ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

鰻の「きわい家」と「山崎屋」

2015-03-31 09:33:59 | 食楽・年金ライフ 
どうしたわけか、この3月は「ウナギ」にお目にかかる機会がやたら多かった。
桜が開花した28日も、高校時代の旧友達4人でウナギでの昼食会になった。
場所は岩槻の大戸と云う地で、元荒川河畔の「第六天」神社に隣接したお店。
昔から 神社の参拝客によって栄えたてきた老舗で、川の際(きわ)という意味
を屋号にした「きわい屋」、うな重に肝吸いをつけ ナマズの天ぷらも味わった。
形も大きく味も良いもので大満足、食後は神社を参拝して 桜の堤を散歩した。

数えて見れば、シーズンでもないのに 今月はウナギの食事が5回にもなった。
まず月初めの3日には、北川辺の仲間たちとの昼食に 柳生駅前の鰻専門店
「丸一」の「うな重」を食べ、 8日は近所の女性集会に出かけた「かみさん」が
持ち帰った「鈴木養魚場」製のお土産用「うな重」が、自宅での夕食になった。
11日には夫婦で浦和に出かけた折、中山道筋の「山崎屋」で「うな重セット」
の昼食をとり、 14日には地域組織の総会があって隣町板倉での夕食は「野
沢家」で「ウナギの蒲焼」、そして最後が岩槻の「きわい屋」と云う具合である。

そう云えば、さいたま市の浦和はウナギが名物で地域にはウナギ店が多い。
浦和駅のコンコースの壁に、ウナギ店それぞれが パネルで紹介されている。
ひげ爺が 今まで味わった浦和のウナギ店は、浦和の「満寿屋」に「むさし乃」
に「山崎屋」、そして南浦和の「小島家」と西浦和の「古賀」の5軒になる。
ウナギは秋から冬が味の旬なのに、滋養・強壮を売りに夏が旬になっている。
『今さら精をつけて何?、う~ん・・・ 激戦の選挙運動で頑張る!』 と、独り言。
ウナギ喰いが3月で 選挙は4月、食べた回数が5回で 最後の場所は第6天。
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渡良瀬遊水地なう 〔野焼〕

2015-03-24 08:31:11 | 地域活動・つながり
3月22日は、渡良瀬遊水地の風物詩とも云える 「ヨシ焼き」の実施日だった。
その日の空模様は、見通しがやや良くないものの 無風快晴の好天になった。
ひげ爺は8時半に、「道の駅」の従業員用駐車場に駐車して堤防に上がった。
すると、予定どおり点火されて 広い遊水地のあちこちから煙が上がり始めた。
堤防上を 1キロほど北に歩いた所で、炎を上げて燃えるヨシ原を 間近で見た。
その頃には、立派なカメラを持った多くの写真愛好者が並ぶようになっていた。

 国交省と自治体で組織した「渡良瀬遊水地ヨシ焼き連絡会」の広報紙には・
本州最大のヨシ原を持つ 渡良瀬遊水地は、絶滅危惧種を含む 多くの貴重な
植物が観察され、自然を愛する人たちとの共生で 生態系が保たれています。
「ヨシ焼き」はラムサール条約湿地登録となった渡良瀬遊水地の貴重な湿地
環境を保全するために行われます。害虫を駆除したり落ち葉などを焼くことに
よってヨシを育ちやすくし、ヨシ原内も樹木を焼くことで林のようになることを防
ぎます。 また、貴重種である トネハナヤスリなどの 春植物の発芽を促進し、
遊水地の自然環境を保全するために必要なのです。 ・・と、ある。

この日は、国交省(利根上)や関係する自治体と消防組織が万全の管理体制
を敷き、一般の人や車両は遊水地内に入れないように厳しく制限されていた。
私は「道の駅」に戻り、「遊学館」の3階展望所から ヨシ焼きの全景を眺めた。
遊水地の上空半分は煙に覆われ、野鳥たちが驚いたように 飛び廻っていた。
『北陸ではハクタカが運行開始し、ここではツバメが渡りを開始だ』 と、独り言。
ハート湖の干上げとヨシ焼きは、一見 環境破壊に見えるが 環境保全なのだ。

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ひげ爺菜園の春:彼岸前

2015-03-17 09:53:38 | 家庭菜園・庭・花 
ひげ爺の家庭菜園は、春のお彼岸を前にして本格的農作業の時期を迎えた。
準備作業として、2月には空いている畑地に石灰や堆肥を入れ耕しておいた。
また長ネギや大根は納屋に取り込み、柿など果樹類の剪定は済ませていた。
冬の野菜は、ほうれん草と春菊と小松菜を少しづつ収穫しながら食べてきた。
3月になってからは、ビニルハウス内のキャベツの長男坊と 畑のブロッコリー
の収穫がはじまり、先週末からは「かき菜」の収穫ができるようになってきた。
別の所では、株分けをした万能ネギと定植したタマネギが順調に育っている。

これからの彼岸前後は 種まきの最適期で、その一番手がジャガイモになる。
カリフラワーやインゲンなどの秋野菜収穫が終わった跡地を、冬の間に準備し
ておいて、14日に 低い「うね」を作って 二品種のジャガイモ種を植えつけた
それは「男爵」2キロと 「インカノヒトミ」1キロで、秋ジャガイモも栽培するから
作量は減らしたが、大きい種は分割したのて播いた種合計は48個になった。
25センチ間隔のやや深めに植え込んで、化成肥料を置き肥して土をかけた。

庭では水仙が咲き、ツバキが花盛りでボケやコブシも蕾が大きくなっている。
周辺の田んぼや畑では、稲作の準備をする人や機械の動きが目立ってきた。
農家の不安は、米の消費減少と価格低下や TPPの結果と農政農協改革だ。
農水省は、食料自給率の目標を50%から45%に 引き下げる事を表明した。
我が家の食料を2日間確認してみたら、自家産供給率が50%を超えていた。
『それは自給率でなく自作率、カロリーでなく重量で・・』 と、ひげ爺の独り言。
糖尿病の私は菜食小食主義だから、自家生産の野菜と米が貢献してくれる。
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郷土歴史ロマン散歩 –1

2015-03-10 09:21:34 | 食楽・年金ライフ 
私は読書家とは云えないが、歴史ものが大好きで 時代小説をよく読んできた。
それも 「頼朝」を読むと「義経」も読むなど、同じ時代の異なる本を複数読んだ。
所詮は小説なのだが、複数作品を読むことで何か真実を知り得た気分になる。
また、若い頃に読んだ長編時代小説を 何年か後に読み直すこともやってきた。
貧乏人の苦肉の策と云え、今は 吉川英二の「私本太平記」を読み直している。
それは足利尊氏を主役に、鎌倉末期から足利時代に到る激動期を語っている。

太平記に出てくる 足利の功臣「一色氏」、幸手市に一色氏に関る神社がある。
幸手駅近くの小さな「一色稲荷神社」で、一枚の説明板が 由来を伝えている。
三河一色村の領主一色氏が、足利幕府の設立前に幸手に領地を得たと云う。
その後も、古河公方の忠臣として館を構え 徳川初期まで城館も存在していた。
しかし国替で去った後、幸手は宿場町に姿を変えて地形的跡は残っていない。
すると腹時計は昼で、なじみの「和処すずや」さんで「御膳料理」をいただいた。

少し車で走った 隣の久喜市には、古河公方「足利政氏」が隠棲した寺がある。
永正年間(1510) 同族の内紛に敗れた政氏が、古河からこの地に隠居した館。
そののち寺に改めた臨済宗永安山「甘棠院」で、足利家の紋(二両びき)を寺章
に用い 政氏の墓石もあり、周囲には館であった遺構の空堀も残っている。
近くには、江戸前半期までの「久喜藩米津氏 」陣屋跡と伝わる御陣山もある。
読んだ小説でも年月を経ると、記憶が曖昧だから 二度読みしてもハマルのだ。
本棚には内容を忘れかけた小説が多くあり、わざわざ新書を買う銭も・・・ない。
『健忘症に金欠症、お陰様で 本は読み直しが丁度いい 』 と、ひげ爺の独り言。
ひげ爺流儀で云うと、太平記の次に読むのは 新田次郎の「新田義貞」 になる。
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まちかど雛めぐり 岩槻

2015-03-03 09:31:48 | 旅行・秘湯・巡礼 
今日3日は桃の節句、その日を前に岩槻の「まちかど雛めぐり 」に出かけた。
その日の朝は強風が吹いていたが、次第に弱まり寒いながら好天になった。
合併して「さいたま市岩槻区」になった岩槻は、人形づくりで繁栄した城下町。
その街にふさわしいこの行事は、歴史ある人形店や旧家などが 職人の作品
や家に伝わるお雛様を飾って、訪れた人達に楽しんでもらおうと云う企画だ。
東武鉄道の岩槻駅に降りたつと、ちょうど 「セレモニー」が始まるところだった。
それは小学生の「お雛様パレード」と、和太鼓や よさこい踊り の演技だった。

パンフをもらい ウオークを兼ねて街めぐりに出発、まずは駅前にある「東玉」で
綺麗なうえに数も多い「つるし飾り」を見ると、気分は自然に華やいだ。
少し歩き、戦国時代の岩槻城主太田氏の菩提寺「芳林寺」で 太田道灌の騎
馬像を観てから、街道に出て 旧岩槻警察庁舎の「岩槻郷土資料館」を拝観。
すると昼の時刻、古民家づくりのそば店 「曼吉禎」で 鴨汁せいろの昼を摂る。
食後も街並みを歩き、「大正館」で吊るし飾りを見てさらに進んで横道に入る。
そこには岩槻の代表的遺産「時の鐘」があり、340年前から時を伝えている。

10分歩き 鉄道を越えると、長い参道の奥には岩槻総鎮守の「久伊豆神社」。
武蔵野の東部は、川筋ごとに氷川神社 久伊豆神社 鷲神社が祀られている。
帰り道は、江戸時代の木綿問屋で土蔵が美しい「長谷川家」のお雛様を拝見。
この「ひなめぐり」には、体験型のメニューもあったが今回はこれで完結とした。
『それは、暇ではなく雛であり メクリではなくメグリだった』と、ひげ爺の独り言。
街中の70余軒が賛同するこの行事、さすが「人形のまち:岩槻」にふさわしい。
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