きのうはブリしゃぶを夕食に。
冬野菜を堪能して、
ブリで贅沢気分を味わえる。
ブリは娘からのお裾わけ。
高知を旅してきたらしい。
体もあったまり、
幸せ気分に浸れる。
最近は鍋も多彩で、
その時の気分にあわせたものが食べられる。
いい時代になったものだ。
子供の頃は、
鍋といえば「すき焼き」だった。
それも牛や豚ではなく、
かしわ一辺倒。
家で飼っている鶏を、
父が器用にさばいたものだ。
野菜一杯のとりすき、
あの頃は最高の贅沢な料理だった。
田舎で生まれ育った私には、
それが普通だった鍋事情。
鍋を囲んだ、
今は亡き両親、祖父、兄の笑顔が浮かんでくる。
控えめな笑顔は我が家の個性。
それでも家族の心は、
一つにつながっていたのだ。
きのうは夫婦二人で囲む(?)ブリ鍋。
それなりの贅沢感にホッコリ感。
シメはご飯を加えて、
完食したのである。
冬野菜を堪能して、
ブリで贅沢気分を味わえる。
ブリは娘からのお裾わけ。
高知を旅してきたらしい。
体もあったまり、
幸せ気分に浸れる。
最近は鍋も多彩で、
その時の気分にあわせたものが食べられる。
いい時代になったものだ。
子供の頃は、
鍋といえば「すき焼き」だった。
それも牛や豚ではなく、
かしわ一辺倒。
家で飼っている鶏を、
父が器用にさばいたものだ。
野菜一杯のとりすき、
あの頃は最高の贅沢な料理だった。
田舎で生まれ育った私には、
それが普通だった鍋事情。
鍋を囲んだ、
今は亡き両親、祖父、兄の笑顔が浮かんでくる。
控えめな笑顔は我が家の個性。
それでも家族の心は、
一つにつながっていたのだ。
きのうは夫婦二人で囲む(?)ブリ鍋。
それなりの贅沢感にホッコリ感。
シメはご飯を加えて、
完食したのである。