゛男の屑゛と言った女への憤り
二十六歳にして畑違いの外食産業へ転職した私は、当初こそ独立の夢を描いて着々と歩を進めていたものだが、実習現場に選んで入った喫茶店、この職場が不思議と水が合ったのか、
(このまま、ここで働き続けてもいいな)
なんて気持ちになってしまっていた。
オーナーも抱擁力があり、同僚も好人物ばかりだったせいもあるが、なんといっても大恋愛中ってのが一番の理由だった。愛する女性の存在は、私に安全志向を優先させていた。
「今度新しい店を出すんだが、齋藤君にマネージメントをやって貰おうと思っている」
オーナーに買われた私は即座にマネージャーを引き受けた。恋愛相手のA子も新しい店にアルバイトとして同行した。A子は当時女子大生三回生で、私が働いていた職場のアルバイトとして入って来たのに、私が一目ぼれ
して付き合い始めたのである。
新しい店のスタートで、すべてのものが揃った感のある私は幸福の絶頂にいた。自分の店を持って独立するなんて、とっくの昔に考えなくなっていた。現状に満足しきっていたのである。
ところが、この新しい店、案外立地に恵まれていなかったようだ。おかげで最初から悪戦苦闘の連続となった。もちろん、その間もA事わたしとの熱い交際は続いていた。もしかしたら、マネージメントで生じるストレスを解消するために、」ことさらA子にのめり込んでいったのかも知れなかった。
「君には期待はずれだったな。売り上げ不振の責任は取って貰わなあかん。まあともかくご苦労さんやった」
オーナーの冷ややかな首切り宣言だった。しかし、恋愛中の私には、どうでも良かった。A子がいてくれればいい。現実の煩わしさなど考えたくもなかった。
職無しになった私には、A子に溺れる日々だけが残されていた。
そんなある日、A子が深刻な顔で言った。
「自分の店を持つんだと頑張っていたあなたが好きだったの。マネージャーで挫折しても、きっと立ち直ると信じてたのよ。でも、結局ダメ!毎日毎日、グズグズネチネチと、男の屑になってしまった。もういや、付き合えない!もう連絡しないで!」
強烈なカウンターパンチだった。
A子に去られた私は、しばらくは魂を嘘なった亡霊みたいなものだった。何をする気力も湧かず、アパートの自室に閉じ籠ってしまった。
三日ぐらいたった頃、それまで真っ白だった私の脳裡に、フツフツとしたものが生まれていた。だらしない自分に、首を切ったオーナーに、そしてA子の最後通牒に、私はとめどもなく怒りを覚えたのである。
(くそったれ!みんな馬鹿にしやがって!よーし、やったるわ!俺は、自分の店を持ったる!)
自分の頭をポカスカ撲った。痛かった。しかし、その痛みが私の覚悟を決定的なものにしたと言っていい。忘れられぬ痛みとなった。
その日を境に、私の、絶対後には退けぬ挑戦が始まった。私は全く別人になっていた。
二年後、私は喫茶店を開店させた。
夢を実現させた私には、もう怖いものはなくなった。
(……俺は……男の屑じゃないぞ!)
地震にあふれた私が、そこにいた!
(小説すばる・1990年11月掲載文)
二十六歳にして畑違いの外食産業へ転職した私は、当初こそ独立の夢を描いて着々と歩を進めていたものだが、実習現場に選んで入った喫茶店、この職場が不思議と水が合ったのか、
(このまま、ここで働き続けてもいいな)
なんて気持ちになってしまっていた。
オーナーも抱擁力があり、同僚も好人物ばかりだったせいもあるが、なんといっても大恋愛中ってのが一番の理由だった。愛する女性の存在は、私に安全志向を優先させていた。
「今度新しい店を出すんだが、齋藤君にマネージメントをやって貰おうと思っている」
オーナーに買われた私は即座にマネージャーを引き受けた。恋愛相手のA子も新しい店にアルバイトとして同行した。A子は当時女子大生三回生で、私が働いていた職場のアルバイトとして入って来たのに、私が一目ぼれ
して付き合い始めたのである。
新しい店のスタートで、すべてのものが揃った感のある私は幸福の絶頂にいた。自分の店を持って独立するなんて、とっくの昔に考えなくなっていた。現状に満足しきっていたのである。
ところが、この新しい店、案外立地に恵まれていなかったようだ。おかげで最初から悪戦苦闘の連続となった。もちろん、その間もA事わたしとの熱い交際は続いていた。もしかしたら、マネージメントで生じるストレスを解消するために、」ことさらA子にのめり込んでいったのかも知れなかった。
「君には期待はずれだったな。売り上げ不振の責任は取って貰わなあかん。まあともかくご苦労さんやった」
オーナーの冷ややかな首切り宣言だった。しかし、恋愛中の私には、どうでも良かった。A子がいてくれればいい。現実の煩わしさなど考えたくもなかった。
職無しになった私には、A子に溺れる日々だけが残されていた。
そんなある日、A子が深刻な顔で言った。
「自分の店を持つんだと頑張っていたあなたが好きだったの。マネージャーで挫折しても、きっと立ち直ると信じてたのよ。でも、結局ダメ!毎日毎日、グズグズネチネチと、男の屑になってしまった。もういや、付き合えない!もう連絡しないで!」
強烈なカウンターパンチだった。
A子に去られた私は、しばらくは魂を嘘なった亡霊みたいなものだった。何をする気力も湧かず、アパートの自室に閉じ籠ってしまった。
三日ぐらいたった頃、それまで真っ白だった私の脳裡に、フツフツとしたものが生まれていた。だらしない自分に、首を切ったオーナーに、そしてA子の最後通牒に、私はとめどもなく怒りを覚えたのである。
(くそったれ!みんな馬鹿にしやがって!よーし、やったるわ!俺は、自分の店を持ったる!)
自分の頭をポカスカ撲った。痛かった。しかし、その痛みが私の覚悟を決定的なものにしたと言っていい。忘れられぬ痛みとなった。
その日を境に、私の、絶対後には退けぬ挑戦が始まった。私は全く別人になっていた。
二年後、私は喫茶店を開店させた。
夢を実現させた私には、もう怖いものはなくなった。
(……俺は……男の屑じゃないぞ!)
地震にあふれた私が、そこにいた!
(小説すばる・1990年11月掲載文)