ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩18 〔板橋宿〕

2019-03-26 09:14:38 | 旅行・秘湯・巡礼 
我々夫婦の出かる日には、雨は降らないという 絶対的な神話が生きている。
この日も 雨予報を無視して決行、9時半にJR板橋駅に到着し東口に出た。
まずは駅前の「近藤勇墓所」へ、そこには 近藤勇像や墓石や石碑があった。
土方歳三や永倉新八の名もあり、新選組が庶民に慕われていたことが判る。
北に家並を入ると 平尾一里塚があった所、そこから西に街道が伸びている。
それが旧中山道で、埼京線の踏切を越え マンションが並ぶ街道を西に進む。
間もなく「平尾宿」の名に出会う、この辺は「板橋宿」の一部分だった所。

中山道最初の宿「板橋宿」は、平尾宿/中宿/上宿と 続く細長い宿場だった。
その先で 国道を斜めに越え、平尾宿の中心地右側にある「観明寺」を参拝。
さらに進むと「仲宿」ゲート、旧街道と板橋宿の雰囲気が 今も残っている。
情緒ある仲宿商店街が続き、遍照寺を過ぎた左奥に「板橋宿脇本陣跡」碑。
開発され 古い建物はないが、付近が「板橋宿」の中心地だったことが判る。
街道筋は 下町情緒を残しているが、歴史的案内表示が少ないことは残念だ。

先に進むと石神井川で、そこにかかるのは 宿場名由来の「板橋」という橋。
車が通行する現在の橋も、板目を使うなど 往時を想わせる姿になっていた。
板橋を渡ると「上宿」に入り、少し進んだ右側に「縁切り榎」の祠がある。
江戸最強の縁切り神社とは云うが、今でも 祈願絵馬の多いことにびっくり。
夫婦の縁が切れないうちに離れ、その先の環七通りを左折して 昼食にした。
『縁切榎のお陰なのか、最後まで コーモリ傘に縁はなかった』と、独り言。
板橋本町から三田線で新板橋駅へ、板橋駅まで歩き 埼京線経由で帰宅した。

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街なか散歩17〔巣鴨〕

2019-03-12 08:19:12 | 旅行・秘湯・巡礼 
春を感じる暖かさのなか、10時に駒込駅に到着し本郷通りを南に歩き出す。
不忍通りの手前を右折し、柳沢吉保が造園した大名庭園の「六義園」に入る。
入園料が高齢者は半額、得した気分で築山回遊泉水式の園内をゆっくり散策。
梅の花は満開ながら、園内の桜やツツジの「華やかさ」はまだ時期ではない。
園を出て西に歩き、JTB時代にお世話になった「天心聖教」前で 一礼してか
ら白山通りに出て横断、北に歩き「徳川慶喜公屋敷跡」から巣鴨駅前に出る。

駅前の山手線上を過ぎると、なぜか急に「おばちゃん達」の姿が増えてきた。
その先の斜め左の道が旧中山道で、「地蔵通商店街」のゲートが迎えている。
左脇角の江戸六地蔵「眞性寺」を参拝し、旧中山道である商店街を北に進む。
このあたりは「おばちゃんの原宿」と云われる街で、我々高齢者にとっては
昔懐かしい雰囲気があり、店構えや掛け声などに「味のある街」が楽しめる。
途中右側の「みずの」で、名物塩大福とお茶をいただき昼食は後回しにした。
その先の「とげぬき地蔵・高岩寺」を参拝、願えば「痛みを抜き取る」との
ご利益に期待して、最近痛み出した膝と腰に加えて頭が衰えないよう祈った。

遅い昼食は軽いお蕎麦にし、さらに北に進み猿田彦を祀る巣鴨庚申塚を参拝。
その先の「庚申塚駅」から都電に乗り、レトロな気分を大塚駅まで味わった。
下車して西に歩き、「天祖神社」を訪ねてから駅前に戻ってコーヒータイム。
英語/中国語/スペイン語の会話を耳に、日程を終了したら3時を回っていた。
『とげぬき地蔵で、頭と腰が衰えないように祈願した』と、ひげ爺の独り言。
そんな私の隣に、何事も「アタマゴシに云わないでね」と注文する人がいた。
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