ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

冬季オリンピックが終わる

2014-02-25 08:40:20 | 社会・経済・国際 
2月24日、ロシアのソチ市で開かれた第22回冬季オリンピックが終わった。
開会直前まで、ロシア国内でテロによる破壊活動が散発的に発生していた。
お祭り気分だけではない心配もあったが、そこは大国ロシアの対応力だった。
オリンピックが開幕すると、不安感は消えて大会は大いに盛り上がってきた。
世界から集まったアスリート達が、雪と氷の上で 熱い戦いを展開してくれた。
そこは シナリオのない劇場と化し、喜びと涙が交錯する感動の場になった。

日本選手に対する期待は大きく、その結果は悲喜こもごもの両面があった。
メダル争いは、[五輪の魔物]によって明暗を分けたり記録が生まれたりした。
男子フィギアスケートの羽生選手は、強敵と重圧の中で 金メダルに輝いた。
メダル獲得最年少を平野選手が記録して、葛西選手は最年長記録を作った。
フィギアでは、男子の羽生選手と女子の浅田選手が対照的な結果となった。
ジャンプでは、男子が個人団体ともにメダルに輝いたが女子は入賞止まり。
日本選手の成績は、金が1 銀が4 銅が3で 海外開催五輪の最多となった。

メダルは逃したが、高梨選手の 「言葉少ない涙」と 浅田選手の 「それでも笑
顔」に、高いレベルで戦う現実と選手のスポーツ精神/責任感をかいま見た。
7競技98種目の冬季五輪は、私たちに数々の感動的ドラマを見せてくれた。
一言いえば、次回開催国 韓国が 判定を提訴し問題化している事は残念だ。
「熱烈な応援はいいが、自国びいきが過ぎると厄介だ 」 と、ひげ爺の独り言。
深夜と早朝のテレビ観戦続き、昼と夜がひっくり返ったボケ状態の二週間に。
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お稲荷様と 「すみつかれ」

2014-02-18 09:45:01 | 食楽・年金ライフ 
今年は節分が2月の3日で立春が4日、初午も4日で二の午が16日であった。
私の住む地域では、初午の日に郷土料理「すみつかれ」を稲荷様に奉納する。
ひげ爺の家は毎年、初午と二の午に 郷土料理「すみつかれ」を作って食べる。
旧国名の「下野」からついた名と云われ、栃木県内では「しもつかれ」 と云う。
呼び名では「住み疲れ」も良くないが、淫らな「下疲れ」 はもっと良くない(笑)。
材料は家庭によって少し違うが、正月料理で残った新巻鮭のカマと節分の豆ま
きで残った煎り豆 それに大根 人参 酒粕 油揚げに 竹輪や長ネギ が加わる。

稲荷神社は、「伊勢屋 稲荷に犬の糞」と云うくらい身近で多くに奉られている。
全国の登録神社8万社のなかで、最も多い約3万2千社がお稲荷様だと云う。
お稲荷様信仰は、稲作を主とする 農業の豊穣祈願から起こったようで、田畑
を守るということから ネズミなどを食べる狐が 稲荷様のお使いとしてあがめら
れ、その狐が好むという油揚げなどを供える風習になったようだ。
今年も「すみつかれ」を 4日と16日の両日、屋敷内のお稲荷様にお供えした。

初午とすみつかれの風習は、初午の日が伏見稲荷のご祭神が鎮座した日とし
て例祭日であり、また立春の後で田畑の耕作を始める時にあたり 季節の食材
を効率的に使って油揚げも入った「すみつかれ」 を供えたことが由来のようだ。
我が家は、初午二の午以外の通年には油揚げや稲荷寿司や餅を用いている。
「すみつかれ」 は 関東だけの食物らしいが、「おいなりさん」 は全国的食物だ。
『稲荷様に供える寿司が、何時からか「いなりさま」に・・』 と、ひげ爺の独り言。
漢字のお稲荷さんは神社を、かな文字のおいなりさんは お寿司を連想させる。
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加須市 騎西地区を街歩き

2014-02-11 09:23:59 | 地域活動・つながり
立春を過ぎても寒さが続くなか、騎西地区での歴史を訪ねる街歩きに参加した。
騎西は 関東平野のほぼ中央部にあり、2010年の合併で加須市に加わった。
その歴史は古代から続き、律令時代には畿内河内の 私市(きさいち)から移り
住んだ人によって興隆し、地名「私市」が生まれ のちに「騎西」となったようだ。
そして地域の武士団は、鎌倉時代を中心に武蔵七党の 私市党として活躍した。
今回は 地元騎西人にガイドいただき、城の跡地と釜屋酒蔵を見学してまわった。

現在ある天守閣は、二の丸跡に建てた昭和の模擬天守で資料館になっている。
元来の城は、私市城や根古屋城とも呼ばれ沼に囲まれた平城であったようだ。
足利時代の後期には、古河公方足利氏と関東管領上杉氏の攻防にさらされた。
ある時は上杉謙信の「八つ当たり攻め」で落城、後に北条氏の統治下に入った。
小田原の役後、徳川家康の実子と云われる松平康重が二万石で城主となる。
慶長9年(1632)に、城主大久保忠職の美濃移封にともなって廃城となった。
城跡は曲輪土塁の一部を残すのみで、本丸跡等は田圃や住宅に変わっている。

続いて寒風の吹く街中を少し歩き、近くにある「株式会社釜屋」の見学となった。
寛延元年(1748)創業の酒蔵で、醸造の説明を受け 試飲と蔵内の見学をした。
興味を持ったのは、明治時代に建てた酒蔵内部と資料館の歴史的資料だった。
この地は、利根川と荒川の間にあって水とお米に恵まれ「良いお酒」が出来る
と云い、造られる代表的お酒は「力士」で 北埼玉地域の人気銘柄になっている。
『騎西のお城も酒蔵も、自然の水の恵みで守られていた 』 と、ひげ爺の独り言。
車で行って参加した ひげ爺は、用意された無料「きき酒」を一滴も飲めなかった。
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渡良瀬遊水地で探鳥ハイク

2014-02-04 08:22:47 | 地域活動・つながり
2月1日の土曜日、「渡良瀬遊水地探鳥ハイク」が 好天のなかで開催された。
加須市観光協会の北川辺支部が主催する行事で、私も役員として手伝った。
今年は希望者が多く、早々に定員の40名に達したので締め切りしたほどだ。
下宮橋駐車場に集合、9時から受付し資料と双眼鏡を渡し説明後谷中湖へ。
案内役は遊水地野鳥観察会長一色安義氏で、我々役員が補助役を務める。
ひげ爺も時々訪れているが、今年は鳥の種類も総数も少ないのが気になる。
ルートは、中の島野鳥観察台 東谷中橋 谷中村史跡を経由し子供広場まで。
                     
今年冬の特徴は、冬の到来を告げる初冬の渡り鳥(ジョウビタキなど)が少な
く、アキニレの実を食べに来る名物小鳥 「ベニマシコ」がほとんど見られない。
谷中湖の水面も、ガンやカモの数が 例年に比べてかなり少なく閑古鳥状態。
猛禽類も少なかったが、チュウヒなどが厳冬期になって回復の傾向にはある。
そんな中、カイツブリやカワウなど 一部の種類は例年以上の数になっている。
温暖化や異常気象が、渡り鳥の繁殖・生息・移動に変化を与えているようだ。

それでも谷中湖の水面にはカワウやダイサギが多く見られ、周辺の木々には
ヒョドリやシギ類が飛び交い、大空にはトビやチュウヒが舞っていた。
探鳥ハイクの最後は 全員で「鳥あわせ」、 少ないながら 26種の野鳥観察を
確認できたが、そのなかに 「閑古鳥」と「アホウドリ」は含まれていなかった。
12時ちょうどに終了、学習センターでおにぎりと豚汁の昼食ののち解散した。
『関心ある参加者が多いのに、肝心の野鳥が少なくて 』 と、ひげ爺の独り言。
遊水地は、2月の「干し上げ」と3月の「ヨシ焼き」を経て本格的な春を迎える。
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