こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

求められる喜び

2015年01月14日 00時07分02秒 | 文芸
求められる喜び 

十二月十五日、六十歳の誕生日を迎えた。十三年勤めた仕出し弁当の料理製造会社が定年になる日。誕生日が現役引退と重なる皮肉な話である。嘱託の話はあったが、あっさりと断った。
 二か月前に入院している。数個あった大腸ポリープの摘出手術で一週間のベッド生活。同部屋の似通った年齢の患者仲間と接したりしているうちに、これまでの真面目一辺倒の人生観に変化が生じた。残された人生、これまでと違う仕事をしたくなった。
 二十一歳で調理師学校に進み資格を得て以来、四十年に渡って調理畑の仕事ばかりだった。洋食レストランに始まり、スナック喫茶、駅ビルレストラン、郊外型レストラン。そして喫茶飲食店で独立した。十年目に店を閉めて今の会社に調理担当として採用された。深夜勤務で十三年、少し疲れたというのが本音だったかも知れない。無性に調理の世界から離れたかった。
 料理製造会社を退職すると、正月三が日までの二十日余りをのんびりと過ごした。英気を養ったところで、ハローワークに足を向けた。気合は十分だったが、六十男の職探しは容易ではなかった。朝早くからハローワークの列に並び、求人情報を競って求めた。すぐ正職は諦めた。調理師の資格を生かした仕事ならまだしも門外漢の職種志望なのである。
 結局地元のスーパーマーケットにパートで採用された。モノを売る仕事は昔から憧れていたから嬉しかった。ただ面接時に小テストを受けさせられたのには少々面食らった。簡単な計算を、筆算で限られた時間で何問出来るかが課題だった。自分の頭がもう若くないことを思い知らされた一件である。
 店の担当部門は加工。清涼飲料水、乾麺、粉もの、菓子、調味料……の棚への補充から在庫管理に発注とかなり複雑だ。消費期限、賞味期限、製造日……覚えることは多かった。パソコンや発注機の操作もこなせなくては仕事にならない。もう必死だった。六十年生きて来て得た自身も自負もかなぐり捨てた。
 朝早く家を出ると、店舗まで歩いた。一時間近くかかったが、足腰の衰え防止のためだと続けた。(俺ってもう六十や!いつ死ぬか分からへん。後悔しとうない)との思いが日を追って強くなった。テレビで知った同世代の俳優や有名人が急逝した影響だった。
 仕事は先走る気持ちに反しての一進一退。それでも結構楽しかった。買い物客との会話も仕事への励みに繋がった。かなり高齢のお客さんには自然と手を差し出した。買い物のアシストを務めながら、(この俺がお役に立ててる)と笑顔が生まれた。調理の仕事では全く機会のなかった人間相手のコミニュケーションは、対面販売のスーパーマーケットだから実現したのだ。
「気ぃー抜いたらあかんよ、齋藤さん。私らはモノ売るだけやないんやで。お客さんの健康に責任持たなあかんねんやから」
 加工部門の主任にこっ酷く叱られた。製造日から計算して消味期限をラベル出しするが、ぼんやりして日にちの計算を間違えてラベル印字してしまったのだ。息子ぐらいの若い主任にぼろくそに言われては落ち込むしかない。しかし、すぐ気付いた。自分の仕事への取り組みに気の緩みが生じたら、お客さんに取り返しのつかない羽目になる。店の信用も落としてしまう。いくらパートであろうと私も店を代表する一人なのだ。
 六十五歳。二度目の定年を迎えた。加工部門の後輩たちが花束を贈ってくれた。「ご苦労様でした。またシルバーで来てください」 
 涙が出た。まだまだ私には求められて働く場所がある。年甲斐もなく胸が熱くなった。
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