婦に孫と曾孫等が集まって総勢23名になった。
介護施設に移動し、白寿の衣装を着けた母を主役に誕生ケーキのパーティー。

今日のお婆ちゃんは意味が判っていないようだがご機嫌で、集まった孫や曾孫
にとまどいながらも 挨拶などを交わし、話を上手く合わせる会話が出来ていた。
興奮しすぎても後が心配なので、昼食前に終わらせて部屋に戻ってもらった。
集まった家族一団は、市内の料理店に移動して 久しぶりの昼食会で懇談した。
『母の白寿を祝う息子、その息子が古希と云う歳になる 』 と、ひげ爺の独り言。
「白寿」は今も希と云えるが、「古希」は 古来希とは言えない時代になっている。
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