ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

郷土歴史ロマン散歩 -5

2016-02-23 08:05:04 | 食楽・年金ライフ 
大河ドラマ「真田丸」の時代まで、館林周辺も北条や上杉が競い合う土地だった。
文明時代(1468~) に赤井氏が城を築いた館林は、時代の変遷を経て徳川家康
の関東転封によって、徳川四天王の一人である「榊原康政」が10万石で入城し、
その後は 五代将軍となった「徳川綱吉」 が15万石で領するなど、徳川の親藩や
譜代の十家二十三代が治め、秋元氏6万石のもとで 廃藩置県を迎えた。
そんな由緒ある城や街並みも、焼失や廃棄によってほとんどが残ってはいない。
公園化した城地跡には、明治中期建造の「旧秋元別邸」と付属の菖蒲園がある。
ほかに、向井千秋記念館 モスリン事務所 田山花袋文学館など文化施設もある。

「旧秋元家別邸」では今、「館林ひなまつり」の会場としてお雛様を展示している。
市民が提供した明治から昭和のお雛様たちが、ところ狭しとばかりに並んでいた。
別邸から望むと南には城の外堀となっていた城沼があり、その向い側には歴代
の城主が保護・育成してきたツツジで有名な「つつじが岡公園 」が広がっている。
そこには樹齢800年を越す 老木をはじめとする、50種のツツジが一万本もあり、
花の盛りを迎える5月の連休ごろには、周辺道路が麻痺するほどの賑いになる。

館林と云えばもう一つ、昔ばなし「分福茶釜」で有名な 「青竜山茂林寺」がある。
汲んでも湯が減らない茶釜は、分福茶釜と名付けられ 本堂に安置されている。
狸が化けて茶釜になったという逸話から、境内には狸の像が数多く並んでいる。
その狸たちがひなまつりに参加して、衣装を着けた「タヌキひな 」を演じていた。
『館林はタヌキらしいが、私は先日1本の奥歯抜きをした 』と、ひげ爺の独り言。
タテバヤシは「タ」ヌキでハトリは「ハ」ヌキ、家族は昨年「ババ」が抜けちゃった。
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街なか散歩 2 「日本橋」

2016-02-16 07:42:36 | 旅行・秘湯・巡礼 
自宅出発が遅かったため、地下鉄人形町駅を降りたら 10時半を過ぎていた。
まだ昼食までは時間があるので、「甘酒横丁」の街並みを散歩することにした。
この日のお目当ては、江戸時代からの老舗で親子丼の元祖「玉ひで」の昼食。
池波正太郎の 小説「鬼平犯科帳」に、しゃも鍋の「五鉄」として登場する店だ。
散歩したあと11時に店前に着くと、店頭にはすでに 30人ほどが並んでいる。
11時半の開店を行儀良く待っていると、開店の10分前から誘導が始まった。
まず帳場で食券を購入し、和室の踏み込み型座卓に 順次相席で案内された。 
間もなく「スープ汁」 が小椀で出され、続いて「極み親子丼」 が運ばれて来た。
味はやや甘口で、ふんわりした卵とじの中にコリッとした軍鶏肉が入っていた。
味も雰囲気も良かったが、私の丼が相席の夫婦より 一段上の物だったのだ。    

お腹を満たしたあとは、バックパック姿で 日本橋方向に向かって散歩を開始。
江戸橋の南詰にある「郵便発祥の地」を訪ね、高島屋の近くでコーヒータイム。
次に中央通りを北に向かうと、日本橋の手前左に「日本橋の由来記」と右側に
「船着き場」があり、橋を渡ると左に「日本道路元標」のある小公園があり右側
は「魚河岸発祥地」、いずれの場所にも案内文があるので 一通り読み通した。
三越の手前を左折して日本銀行本店を眺め、向い側の「貨幣博物館」に入る。
その2階には貨幣の歴史が、現物や図表によって判りやすく展示されていた。
日本銀行を 一回りする形で歩き、さらに 福徳神社をまわって「三越」 に入る。
時刻は午後の3時半で、お粗末な品をお土産に買うと丁度良い時刻になった。
『貨幣博物館は、ゲンキンがあるので写真もゲンキンだ 』と、ひげ爺の独り言。
別件の約束ごとを済ませると 5時半で、街なか散歩は合計11,246歩だった。
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渡良瀬遊水地 なう 〔寒景〕

2016-02-09 08:18:33 | 地域活動・つながり
暦から見る今月上旬は、3日が節分で4日が立春で6日が初午になっていた。
その間の天候は、寒暖差の大きい日が交互にやってくる不順なものであった。
この節に 郷土料理「スミツカレ」(シモツカレ)を、初午の朝に自宅内のお稲荷
様に奉じると言う風習にそって、夫婦は前日の夕刻から大鍋で調理を始めた。
そして 翌日6日の朝食前に、冷めたスミツカレを お稲荷様に持参し参拝した。

また6日は土曜日で、観光協会が主催する「渡良瀬遊水地探鳥ハイク」 の実
施日だったため、役員でもあるひげ爺も 渡良瀬遊水地に出向くことになった。
腰痛や膝痛も少し良くなったので、軽い仕事だけながらもお手伝いが出来た。
下宮橋から歩を進め行くと、橋を渡った右手の梅が満開の状態になっている。
毎年早く花を開く梅ではあるが、それにしても 今年は一段と早い感じがする。
その先の谷中湖(ハート湖) は、干し上げ中のため半分は 底を現わしていた。
狭くなった水面には、数は少ないものの カモ類の群れが 羽根を休めていた。
中の島の「野鳥観察台」では、水面にダイサギが 上空にはトビが舞っていた。
さらに進むと道端の低木域では、ジョウビタキやベニマシコの餌採りする姿が
見え、観察終了後に「鳥あわせ」をすると 32種類の野鳥を観察していた。

帰り道で見る冬のヨシ原は、水路や屋敷森を残し 冬枯れ色に染まっていた。
3月のヨシ焼きに向けた準備も始まり、湖畔のは 新芽を膨らませている。
野鳥たちの飛びや鳴き声にも、すでに春を迎える 行動変化が始まっている。
『野鳥は恋の季節を迎え、渡り鳥は北に向けて旅立つ』と、ひげ爺の独り言。
渡り鳥が帰るころも、私は内科 外科 眼科 歯科の各医を渡り歩くのだろうか。
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騎西 玉敷神社のだるま市

2016-02-02 08:43:25 | 地域活動・つながり
この一週間の天気は、厳しい寒さと春を思わせる暖かさとが交互にやってきた。
雪まで降る始末だから、屋外の仕事や行事予定は狂いがちの一週間であった。
そして 27日と28日は暖たかったが、一転して寒くなり29日夜から雪になった。
翌30日の朝は雪景色、重たい雪を踏んで 利根川の堤防から雪景色を眺めた。
道路面に積雪はなく、風もないので寒さはゆるく雪は午前中にほとんど消えた。
しかし 31日に予定されていた加須の「浮野の里」のヨシ焼きは、延期になった。

狂いがちの天候が関係しているのか、私の身体機能も 狂いがちになっている。
腰痛は何とかダマしてきたが、新たに膝の痛みが出て整形外科に通い始めた。
寒さと膝痛で運動量が減って、糖尿の数値が悪化したと 内科医には叱られる。
完璧と自負していた歯だが、初めて奥歯1本が痛み出し歯科医院に通うことに。
また以前にレーザー治療した「逆さまつげ」が、またも眼をさすので眼科医にも。
共通するのは、加齢からくる摩耗や退化や 機能劣化が原因だ と言われること。
6度目の年男には、「歳のせい」と云う説明が 昨年の「年の瀬」から続いている。

月が替わった1日は、市内騎西地域にある玉敷神社の「だるま市」に出かけた。
車を停めて街中を5分歩くと、神社の参道には露店の「幟」 が立ち並んでいる。
その参道の社殿近くの両側に、高崎のダルマ屋さん8~9軒が店を出していた。
寒さのためか縁起信仰が薄くなったのか、埼玉県で最も歴史ある「だるま市」と
云われるのだが、人出や賑わいは今一で ダルマの売れゆきにも元気がない。
『形からダルマには、私が悩む腰痛や膝痛はないようだ 』 と、ひげ爺の独り言。
七転び八起きの縁起物、しかし手も足も出ない「ダルマ姿」に私はなりたくない。 
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