難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の変な心理 聞こえるじゃん、あれ聞いていいの?

2009年06月26日 22時20分27秒 | 人工内耳
090606-185032伊難聴者.jpg時々、「聞こえちゃう」時がある。

人工内耳のチャンネルと感度の設定と補聴器のバランスがうまくいくと、会話が「聞こえちゃう」。

「聞こえちゃう」というのは、難聴者の会議で磁気ループでも使わないと明瞭に聞こえることは日常生活にも会社でもない。
だから、補聴器では日常の会話はどうせ聞こえないものと思い込んでいるので、聞こえるとそれを「聞いちゃっていいのかな?」、「どこまで聞いていいのかな」なんて変な心理が働く。

「昨日お客様が帰られても、クーラーもつけっぱなし、コップも机に置いたままだったのよ。だから私が片付けたのよ」
なんて、聞こえちゃうと「ああ、すまん、すまん。片付けてくれてありがとうね」なんて、すぐ返事が出来ちゃう。
いつもは「え?何?」という顔をしたりするのに。
「私がやったのよ」と何度も言う。何か期待しているのかもしれないと気づく余裕があった。

「昨日新聞代払ってくれた?」なんて聞こえたので、「新聞代?、新聞代って何のこと?」と聞いた。
聞こえないので「昨日新聞代払ってくれた?」だけ聞こえたのではない。庶務の女性が口っ足らずな口でそういうのだ。聞こえる人が聞いても同じだ。みな??と言う顔をしている。
「ああ、会社の新聞代ね。昨日休んだから聞いているのね。僕じゃないよ。」と言うとそのまま行ってしまった。


ラビット 記





筆談の難しさ 難聴者に筆談する

2009年06月26日 22時17分59秒 | 生活
090622-170939.jpg090622-171031筆談.jpg朝日新聞5月30日の夕刊に、聞こえない「筆談ホステス」斉藤里恵さんが紹介されていていた。
銀座のクラブで売り上げNo1を争っているという。

これは相当に難しい。筆談で接客をするというのは言葉によらない何かがないとコミュニケーションは難しい。

会話のコミュニケーションにおいて、音声による情報は30%という。音声の中の非言語音声を除くと言葉としては情報量は非常に少ない。
音声で発せられる言葉には、音韻による意味の他に、声の質や強弱、間も情報を持っている。
話された言葉をそのまま文字にしただけでは意味は通じにくいのはこのためだ。

筆談は、自分の意志を書いて伝えるだけでなく、相手の意図も読んで分かるという方法だ。
筆談で、話の聞き上手なうなづきさんにもなれる。でも雄弁家にはなれない。限界がある。

書くのは手書きの方が情報量が多い。書いている様子、書くスピード、字体、崩し方、字の大きさなども情報を持つ。書くペンに何を使うか、どういうものに書くかでも意味がある。

「好きよ」と書く場合にハートの絵を入れたら、その意味は変わる。リンゴは好きよというときにハートは使わない。
ハートを赤いペンで書いたらまた違うだろう。
でもこれだけでは、No1にはなれない。

銀座のクラブの顧客の豊富な知識、人生体験にうなづける、逆にうなづかせるだけのものを持っているかだろう。


ラビット 記