難聴者の生活

難聴者の日々の生活から、人工内耳など難聴者のコミュニケーション、聴覚障害者の制度改革について語る。

難聴者の各成長過程が現在の「問題行動」に

2009年07月20日 08時55分32秒 | エンパワメント
Image187母200907.jpg今日は実母の誕生日だ。実家近くの介護付きのホームに暮らしている。お盆でもあるので訪ねたいと思っていたが今日になった。

今、学習している臨床心理は、第4章に入る。出生から児童期、青年期を経て、大人の時期をこれから取り上げる。
問題行動や症状を起こす人は、誰にとって「問題」なのか、青年期以前にも遡ったり、社会的な背景にも考察することが必要とある。
前章を読み直してみた。各成長期の経験とともに起こってくる問題を適切に対応してきたかどうかが現在の問題行動の背景になっている場合があるということだ。


同居している義母を見て、イライラしてくるのは、なぜか考えてみた。
乳児期からの難聴のため、成人して親と離れて暮らすようになって今に至るまで親と妹弟たちと会話が出来なかった。自分には乳児期から中学生まで難聴で会話の記憶が全く残っていない。この時期は、テレビも少年ジェットやオオカミ少年ケン、鉄人28号を見ても主題歌のワンフレーズしか記憶にない。言葉のコミュニケーションによる人間的成長の機会を失っている時期だ。

弟夫婦や妹が忙しい中、実母に面会してくれているが、母親とも兄弟とも「家族」関係を築けなかったことと今長男である自分がその役割を果たせないでいることがコンプレックスになっていることが影響しているのかも知れない。

昨日は、その義母から「家族だから一緒にご飯を」なんて言われるとたまらず、家を飛び出してしまった。
実母のところに行けば良かったが妹と弟に気兼ねしていけなかった。今日は聴覚障害者自立支援センター祭りの警備員を担当する。


ラビット 記




難聴者の自立支援に心理学の必要な理由

2009年07月20日 00時03分36秒 | エンパワメント
090719-110802.jpgYさん、

難聴者は「難聴であること」を周囲の人にどのように説明するか困っていると申し上げましたが、実は他ならぬ自分が一番必要としているのではないかと気が付きました。

つまり、聞こえない自分をどう説明するかということは、聞こえている世界にいる自分はどういう存在なのか,どのように認識するかということであり、これはアイデンティティの問題です。

難聴者のアイデンティティの問題というのは、自分は難聴者であるという認識をもつことではなく、聴覚生理や障害は機能障害を持つ人と社会の理解と「障壁との相互作用」(障害者権利条約)であることなどを理解し、その上で自分が自分である、ユニークな(唯一無二の)自分であるということを理解することです。
これが自立の始まりです。難聴者の自立支援とは自分をどう見るのかを一緒に考えると言うことです。

一緒に考えるということは、同じ難聴者たちと手話を学んだり一緒に趣味を楽しんだりと、いろいろな形がありますが、同じ難聴者と触れあうことはもう一人の自分を見ることにつながります。つまり、アイデンティティの確立に大きな機会になっていると思うのです。

難聴者の自立支援の活動をしている人、特に難聴者自身の方はピアメンターと言いますが、心理学の学習が必要です。
これは心理臨床という分野で、先ほどの人間の成長過程におけるアイデンティティの問題や心理学的対人援助の方法をきちんと学ぶということです。日常的な活動の中で身につけている部分があるかも知れませんが、いろいろな難聴者を支援する立場にある人は接している難聴者に対して責任があると思うのです。

難聴者自立支援者研修プログラムのようなものが必要ですね。

まとまりがないですが、行政に難聴者の自立支援施策を実施してもらうために考えてみました。


ラビット 記
都心にもニューヨークのマンハッタンのセントラルパークのような公園がある。それほど広くはないが、それでも日比谷公園よりは広い代々木公園。