ひげ爺の独り言

髪が薄くなり髭はごま塩の「ひげ爺」、旅行会社を定年退職して16年。 高齢となって転居した大宮での隠居ぐらしを投稿します。

ひげ爺菜園は秋の模様に

2017-09-26 08:59:14 | 家庭菜園・庭・花 
23日の秋分を過ぎ、これからは昼よりも夜の時間が 少しづつ長くなってゆく。
秋の「ひげ爺菜園」は、夏野菜中心の姿から秋冬の野菜中心に様変わりした。
ハウス内のキュウリ・トマトの収穫が終了し、後片付けをしなければならない。
畑ではカボチャが豊作だったので、彼岸の来客に「手づくりジャム」に加えて
お渡したが、夏野菜が終わった今は ナスとオクラの 2種を 残すだけとなった。

7月末に播いた 小松菜と山東菜の一番手が、収穫期を迎えて 重宝している。
彼岸を迎えて サトイモの収穫を開始、初採りした芋はけんちん汁で味わった。
近所の里芋は元気ないが、我が家の里芋は立派に育ちイモ付き状態も良い。
少ないが 栗も収穫して食べ、間もな イチジクとキクイモの収穫もはじめたい。
一方で冬野菜が目白押し、8月初旬に床播きしたキャベツとブロッコリーの苗
を下旬に移植、15センチほどになったので 防虫ネットのトンネルづくりだ。
同じ下旬に種をまき9月11日に移植の白菜は、葉を大きく横に広げてきた。
露地まきした大根一番手は、発芽/土かけ/間引き/の後で 本葉を広げている。
お彼岸前に、2番手小松菜・かき菜・大根の2番手・レタス・春菊を播いた。
昨日タマネギの種を播いたが、間もなくほうれん草や長ネギの種を播く予定。

8月下旬に植え込んだ秋まきジャガイモは、順調に芽を出したあと葉茎を30
センチに伸ばし、育成状況が良いので 11月末から新ジャガが食べられそう。
ちょっと心配なのが柿、今年は実成りが非常に悪く 数えたら幾つもない状態。
『毎年獲れすぎて困る柿、今年は柿不足で糖尿の私にはいいね』 と、独り言。
栽培・収穫を自慢げに書いたが、実は土造りや雑草取りや病虫害が 大仕事。
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街なか散歩12 〔栗橋/中田〕

2017-09-12 07:59:44 | 旅行・秘湯・巡礼 
この日は、旧日光街道の「栗橋宿」と利根川対岸「中田宿」を歩くことにした。
栗橋宿は江戸から7番目の宿で、利根川対岸の中田宿と合い宿の形態だった。
栗橋駅東口を出て、左手に道を進むと 右側に「静御前の墓」 の小公園がある。
義経を慕って 奥州平泉に向かった 静御前が、この地で義経の死を聞いて 悲し
みのなかで 病に伏した終焉の地と云われ、その遺体を 郷人が弔ったと伝わる。
いったん駅前に戻り、駅前通りを東に進み 旧日光街道の『栗橋宿』を目指した。

10分程歩くと旧街道筋に出て、東三丁目を右折して間もなくの「顕正寺」へ。
そこには、江戸時代初期に「栗橋宿」を開発した 「池田鴨之介」の墓があった。
寺前を北に向かう街並みが「栗橋宿」なのだが、右手にある利根川の堤防拡張
による引堤工事中で、古い町並みの面影は全くなく 空き地や工事用地が多い。
道を進むと本来なら、三大関所の一つ 「栗橋関所」跡や 「池田屋本陣」跡があ
るのだが、利根川のスーパー堤防化工事のために移転し「更地」になっていた。
それでも、宿場の最奥地にある栗橋の鎮守「八坂神社」 は 未だ現存している。
神社が接する利根川に、大正時代まで「房川渡」(ぼうせんわたし)があった。

坂道を利根川堤防上にのぼり、国道四号の橋を渡り 茨城県古河市に入った。
橋詰めを左に下った所が 「中田 」集落ではあるが、そこは 大正初期の河川拡
張工事で 「旧中田宿」 が移転してきた所で、宿場町は川中に 消えてしまった。
静御前の舞衣を保存する「光了寺」まで進み、栗橋に戻って 散策は終了した。
『旧中田宿は河川敷のナカダった、現在のナカタ集落ではナカッタ』 と、独り言。
栗橋の堤防拡張が終われば、堤防上には 新しい「栗橋宿」が出現するはずだ。
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