ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

街なか散歩 9 〔幸手宿〕

2017-03-28 07:57:59 | 旅行・秘湯・巡礼 
お彼岸すぎの24日、日光街道の江戸から6番目の宿場『幸手宿』に出かけた。
改築中の東武鉄道幸手駅は、室町時代初期に 一色氏の城があった所らしい。
迷いながら改札を出て、駅前通りを東に進むと右側に「一色稲荷神社」があり、
その先が「旧日光街道」との交差点で、その左(北西)方向が 旧幸手宿になる。
交差点の手前右に「明治天皇行在所跡」、道路向かいにはかつての醤油醸造
業の「岸本家住宅」があり、その右先は 日光街道と御成り道の結節地になる。

交差点に戻り 北西に旧幸手宿を進むと、文政時代創業の 旅館「朝萬」があり
さらに進んだ左側に、荷さばき用のトロッコで親しまれる 「永文商店」 がある。
その先右側が問屋場跡で、左側の料理屋「義語屋」が「本陣知久家跡」という。
宿の中心地らしく、「平井家」「飯村家」「関薬局」等の 古い建物が残っていた。
街道を左折して離れ、幸手の総鎮守「幸宮神社」を訪問してから路地を西北に
とり、江戸時代に将軍家の休憩所をつとめたと云う「菩提山聖福寺」へ回った。
勅使門や芭蕉句碑を見学し、宿場筋に戻って 桝形地から街道に道を取った。

しばらく進むと4号国道に合流し、昼になったので「かつ太郎」で昼食を摂った。
食後に隣の「権現堂堤」 に立ち寄ったが、桜はまだ蕾で 来週末に賑いそうだ。
中川の橋を渡り、何の変哲もない国道にそって側道をしばらく進むと久喜市に
入るが、さらに進むと 墓地の一角に「小右衛門の一里塚」の案内板があった。
街道に沿った集落を通り、至近の駅「南栗橋」まで歩いて今日の散歩は完了。
『車でよく通る道も、歩いてみると 結構な距離があった 』 と、ひげ爺の独り言。
電車で160円の一区間、昔の旅人を想うと 電車賃もガソリン代も安いもんだ。
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春本番で 畑仕事も本番に

2017-03-14 08:36:12 | 家庭菜園・庭・花 
2月上旬に風邪をひき、3月初めには腰を痛めて 畑仕事も滞りがちであった。
庭先では梅の花が散り、モクレンが咲きはじめ 桃がツボミを大きくしている。
菜園では、ホウレンソウ 小松菜 サラダ菜がトウ立ち前の収穫終盤期にある。
長ネギは初冬から今も食べ続けて、土に埋め保存した大根と里芋は必要の
都度に掘り出しては食べ、春採りキャベツが間もなく初採りの時期を迎える。
そして11月に定植したタマネギは、気温上昇とともに 急に元気が出てきた。

春も本番となり、5日の「啓蟄」を迎えてから 畑仕事も急に忙しくなってきた。
畑は2月下旬に、自家製の堆肥と石灰や化成肥料を施して耕作しておいた。
それまでの仕事は、冬野菜の収穫と片づけや雑草取りと果樹の選定だった。
10日はジャガイモの植え付け、高い畝を作り「男爵」1.4キロと 「インカノヒト
ミ」0.7キロを植え付けた。 量が半端なのは兄弟にも分けてあげたから・・・。
それでも豊作ならば、老人二人の我が家では食べきれない量が収穫できる。
この日はさらに一仕事、レタス・ブロッコリー・カリフラワーの種を鉢に播いた。
そして11日は、ハウス内の床に種を播いて 育てたキャベツの苗を定植した。

つづいて12日には 長ネギの移植、 昨年9月の下旬に種を播き 発芽させて
育ててきた幼苗が、ほど良くなったので 畑に深めの溝畝を掘って移植した。
今後は、真夏の7月に もう一度深溝を掘って植え替えをして 徐々に土かけ
をしながら、白い部分の長い「長ネギ」 になるよう育てて 初冬から収穫する。
『播種から収穫まで14ヶ月、我が家で最も長く栽培する野菜だ』と、独り言。
長ネギだけに茎が長い、でも私にとっては栽培期間が「長いネギ」と言える。
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