難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

要約筆記奉仕員事業の「元」(2)

2009年01月07日 15時56分04秒 | 要約筆記
090102-063851.jpgしかし、要約筆記が奉仕員事業として、スタートしたのはまだ要約筆記の専門性も整理されていない時分でやむを得ないが、それから30年近くも続いてきたことは長すぎる。

要約筆記も手話通訳も聴覚障害者のコミュニケーション支援であることから、手話と同様に混同されているが、手話はろう者自身のコミュニケーション方法であり、他者と手話を通じてコミュニケーションする。地域でろう者が普通に生活するためには手話を理解した市民が大勢必要なことから、障害者明るい暮らし促進事業で手話講習会が開かれ、手話の普及を図った。これが社会参加促進事業としての手話奉仕員養成事業である。

これに対して、難聴者等自身のコミュニケーション方法は筆談で対面の会話を行うことにであるが、他の人の話をその場で書いて伝えるという本来高度なコミュニケーション支援方法が奉仕員養成事業と派遣事業として始まった。

長い間、奉仕員事業のままで推移してきたことには、難聴者側からの総括が必要である。
難聴者のニーズと社会的進出の遅れにも関係している。


社会福祉法改正で、手話通訳事業は相談支援事業などとともに障害者の権利擁護事業として、社会福祉法第二種事業になったことはこれまで再三指摘されている。
この時、要約筆記事業も同様に指定されたが、その時の関係者がその意味を十分に理解していたかというとそうではない。1999年に通知された要約筆記奉仕員養成カリキュラムはその理解の限界が現れている。
その本質的理解は2004年の全難聴の要約筆記者制度の確立に向けた事業まで待たねばならなかった。

「要約筆記通訳者制度への課題 ~要約筆記通訳者養成等に関する調査研究事業報告~」
http://www.zennancho.or.jp/archive/H16f_report.pdf


ラビット 記




要約筆記奉仕員事業の「元」(1)

2009年01月07日 15時56分00秒 | 要約筆記
090101-184542.jpg年賀状に、奉仕員カリキュラムと通訳課程養成カリキュラムの「いいとこ取り」を考えているとあった。

養成された担い手の役割も事業の性格も全く違うので、どこをどうしたら折衷するという考えが出てくるのかを考えた。

まず、奉仕員の事業とはどこから出ているのか考えてみたい。

2000年の社会福祉法改正で、社会福祉の「形」が大きく変わった。社会福祉サービスは行政の措置からサービスの利用者がサービス提供事業者と対等な立場で選択出来るようになった。そのサービスは行政だけではなく、民間との協働を積極的に進めることとした。
この時、「社会福祉を目的とした事業」は、国や地方公共団体、社会福祉法人が担うこととされ、「社会福祉に関わる活動」の推進を市町村社会福祉協議会が中心になることを社会福祉法で位置づけた。つまり、「公」の責任とされる部分と民間の活動に委ねる部分を分けた。

「社会福祉に関わる活動」とはボランティアのことで、国の基本方針の通達もでている。その活動の意義の1番目に掲げられているのは活動に参加する人の満足感であることは公的な活動と反対の視点だ。

一方、「社会福祉を目的とする事業」に従事する人は社会福祉士、介護福祉士など福祉援助技術者で、その養成、研修は都道府県社会福祉協議会の役割とされている。
「都道府県社会福祉協議会の役割として社会福祉事業従事者の養成研修、社会福祉事業の経営指導を行うことを明確にすること。」(厚生労働省のHP)
http://www1.mhlw.go.jp/topics/sfukushi/tp0307-1_16.html#no4

この「社会福祉に関わる活動」と「社会福祉を目的とする事業」の基本的な性格の違いが、障害者自立支援法の地域生活支援事業の「社会参加促進事業の要約筆記奉仕員」と「コミュニケーション支援事業の要約筆記者」とに反映している。
おそらく、支援法制定時、実施要項制定時に法的な整合性の検討が加えられたと思われる。

奉仕員の担う要約筆記と要約筆記者の担う要約筆記はどうちがうのか。性格の違う事業の担い手の役割は当然異なる。
コミュニケーション支援事業の実施要項の派遣される「要約筆記奉仕員」は従って、要約筆記者が養成されるまでであり、奉仕員は改めて「者」としての研修が必要になる。

この役割の違いを認識していないことが「いいとこ取り」しようとした思想的背景だろう。
(続く)


ラビット 記