ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩 6 「粕壁宿」

2016-11-22 08:01:05 | 旅行・秘湯・巡礼 
初冬とは云え暖かい日、江戸から日光道中4番目の宿場「粕壁宿」を散策した。
江戸日本橋から九里余りの距離にあり、街道23宿のうち 6番目の規模と言う。
粕壁宿は、街道と舟運の重要な基地として発展し 旅籠や商家などで賑わった。
先ずは春日部駅から南方向に歩き、俳人加藤楸邨旧宅跡から郷土資料館へ。
そこには 郷土の歴史資料に加え、江戸期の粕壁宿の模型が 展示してあった。
資料をいただいて 東に歩き、「源徳寺」から その先の4号国道「一宮 」に出た。

その交差点の一角 に 「東陽寺」があり、松尾芭蕉が 旅の一泊をしたところと言
われ寺院で、随行した曾良の日記の一文を刻んだ石碑が建てられている。
そこから北西に伸びる「かすかべ大通り」が旧日光街道の粕壁宿で、少し進ん
で 三枚橋跡から 本陣跡の表示板を過ぎると、 その先に 古い商家風の建物
や「道しるべ 」の石標などがあり、旧宿場町「粕壁宿 」の面影を感じさせている。
駅前通りと交差するあたりが宿場町の中心で、問屋場跡に続き国登録文化財
の「浜島家土蔵」などの町家があり、その先の突き当った所に「最勝寺」がある。
本堂の左奥には、地名に縁のある鎌倉の武将 「春日部重行公の墳」があった。

古利根川岸に出て 少し戻り、上喜蔵河岸跡の石垣を確認して 新町橋を渡る。
進むと「小淵の一里塚」につづき、関宿街道との道標「道しるべ」を確認できた。
4号国道に合流し16号を越えて、「小淵山観音院」を訪ね北春日部駅に出た。
寺の境内に小さな芭蕉の句碑があり、「ものいへば 唇寒し 秋の風 」 とあった。
『やたら批判や 余計な事を言うと、心寂しくなるという句 』 と、ひげ爺の独り言。
東西を問わず今の政治家は、悪口・暴言を放っても「唇寒し」を感じないようだ。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

那須で明治元勲別邸巡り

2016-11-08 09:20:59 | 旅行・秘湯・巡礼 
好天に恵まれた今月4日、冬を迎える時「小春日和」に誘われ那須方面を訪ねた。
この日のテーマは、日本をリードした明治の元勲達が残した洋館別邸などである。
西洋文化を身につけた明治の元勲たちが、未開の「那須野ヶ原 」に思いを込めて
開設した洋式農場の名残りや、その余生を過ごした別邸等が点在している。
自宅を9時に出発し 館林から東北道へ、休憩をはさんで矢板インターを降りて下
道を北に30分走り、山縣有朋の別荘を移築した 「山縣有朋記念館」を訪問した。
明治42年建築の洋風建築で、現在は四代目が所有管理し遺品を展示している。

次は塩原の麓にある千本松牧場、その場内にある「萬歳閣 松方別邸」を訪ねた。
財政通であり日本銀行を設立した松方正義が、自ら開設した農場「千本松農場」
に明治36年に建てた洋館別荘で、現在も松方家の関係者が使用管理している。
牧場内の散策を続け、那須開拓の礎ともなった「那須疎水」の一部をのぞき見た。
戻って、観光牧場となっているその一角の「もみじ亭」で お蕎麦の昼食を摂った。
そして大田原に移動し、乃木大将ゆかりの「乃木神社」と晩年の住居「乃木旧宅」
を訪ねたのち、那須拓陽高校農園内にある大山巌元帥の「大山別邸」 に回った。

そして車を西北に進め「道の駅黒磯」へ、そこは外交で活躍した青木周蔵が開拓
した農場であり、道の駅の隣地に明治21年築の洋館「青木家那須別邸」がある。
ドイツの地主貴族に憧れて作った農場と別邸は、那須第一の品格を持っている。
眼前に 那須温泉があるのだが、事情が許さないので やむを得ず帰路についた。
『公.候.伯.子.男、明治以降の貴族を現わす爵位順である 』 と、ひげ爺の独り言。
爵位のない現在でも、秋はノーベル賞や文化勲章や 叙位叙勲等の季節である。
コメント (2)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする