こころの文庫(つねじいさんのエッ!日記)

家族を愛してやまぬ平凡な「おじいちゃん」が味わう日々の幸せライフを綴ってみました。

お手伝い

2020年08月21日 02時17分58秒 | つぶやき
やはり暑くなった。
畑に向かうが、
パラソルを立てて作った日陰で、
しばし呼吸を整えた。
一気に水やり作業をやってのけるためだ。
目を揚げると周囲の田んぼが視野に入った。
かなり育った苗を押さえつけるかのように、
稗が育っている。
放っておくと稲を超えるほど伸びる。
しかも茎は硬く竹のようになる。
早めに引き抜いておくに限る。
といって暑い中の作業は見てる以上に過酷だ。
現在は除草剤を効かせたりするが、
当時は人海戦術に頼らざるを得ない。
小さな子供だって戦力扱いである。
元よりお手伝いが好きな子供はまずいまい。
嫌々ながら駆り出されながらも、
目の前で汗をだらだら流しながら、
稗取り作業に真剣な親の姿が、
子供の心を突き動かしたりする。
振り返ってみれば大変な時代を生きてきたわけだ。
ただその苦労は大人になってからかなり役立つことになる。

さて「ふるさと川柳IN加西」入選作品尾一覧を作っています。
一句一句を改めて読めば、
作品の良さに気付く。
やはり5・7・5の世界は絶妙と言わざるを得ない。
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泳げない

2020年08月20日 02時32分45秒 | つぶやき
こう暑いと
やはり川や海が恋しくなる。
といっても泳ぐわけじゃない。
チャプチャプと波打ち際で
足を浸す程度でいい。
子供のころからまるっきり泳げない。
小学校で夏になると、
海水浴の行事がある。
学校にプールのない時代だから、
子供たちは大喜びする。
しかし私は逆にしょげる
膿へ行くと、
泳げるものと泳げないものに分けられる。
それが恥ずかしかった。だれも見向きもしない。
海を満喫するのに目いっぱいなのだ。

大人になっても泳げないまま。
そして親になっても変わらなかった。
泳げない親は大変だ。
海やプールへ連れて行ってくれとせがむ子らを、
妻に任せて、
「おとうさん、海が嫌いなんや」「海水パンツ持ってない」
などと弁解していくことはなかった。

子供らは学校にプールがあり、
コーチまで恵まれた子供らは結構泳げる。
そんな子らの前で恥を晒したくない。
考えてみればいろんな理由を作ったものだ。
妻も協力して、
子供の目に、父親のナナヅチぶりを披露せずに終わった。

この夏はコロナで誰も海やプールなど口にする者はいなかったが、
いつかは孫らが「海へ連れて行って」と言い出すかも知れない。
いい言い訳を考えておかなければなあ。(ウン)

またスキャナーの調子が悪い。
スマホで撮ってメールでパソコンに送り込んだが、写りが。悪い
なんとかしなきゃ。

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いやはや

2020年08月19日 07時57分25秒 | つぶやき
ここ二日ほど、
酷暑と多忙が重なり、もうクタクタ。
年令を感じています。
とにかく「ふるさと川柳」の
入賞作品の展示と、
表彰状と副賞送付の手配も済ませて「ホッ」
「根日女創作倶楽部通信9月分も発行にこぎつけ、配布。
9月から始まる文芸祭の準備も最終段階へ。
打ち合わせや何かも続き、
畑仕事もままならず、
雑草だけが勢いを増しています。(ため息)
とはいえ食事作りは手を抜けずという悪循環。

雨雨ちょっと降れ~~♪と
神頼みの心境です。
日々に少しでも潤いを取り戻せたら……。、
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夜はイキイキ

2020年08月18日 02時14分15秒 | つぶやき
深夜二時前。目は冴えっぱなし。
長い間に身についてしまった習慣は恐ろしい。
夜型人間の兆しが始まったのは高校3年の夏。
アルバイトのおかげだった。
深夜までやっていた本屋さんで、
遠い親戚。
本は好きだったから、
父経由で頼まれて即OK。
しかし、最初は夜10時過ぎになると
眠くなって困った。

就職した後も、
趣味は夜中心の活動。
そして調理師になってからは、
常識的な時間から遠ざかってしまった。
極めつけが、
40代後半から勤めた弁当製造工場。
夕方から朝5時ごろまでの夜勤専従である。
昼夜逆転の生活が10数年続くことになった。
定年退職後も、夜型人間はカイゼンしないまま。

まあ18日は予定がある。
「ふるさと川柳」入選作品を展示披露し、
入賞者に賞状と副賞を郵送しなければならない。
コロナに翻弄された企画に
ケジメをつけると思えば苦にはならない。
それに何かやっていると、
年をとる速度がのろくなる気がする。

次の企画は9月の『文芸祭2020」。
ゲストにデザイナー夫婦の作品出品が決定して、
エンジンフルパワーである。
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うだる暑さの中で

2020年08月17日 01時27分35秒 | つぶやき
暑すぎる。
昨日は家の中にいても
蒸し風呂状態。
何年か前までは、
暑さを凌ぐのに、
ウチワか扇風機しかなかった。
後はすっぱだかになるだけ。
田舎だから窓を開け放しておくと、
風邪があればかなり温度が下がる。
あれやこれやとない知恵を絞ったものだ。
「熱中症で倒れてるお父さんの発見者になりたくない」
娘の一言でクーラー導入となった。
二年前だった。
それ以降は酷暑がひどくなるばかりで、
タイミングがばっちりだった。
部屋の外に出て少し作業をして、
すぐクーラーのかかった部屋に戻る。
その繰り返しで、
9月に図書館でやる
「根日女創作倶楽部2020文芸祭」の
準備を少し片づけた。
しかし、暑さは尋常じゃないので、
程々に切り上げた。(フゥ~)

大スター渡哲也が死去したニュースを
またやっていた。
私にとってのスターたちが
次々といなくなってしまう。
そんなかで一番ショックだったのは、
緒形拳の死だった。
実は緒形拳に肉筆のサインをもらったことがある。
当時私が所属していたアマ劇団『混沌』から、
別のアマ「劇団姫人座」に客演したのが、
矢代静一の『夜明けに消えた』で主役の青年。
その役を緒形拳がやっていたのだ。
同じ矢代作品『悲しき恋泥棒』公演で
姫路に来られたので楽屋を訪ねた。
気さくに対応に気をよくして、
持ち込んだ写真にサインを頂いてしまった。
その夜
市内のスナックを案内したのは
いい思い出である。
そして、私も『恋泥棒』で
同じ主人公をやることになったのは
偶然とはいえ、今も忘れていない。
もう一度、
あの頃に戻りたいなあ。(笑)
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表彰情報

2020年08月16日 01時26分20秒 | つぶやき
「ふるさと川柳IN加西」の入選作が決まりました。
東京をはじめ全国から届いた全118応募作品を展示して、
市民の皆さんに投票していただいた結果、
次の通りに決定しました。

大賞  
   さらの中 のこしたパンが かおのよう          佐藤 可菜さん

ふるさと大賞
   夢で逢い 五百羅漢に 母探す              澤中 朋子さん

ふるさと賞
   せんどぶり きのうあったで おじいちゃん        山本 真平さん
   やじ馬が 寄って見送る 救急車             吉村 俊一さん
   取り合えず 返事だけでも 元気よく           増田 ハツコさん
                                     他数作品
18日から、ねひめ広場ロビーで入賞作品を展示披露します。
入賞された方はねひめ広場受付窓口で表彰状他をお渡ししますので、お申し出ください。
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スイカ

2020年08月15日 07時57分56秒 | つぶやき
スイカが4個も実がついた。
我が菜園では鈴なりといっていい。(笑)
スイカを植え付けて、毎年食ったことがなかった。
去年は3個の実を付けたが、
ものの見事にカラスの餌食となってしまった。
この夏は、実が目立ち始めたころから
プラスチックの籠をかぶせておいた。
それがよかったのか
バスケットボール大まで育ったのだ。
とはいえ、いつ収穫していい時期なのかが分からない。
取り合えず一番大きいのを収穫してみた。
冷やしておいて、夜一刀両断した。
ざんねん、少し早かった。
それでもうまかった。
丹精して育てただけの味わいだった。

スイカといえば、
子供のころ、
桑原田に広がる畑まで、
兄と冒険を試みた。
本当は青野ヶ原が目的地だったが、
小学生二人の自転車散歩、しかも二人乗り。
桑原谷到達したときは、
夏の暑さにへばりかけていた。
「もう帰ろ、兄ちゃん」
心細くなった弟に、
兄貴面して鼓舞した。
「せっかくここまで来たんや。
もうちょっといったら青野ヶ原やど」
そんなはずはなかった。
強がる兄だってもうへとへとになっていた。
それに自転車のタイヤが変な具合になっていた。
「お前らどないしたんや」
畑にいたオッサンだった。
自転車を手押しする
小学生のへとへと感に気付いたのだ。
「その自転車おかしいぞ。みたろ」
オッサンは畑からわざわざ出てきた。
「チェーンがゆるんでんど。直したるわ」
オッサンは兄の返事も聞かず、
自転車のスタンドを立てた。
手際よくチェーンを調整しながら、
「お前らどっから来とんどい?」
兄が口にした地名に、
「ちっこいのに、そない遠いとっからこい」
「夏休みやし、弟と一緒やし……」
オッサンは口ポカーン。
「おめえらエライやっちゃのう。暑いやろが」
オッサンは作業をやめて畑に戻ると、
「これ食えや」
オッサンが差し出したのはでっかいスイカだった。
真っ黒に日焼けしたオッサンの顔と同じように丸かった。
バカッと割ってくれたスイカにかぶりついていた。
オッサンはゲラゲラ笑いだした。

炎天下での、あのスイカの味は最高だった。
「お前らはよ帰れ。ええ冒険できてたんやけ」
オッサンの言葉にそれ幸いと兄は私を載せて自転車をUターンさせた。

あのちっぽけな冒険、
兄弟が運命(?)をともした冒険は、
オッサンの善意のスイカの味で締めくくられた。

熟れ切ったスイカ、炎天下、兄と一緒……
条件がそろったスイカの味は、
今も最高に思う。

それにしても悔やまれる。
もう少し我慢してれば、
食べ時のスイカにありつけたのに。

誰かスイカの食べごろの見分け方教えて。(笑)

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墓参り

2020年08月14日 06時05分17秒 | つぶやき
昨日墓参りに行ってきた。
妻と二人きりの墓参。
数年前までは子供らも一緒で
結構賑やかだった。私の母や兄、
そしてご先祖が眠る墓。
父も入るが、
私には別の墓に入る予定だ。

子供のころ、
父や母、兄と家族そろって、
お盆の墓参りが続いたのを思い出す。
いつも神妙に、真面目な顔になる家族。
墓石を水で洗い清める父と母。
赤土を持ち上げた古い墓に、
花を供える兄と私。
なかなか火がつかない線香に、
必死になる兄弟。
花に水をそそぎ、
線香を手向ける。
父が鉦を打ち、
お経を口にする家族。
備えた菓子類を分けてもらい、
やっと顔を綻ばせた兄と私。

墓を後にした時、
緊張が解けた。

今は墓無用論が勢いを増しているが、
墓は家族の絆を永遠にするため、
必須のものなんだと改めて思いながら、
夫婦二人、
目を閉じ頭を垂れた。



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アイスキャンデー

2020年08月13日 06時11分04秒 | つぶやき
きのうは「ねひめ広場運営会議」の定例会。
夕方7時からだが、
車のない私、
歩くことになるが、昼日中は歩けるような暑さではない。
てなわけで午前中から広場のあるビル内で待機した。
3階に図書館、1階はコープの店舗が占めている。
ビル内はクーラーがかかっているが、
やはり暑さは完全に抑えられないようだ。
コープは涼しいので、
上り下りを繰り返し時間を過ごした。
外の様子をうかがうと、
まるで熱波のように襲い掛かられた。
暑いときは冷たいものを口にしたくなる。
最近はアイスクリームが四季を通じて食べられる時代だ。
昔は夏限定だった気がする。
自転車に木の保冷凍箱を積んで、
おじさんが行商に来る。ああ、そうそう当時はアイスクリームではなく
アイスキャンデーだった。
そのアイスキャンデーも
子供ひとりに丸々与えられたわけではない。
兄とかじり合った。
現在のように子供が一人に1袋おやつが貰える時代ではなかった。
みんなで分け合って食べたものだ。
それでも十分だった。
暑いときのアイスキャンデーは最高だった。
汗も引っ込むぐらいの感動だった。
残った箸を兄弟で競ってなめたのもいい思い出である。(クスッ)

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お盆の光景

2020年08月12日 02時07分25秒 | つぶやき
暑い!
深夜1時半を過ぎても……暑い!
昔の夏はどうだったんだろう?
クーラーがなかったのを凌げたのだから、
いやいや……。
記憶の暑さとの比較は容易じゃない。
暑い中を、
市役所の「ふるさと広場イベント」担当者が、
我が家へやってきてくれた。
「ふるさと川柳IN加西」の表彰云々や
次の企画「男性の料理教室」の進め方を打ち合わせた。
仕事とは言え、
この暑さの中、いやはやご苦労様としか言えない。
図書館とタイアップした新企画や、
昆虫鉛筆画教室などの企画も検討することになった。
やはり子供対象のイベントになってしまうのは
やむを得ないなあ。

しかし暑い。
13日になればお盆の日常が始まる。
今夏は父の姿のない寂しいお盆になる。
振り返ってみれば、
物心ついた私が自覚したお盆には、
必ず五つの顔があった。
祖父、父、母、兄、そしてわたし。
一つ屋根の下で絆を育む5人家族である。
お盆に仏前でご詠歌を唱える光景に、
五つの顔は必須だった。
先達を務めるのは父。
その父がつく鉦を
兄と私が奪い合うのはしょっちゅうだった。
時には親せきの顔が加わっても、
あの五つの顔は欠けることはなかった。
何年も何年も同じ光景が繰り返された。
考えてみれば、
幸せで穏やかな光景があり続けた。

いま五つの顔から四つの顔が欠けてしまった。
新しい家族がいなければ、
私一人というわけだ。(むなしく寂しい思いに駆られる)

それでも、
お盆は素知らぬ顔でやってくる。

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