こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

根日女昇天・その2

2015年01月27日 00時22分55秒 | 文芸
その月日を根日女は兄弟皇子のどちらとも選べぬままに過ごしてきた。心根が優しいゆえに根日女は、わが身に熱い思いを寄せてくれる彼ら皇子らの心を傷つけることなぞ考えられなかったのである。
 オケとヲケの兄弟皇子は、先の大王の執拗な追跡の手を逃れるために、苦難の道を共に助け合い励まし合い生きて来ている。艱難辛苦を共有するなかで培われた兄弟愛と強く育った信頼と絆は並みなことでは崩れぬ強固なものとなっていた。たとえ根日女であっても容易には踏み込めぬ何かが二人にはあった。
 先の大王の崩御は、大和朝廷の勢力図絵を一挙に塗りかえた。大王には跡を継ぐ子がなかった。そこで担ぎ出されたのが、大王と腹違いになる妹、オシヌミノイラツメだった。暗殺された前の大王と同腹の兄妹ではあったが、女だからと、一族殺戮の危機から辛うじて逃れていた。そのイラツメが大王なきあとの大和の権力の中枢に奉られたのである。
 幸か不幸かイラツメはオケ、ヲケの父である暗殺の憂き目にあった前の大王とは同腹の兄妹だった。イラツメは兄の忘れ形見の兄弟皇子が播磨の地に隠遁していることを知った。彼女は迷うことなく播磨に勅書を送ると、兄弟皇子を次の大王に据えるべく兄弟皇子を都に迎えようと考えた。イラツメに命じられた使者は、賀茂の里に隣り合わせる志染の里に直ちに向かった。兄弟皇子は志染の長のもとに身を潜めていたのである。
 使者を迎え、大和の国の実情を知らされた兄弟皇子はイラツメの期待に応えるべく決意を固めた。しかし、根日女との決着しようがない愛を、時が流れにまかせて自然の解決を委ねていた兄弟皇子は、躊躇せざるを得なかった。されど、つまるところ彼らが大和の都に戻ることは、暗殺された父王の無念を晴らすための第一歩だった。追っ手の影に怯えながらひたすら耐えしのんできた。兄弟皇子が抱き続けた夢を実現する環境は都にしかないのである。結局、兄弟皇子は都に戻る道しか選択肢はなかった。
「われらが国づくりに励む姿を、根日女、そなたに傍で見守ってほしい。そなたは、大和の妃に、大和の国母となるために、われらとともに都にのぼると運命づけられておるのだ。われらと出会ったは、まさしく神のお導きだったに間違いあるまい。さだめに準じて、われらとともに都に参られよ」
 都へ出立する前日。別れの宴席で、したらか呑み過ぎた祝い酒の酔いに任せて、兄皇子のオケは、その知的な風貌に似つかわしくない、未練をあらわに露骨に過ぎる熱情を持ってしつこく根日女に迫った。兄と違い野性的な風貌の弟皇子のヲケも、血の気の多さを丸出しで、根日女に翻意を訴えた。
「そなたなしでは、もはやわしの明日はないも同じ。わしは、根日女という女人が好きじゃ!そなたが好きじゃ、そなたが欲しい!都に参ってわしの子を産んでくれい!」
「……」
「ヲケ、見苦しいぞ。心を抑えよ、人前じゃ。われらが根日女に恥をかかせてはならぬぞ」
「なにをいうておる。ならば、兄者は、兄者は根日女を欲しいとは思わぬか?なんと根日女への思いは、口先に過ぎなかったか!」
「そうではない。根日女を想う心はお前には負けぬ。しかし、いかほどに女人への思いが強かろうと、それに甘んじたあまりに野蛮な振る舞いは許されないのだ。わしらは男じゃ、わしらは大和の血を継ぐ気高き皇子なのだ」
「馬鹿な。男が女人を好きになったら、是が非でもその心をわしが独り占めにしたいのは道理だろうが。いかに競う相手が敬愛すべき兄者じゃとて、恋敵にはわしは遠慮せぬぞ。いいか!わしの根日女への思慕は何人にも劣りはせぬ!」
「ヲケよ。この兄が根日女を想う心根が、そなたに負けると思うておるか。愚かだぞ、ヲケよ。男が女人を愛する心に優劣などあろうはずがないではないか!」
「ならば、ここで決着を図ればよい。兄者よ、いかに!」
 酒の勢いを借りているだけではない。根日女との別れを眼前に生じた激しい動揺が、これまで抑制をかけていた兄と弟のタガを外させ、ここぞとばかり心情を赤裸々にぶつけ合うのだった。
 根日女はわれを忘れて二人の間に割って入った。
「お待ちください!わたしごときのために、ご兄弟が醜い争いをなされてはなりませぬぞ」           (続く)
(おーる文芸誌・独楽1995年3月掲載)
 



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