こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

運動神経

2015年01月11日 00時15分57秒 | 文芸
運動神経?

自慢できるもんじゃないが、運動神経の鈍さだけは物心ついて以来このかた、誰にも負けたことはない。そして、それは劣等感となって、いまだに私を支配している。
 棒のぼりダメ、跳び箱ダメ、鉄棒ダメ……体育の時間がくるたびに、私は同級生の笑いにさらされたものだ。今日、なんとかマトモな夫であり、父になれたのが不思議といっていいザマの連続だったのである。
 昨年亡くなった、二人きりで年子の兄がこれまたとびきり運動神経のスグレ者だったから、余計に私のダメさ加減が目立ったようだった。当時は、そんな兄を恨めしく思った記憶がある。
 現在も私の運動神経の鈍さは全く変わっていない。妻は、そんな私を承知しているが、問題は子供たち。幼いうちはなんとかゴマカせたが、上の二人が小学生になった今、万事休すである。
「お父さん、ボール投げしよう」
「泳ぎに行こう」
「木登りしよう」
 ……ああ……っ!
「お父さん忙しいから、お母さんが代わりに」
 なんて妻の助け舟に感謝の毎日だが、いずれは父の正体を明かさなければならない日が……。        (1991年記)

新しい年に誓う

 一昨年、思わぬ事故で急逝した一歳違いの兄の年をついに追い越して迎えた、新しい年。兄の分も生きるつもりで、張り切らざるを得ない。
 と言っても、私は私の道をひたすら突き進むしかないのだ。しかし、唯一の理解者でもあった兄がいつも一緒だと思うと心強い。
 1992年は、私が芝居作りにかかわり始めてなんと二十五年目の年だ。それも華々しいプロの世界ではなく、地味で目立たぬ地方都市でのアマチュア劇団。ここで、コツコツと舞台を作り続けてきたのである。記念すべき、忍耐と出費の年月だった。
 二十五年間で役者、舞台監督、照明及び効果スタッフ、演出、脚本、といろんな分野を担当して、十二年前からは劇団を主宰している。それも仕事との両立だから、我ながらよくやっていると感心している。実体は怠け者で不器用なのだから。
 その集大成を披露すべき、新しい年なのだ。兄への思いも込めて全力投球である。すでに書き進めている二本の脚本。「星雲忠臣蔵」「オズ・ワールド」だ。二十人近い若者たちと、汗と涙を流して目指す、私たちの晴れ舞台でもある。資金の乏しさは、体力と情熱でカバーする。
 やるぞ!わが二十五年駆けて来た道!
(1192年記。サンデー毎日掲載)
コメント
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