初冬とは云え暖かい日、江戸から日光道中4番目の宿場「粕壁宿」を散策した。
江戸日本橋から九里余りの距離にあり、街道23宿のうち 6番目の規模と言う。
粕壁宿は、街道と舟運の重要な基地として発展し 旅籠や商家などで賑わった。
先ずは春日部駅から南方向に歩き、俳人加藤楸邨旧宅跡から郷土資料館へ。
そこには 郷土の歴史資料に加え、江戸期の粕壁宿の模型が 展示してあった。
資料をいただいて 東に歩き、「源徳寺」から その先の4号国道「一宮 」に出た。
その交差点の一角 に 「東陽寺」があり、松尾芭蕉が 旅の一泊をしたところと言
われ寺院で、随行した曾良の日記の一文を刻んだ石碑が建てられている。
そこから北西に伸びる「かすかべ大通り」が旧日光街道の粕壁宿で、少し進ん
で 三枚橋跡から 本陣跡の表示板を過ぎると、 その先に 古い商家風の建物や
や「道しるべ 」の石標などがあり、旧宿場町「粕壁宿 」の面影を感じさせている。
駅前通りと交差するあたりが宿場町の中心で、問屋場跡に続き国登録文化財
の「浜島家土蔵」などの町家があり、その先の突き当った所に「最勝寺」がある。
本堂の左奥には、地名に縁のある鎌倉の武将 「春日部重行公の墳」があった。
古利根川岸に出て 少し戻り、上喜蔵河岸跡の石垣を確認して 新町橋を渡る。
進むと「小淵の一里塚」につづき、関宿街道との道標「道しるべ」を確認できた。
4号国道に合流し16号を越えて、「小淵山観音院」を訪ね北春日部駅に出た。
寺の境内に小さな芭蕉の句碑があり、「ものいへば 唇寒し 秋の風 」 とあった。
『やたら批判や 余計な事を言うと、心寂しくなるという句 』 と、ひげ爺の独り言。
東西を問わず今の政治家は、悪口・暴言を放っても「唇寒し」を感じないようだ。
江戸日本橋から九里余りの距離にあり、街道23宿のうち 6番目の規模と言う。
粕壁宿は、街道と舟運の重要な基地として発展し 旅籠や商家などで賑わった。
先ずは春日部駅から南方向に歩き、俳人加藤楸邨旧宅跡から郷土資料館へ。
そこには 郷土の歴史資料に加え、江戸期の粕壁宿の模型が 展示してあった。
資料をいただいて 東に歩き、「源徳寺」から その先の4号国道「一宮 」に出た。
その交差点の一角 に 「東陽寺」があり、松尾芭蕉が 旅の一泊をしたところと言
われ寺院で、随行した曾良の日記の一文を刻んだ石碑が建てられている。
そこから北西に伸びる「かすかべ大通り」が旧日光街道の粕壁宿で、少し進ん
で 三枚橋跡から 本陣跡の表示板を過ぎると、 その先に 古い商家風の建物や
や「道しるべ 」の石標などがあり、旧宿場町「粕壁宿 」の面影を感じさせている。
駅前通りと交差するあたりが宿場町の中心で、問屋場跡に続き国登録文化財
の「浜島家土蔵」などの町家があり、その先の突き当った所に「最勝寺」がある。
本堂の左奥には、地名に縁のある鎌倉の武将 「春日部重行公の墳」があった。
古利根川岸に出て 少し戻り、上喜蔵河岸跡の石垣を確認して 新町橋を渡る。
進むと「小淵の一里塚」につづき、関宿街道との道標「道しるべ」を確認できた。
4号国道に合流し16号を越えて、「小淵山観音院」を訪ね北春日部駅に出た。
寺の境内に小さな芭蕉の句碑があり、「ものいへば 唇寒し 秋の風 」 とあった。
『やたら批判や 余計な事を言うと、心寂しくなるという句 』 と、ひげ爺の独り言。
東西を問わず今の政治家は、悪口・暴言を放っても「唇寒し」を感じないようだ。