今年もいよいよ押し迫ってきて、一年の最後の日「大みそか」を迎えている。
年の瀬の寒々しくなった我が家の庭では、夏ミカンが陽の光に輝いている。
冬の空には 渡り鳥が飛びかい、世間には シャッキントリが飛び回っていた。
渡り鳥ではないが ハトリという者が、ボチボチと歩みながら「古希」を迎える。
古希を迎えるひげ爺には、ちまたの「年の瀬」と云う言葉が異質に聞こえる。
どうしても「としのせい」と聞こえ、忙しいのは「齢のせい」だと聞こえるのだ。
歯が痛くても腰が痛くても、医師は「としのせい」だと説明して診察を終わる。
天皇誕生日が年の瀬の23日、この日に陛下は八十歳を迎え傘寿を祝った。
そんな中で親父の十三回忌法要を、事情があって同じ日の23日に行った。
お坊さんの都合だったが、結果的に祥月命日の法要という最良日になった。
自宅で読経法要を行い、お墓まいりをして料理屋で清めの食事会となった。
親と云えば、ひげ爺の母は施設で暮らしながらも春には九十九歳を迎える。
百の字から一ひくと白の字になり、長寿祝いは99歳の白寿が習わしと言う。
孫や曾孫にも集まってもらい、春休み中に「白寿」のお祝いを予定している。
年の瀬にはお歳暮の慣習があり、年々簡略化しているものの欠かせない。
我が家では、親しい家に対して 自家作の野菜を お歳暮がわりにしている。
私と妻の兄弟宅は5軒、27日に白菜などの冬野菜を お届けしてまわった。
99歳を白寿で祝うなら、白菜は「九十九菜」で めでたい野菜と云えそうだ。
それにしても、年や歳を数えるのに満年齢と数え年とがあってややっこしい。
『周年・傘寿などは満年齢で、回忌・厄年は数え年だ』 と、ひげ爺の独り言。
明治に満年齢が公式になったが、古い風習的ものは数え年で残ったらしい。
一年間有難うございました。 新しい年が輝かしい年でありますように・・。
年の瀬の寒々しくなった我が家の庭では、夏ミカンが陽の光に輝いている。
冬の空には 渡り鳥が飛びかい、世間には シャッキントリが飛び回っていた。
渡り鳥ではないが ハトリという者が、ボチボチと歩みながら「古希」を迎える。
古希を迎えるひげ爺には、ちまたの「年の瀬」と云う言葉が異質に聞こえる。
どうしても「としのせい」と聞こえ、忙しいのは「齢のせい」だと聞こえるのだ。
歯が痛くても腰が痛くても、医師は「としのせい」だと説明して診察を終わる。
天皇誕生日が年の瀬の23日、この日に陛下は八十歳を迎え傘寿を祝った。
そんな中で親父の十三回忌法要を、事情があって同じ日の23日に行った。
お坊さんの都合だったが、結果的に祥月命日の法要という最良日になった。
自宅で読経法要を行い、お墓まいりをして料理屋で清めの食事会となった。
親と云えば、ひげ爺の母は施設で暮らしながらも春には九十九歳を迎える。
百の字から一ひくと白の字になり、長寿祝いは99歳の白寿が習わしと言う。
孫や曾孫にも集まってもらい、春休み中に「白寿」のお祝いを予定している。
年の瀬にはお歳暮の慣習があり、年々簡略化しているものの欠かせない。
我が家では、親しい家に対して 自家作の野菜を お歳暮がわりにしている。
私と妻の兄弟宅は5軒、27日に白菜などの冬野菜を お届けしてまわった。
99歳を白寿で祝うなら、白菜は「九十九菜」で めでたい野菜と云えそうだ。
それにしても、年や歳を数えるのに満年齢と数え年とがあってややっこしい。
『周年・傘寿などは満年齢で、回忌・厄年は数え年だ』 と、ひげ爺の独り言。
明治に満年齢が公式になったが、古い風習的ものは数え年で残ったらしい。
一年間有難うございました。 新しい年が輝かしい年でありますように・・。