難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

明日は、人工内耳装用後1年半の聴力検査。

2009年06月09日 21時03分56秒 | 人工内耳
090608-164226ブーゲンビレア.jpg人工内耳の装用を開始してから、ちょうど1年6ヶ月と1週間。

人工内耳の聞こえ方は、こうだ。
「あー」と声を出しながら、左の人工内耳だけで聞く。
当然、左から聞こえる。少しこもるがちゃんと「あー」と聞こえる。

右のデジタル補聴器のスイッチを入れて、だんだんボリュウムをあげていくと真ん中で聞こえるようになっていく。しかし、ボリュウムを最大にしても右側から聞こえるということはない。
人工内耳と補聴器のバランスが取れているのか、脳の仕組みか、理由は分からない。

真ん中から「あー」と聞こえるが自分の声に色が付いたようだ。声が震えているとか声の銚子とがよく分かるからだ。

人工内耳のメリットの一つが、自分の声が聞こえるようになることだ。
他の人の声がわからなくても自分の声は分かる。自分の声が分かるということは、何をしゃべっているか、どのようにしゃべっているかが分かると言うことだ。
それはコミュニケーションに大きな効果をもたらすのだ。どのようにしゃべると相手がどう反応するか分かるからだ。

こういう口調で話すと相手のうなずきが多くなるとか、好感を持たれるとかが分かるのだ。生来の難聴だと相手の声が聞きにくいのもあるが、自分の声に対する相手の反応の経験の蓄積が出来ない。これは、聞こえる人に比べて大きなハンディだ。

やはり、声の持っている情報(プロソディ)が多いことを実感する。要約筆記や字幕の文字では、意訳したとしてもすべては反映されない。顔を見ずに声だけで会話する電話でも、相手の声の強弱、話し方、息づかいや周囲の音で受ける言葉の意味が分かる。だから100年以上も電話という通信手段が使われているのだろう。


明日の聴力検査では、言葉の聞き取り検査があるが、どれだけ向上しただろうか。この間、あまり聞き取りの練習とかはしないできてしまった。


ラビット 記