みずみずしい野菜は誰のおかげ?
わが家の家庭菜園は、この春、妻が「自家野菜で家計を補うのよ!」とえらく張り切って始めた。
が、いつの間にやら、妻はその役割を放棄し、畑を耕し野菜を育てるのは、私の役目になってしまったのだ。
そんな時に限って、酷暑渇水という大変な夏が来るから、オレはついていない、畑の土はカラカラで、野菜を枯らさないためには、川から水を汲んでこなければならないときた。それもひと往復では焼け石に水という厳しい状況である。
某テレビ局の『大草原の小さな家』を思い出して、
「オイ、異常事態なんだから、手を貸してくれ。家族みんなで協力したら、水運びだってラクに終わるんだからよう」
とわたしがいうと、
「そうね、子どもたちにも手伝わせましょう。わたしも家事を済ませたら行くわね~~」
と女房。とりあえずその言葉を信じたわたしと子どもたちは、炎天下の中、汗ダクダクで水運びをした。が、女房がやってきたのは、狙いすましたように、水汲みがちょうど終わったタイミング。で、いかにも残念そうに、
「あら、もう済んでるじゃないの。これじゃわたしの出番あらへんね。みんな、えらいえらい!」
といいやがった!もう口あんぐり。開いた口がふさがらないとはこのことだ!本当にエラかったよ、オレたちは!
以来、夏の間じゅう、「家事が…」「せんたくが…」だのと連発して、水汲みを逃れた女房。さらに憎たらしいことに、残暑厳しい八月の終わりに、こういったのだ。
「今年は、夏野菜に不自由しなかったわね。家庭菜園をを始めたわたしのおかげだと思って、みんな感謝しなさいよっ!
この女房のひと言を聞いて、ブッ倒れてしまったのは、わたしと子どもたち。ホント、いい根性してるじゃねえか、おぬし!
(週刊ポスト平成六年十月掲載)
おんなたちへ!
なんとも恐ろしいテーマを与えられたものであるが、年々だらしなくなる男どもを尻目に過激な勢力拡大をはかる女、そんなおっそろしい領域に触れてみるのも、また一興といってよかろう。
といっても小生の女性遍歴?、自慢じゃないが片手で数えるにはおこがましいほどの乏しさである。それも割合好みが偏り過ぎるきらいがあって、血液型はBかAB。自由な気風でいて男を立ててくれる矛盾いっぱいのタイプがほとんど。つまり小生にとっては実に都合のいい女たちだった。もちろんフラれた相手もいるが、それはそれで充分いい思い出として残っている。そんな近視眼的な小生の軽口、さて一体どうなるものやら。
小生、二年前までは喫茶店のマスター。それ以上に長いキャリアを誇る道楽とも言えるアマ劇団活動の中で、第三者的にはけっこう多彩な女たちを垣間見てきているが、いまだにこれはと瞠目した女にお目にかかったことはない。帯に長し……云々なのは、別に理想が高いせいだけではあるまい。
『女の時代』を背負って輝いている女性とは時々出会うが、そんな彼女は大体可愛さが足りないときている。男を男とも思わぬ態度にはむかっ腹さえ立つ。可愛さを押し出している女性は全く逆で『女の時代』とは無縁の、なぜか保守的にこだわるタイプ。
これまた戸惑わざるを得ない。
血液型なら前者がO、後者がAって感じかな。これは小生の持論に過ぎないので、あしからず。
『女の時代』ってのも、どうも納得しがたい。あれはマスコミの先走りにすぎず、ミスコン・風俗産業の衰え知らずの社会を見るかぎり、『浮かれるな女たち!』といいたくもなる。
生理的な面を考慮しても、しょせん男とおんなそれぞれの役割が違うのも当然と言える。それを無視してすべてを均等にしようとするから無理が生じる。無理は絶望を生む。結婚しない。産まない。家事はしない……もう勝手にしろ!ってんだ。ついでにセックスも放棄しちまえ。それよりも、環境破壊、戦争……いま世界に渦巻く破滅現象に、しっかりと目を向けるべきだ。
これらをくい止める抑止力に、女性の力は必要不可欠の存在である。貪欲な男たちの野望を暴走を、女性のみが持ち得る、無限の大きくて深い母性で包み込んでしまう。これこそ『女の時代』における女性たちの真の役割ではないだろうか?女なくして地球の未来は考えられないのである。
支離滅裂で申し訳ないが、実は胸がスーッとする小生。いくらどのような文句を並べたてようとも、しょせん女好きな男の甘えが根底にあるのは明白である。
(女の雑誌・あっぷテンポ平成3年春掲載)
わが家の家庭菜園は、この春、妻が「自家野菜で家計を補うのよ!」とえらく張り切って始めた。
が、いつの間にやら、妻はその役割を放棄し、畑を耕し野菜を育てるのは、私の役目になってしまったのだ。
そんな時に限って、酷暑渇水という大変な夏が来るから、オレはついていない、畑の土はカラカラで、野菜を枯らさないためには、川から水を汲んでこなければならないときた。それもひと往復では焼け石に水という厳しい状況である。
某テレビ局の『大草原の小さな家』を思い出して、
「オイ、異常事態なんだから、手を貸してくれ。家族みんなで協力したら、水運びだってラクに終わるんだからよう」
とわたしがいうと、
「そうね、子どもたちにも手伝わせましょう。わたしも家事を済ませたら行くわね~~」
と女房。とりあえずその言葉を信じたわたしと子どもたちは、炎天下の中、汗ダクダクで水運びをした。が、女房がやってきたのは、狙いすましたように、水汲みがちょうど終わったタイミング。で、いかにも残念そうに、
「あら、もう済んでるじゃないの。これじゃわたしの出番あらへんね。みんな、えらいえらい!」
といいやがった!もう口あんぐり。開いた口がふさがらないとはこのことだ!本当にエラかったよ、オレたちは!
以来、夏の間じゅう、「家事が…」「せんたくが…」だのと連発して、水汲みを逃れた女房。さらに憎たらしいことに、残暑厳しい八月の終わりに、こういったのだ。
「今年は、夏野菜に不自由しなかったわね。家庭菜園をを始めたわたしのおかげだと思って、みんな感謝しなさいよっ!
この女房のひと言を聞いて、ブッ倒れてしまったのは、わたしと子どもたち。ホント、いい根性してるじゃねえか、おぬし!
(週刊ポスト平成六年十月掲載)
おんなたちへ!
なんとも恐ろしいテーマを与えられたものであるが、年々だらしなくなる男どもを尻目に過激な勢力拡大をはかる女、そんなおっそろしい領域に触れてみるのも、また一興といってよかろう。
といっても小生の女性遍歴?、自慢じゃないが片手で数えるにはおこがましいほどの乏しさである。それも割合好みが偏り過ぎるきらいがあって、血液型はBかAB。自由な気風でいて男を立ててくれる矛盾いっぱいのタイプがほとんど。つまり小生にとっては実に都合のいい女たちだった。もちろんフラれた相手もいるが、それはそれで充分いい思い出として残っている。そんな近視眼的な小生の軽口、さて一体どうなるものやら。
小生、二年前までは喫茶店のマスター。それ以上に長いキャリアを誇る道楽とも言えるアマ劇団活動の中で、第三者的にはけっこう多彩な女たちを垣間見てきているが、いまだにこれはと瞠目した女にお目にかかったことはない。帯に長し……云々なのは、別に理想が高いせいだけではあるまい。
『女の時代』を背負って輝いている女性とは時々出会うが、そんな彼女は大体可愛さが足りないときている。男を男とも思わぬ態度にはむかっ腹さえ立つ。可愛さを押し出している女性は全く逆で『女の時代』とは無縁の、なぜか保守的にこだわるタイプ。
これまた戸惑わざるを得ない。
血液型なら前者がO、後者がAって感じかな。これは小生の持論に過ぎないので、あしからず。
『女の時代』ってのも、どうも納得しがたい。あれはマスコミの先走りにすぎず、ミスコン・風俗産業の衰え知らずの社会を見るかぎり、『浮かれるな女たち!』といいたくもなる。
生理的な面を考慮しても、しょせん男とおんなそれぞれの役割が違うのも当然と言える。それを無視してすべてを均等にしようとするから無理が生じる。無理は絶望を生む。結婚しない。産まない。家事はしない……もう勝手にしろ!ってんだ。ついでにセックスも放棄しちまえ。それよりも、環境破壊、戦争……いま世界に渦巻く破滅現象に、しっかりと目を向けるべきだ。
これらをくい止める抑止力に、女性の力は必要不可欠の存在である。貪欲な男たちの野望を暴走を、女性のみが持ち得る、無限の大きくて深い母性で包み込んでしまう。これこそ『女の時代』における女性たちの真の役割ではないだろうか?女なくして地球の未来は考えられないのである。
支離滅裂で申し訳ないが、実は胸がスーッとする小生。いくらどのような文句を並べたてようとも、しょせん女好きな男の甘えが根底にあるのは明白である。
(女の雑誌・あっぷテンポ平成3年春掲載)