老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

111;食べることの意味(6)「食べたくても食べられない」其の壱

2017-05-19 04:48:33 | 老いの光影
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もっと生きたかった

信濃嘉一郎(85歳)は
港の見える丘 横浜市で
長年自動車部品製造業を営んでいた。
14年前に「前立腺癌であり、余命は後10年である」と医師から宣告された。
療養とミニ農園づくりを兼ね
清流阿武隈川が流れる村に移り住み
その後癌の進行は無く
静かな時が流れていった。
 
余命10年を乗り越え
14年が経過したある日
医師から「癌が脊髄などに骨転移している」と告げられたとき
嘉一郎は「ショック」で茫然としてしまった。

最近、肩や腰の痛みが気にはなっていた。
まだまだやりたいことはあったし
こんなにも死が隣り合わせに忍び込んできているとは
予想もしていなかっただけに
戸惑いと不安がのしかかってきた。

車の運転もできなくなり
外出する機会も失われてきた。
「もう生きることができない」
と思ってしまった彼は
薬を服用したって無駄だし
食べたってしょうがない。

癌が骨転移し
言葉に表現できないほどの痛みが襲い
また身の置き場がないほどからだが怠く(だるく)
「食べたい」、という気持ちさえも起きなかった。

妻は、食べて欲しかった
もっともっと生きていて欲しかった。
こんなにも早く死の宣告がされるとは、
彼女自身も思ってもいなかった。

脊髄に癌が転移した
と医師から告げられたことで
彼は生きることを諦めてしまった。
それだけ見るならば
彼が癌に負けてしまった心の弱さだけが浮き彫りにされてしまう。
が、果たしてそうなのだろうか。
本人に癌告知をすべきだ
という風潮が当たり前になってきている昨今だが
癌告知をすることは「簡単」である。
問題なのは「告知」した後
本人とその家族をどうフォーロしていくのか。

109;寝たきり十年

2017-05-18 16:24:33 | 老いの光影
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脳梗塞で右手右足が
全く動かなくなり寝たきり十年
陽が射さない北向きの部屋
小さな特殊寝台から
薄暗く染みついた天井を見つめるだけ
訪れる人もなく話すこともない
言葉も忘れると
自分の声さえも聴こえなくなる

長すぎた老い

自分の感情を捨て去ることで・・・
それ以上のことを欲することもなく
小さな特殊寝台にじっと生きている
自分が寝たきりになったとき
特殊寝台の空間だけで
生き耐えることができるだろうか

寝たきり十年の老人の家に
送迎車が玄関前に到着した
車窓から十年ぶりに那須連山を見た

人間が話す言葉が聴こえてきた
桜デイサービスセンターの湯に浸かり
消しゴムの如く垢が落ちた分だけ
心が軽くなった

※「特殊寝台」とは、介護ベッドのこと   

108;感無量の泪(なみだ)

2017-05-18 01:08:10 | 老いの光影
白河達磨
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私は、平成2〇年1△月5日に86歳の誕生日を迎えました。
私を含め
病を抱えた老人にとって
年齢(誕生日)をもう一つ重ねていくことは容易ではありません。

幼子(おさなご)なら1日1日と成長していき
我が子の誕生日を迎える両親にとっても
この子の未来が楽しみです。

それに比して
私のように体が不自由になり
他者の手を借りていかなければならない老人にとっては
今年の誕生を迎えることができたとしても
来年の誕生日を迎えることができるとは限りません。

それだけに86歳の誕生日に
こうしてデイサービスの仲間やスタッフから
心のこもった誕生祝いをもって頂いたこと
「本当に嬉しく、感無量です」。
私の目尻から一筋の泪がこぼれ落ちました。

日一日と足が動かなくなり
立つこともままならず
寝返りすることさらも容易ではなくなった自分
何もしないで椅子に座っていると
眠りの境地に誘われ死んだように眠ってしまいます。

そんなとき孫娘と同い年の明子さんから
コーヒーの豆挽きをお願いされました。
豆挽きをしていると
コーヒー豆の匂いと豆挽き音で
眠気が覚めてきたのです。
コーヒーミルが動かないように
明子さんは押さえていますが
上手く回すことができません。
つい彼女に「しっかり押さえなきゃだめ」
と注文をしてしまいました。
「こんな老いぼれになってもまだ働かせるのか」
と言いながらも豆挽きを楽しみました。

その後
私は手作りの誕生ケーキと
一緒に挽いたコーヒーを頂きました。
忘れられない味となりました。

107;皿を投げる婆さん

2017-05-17 18:44:41 | 老いの光影
朝焼け
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寝たきりになっても 
どういうわけか 
爺に比べ婆のほうが元気である

大正14年生まれ91歳になる大熊ステは 
正岡子規と同じく
24時間臥床の生活にあっても
気に入ったおかずは食べるが 
気にいらないおかずは握りつぶす
ときには皿を投げてしまったりするので
長男嫁は 
発砲スチロールの「皿」に変えてみた
付かず離れずの距離で介護かな

106;嫉妬

2017-05-17 16:22:17 | 老いびとの聲
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男性の嫉妬は醜い
女性の嫉妬は可愛いが
時には怖い時もある

他の女性が優しくされると
嫉妬する女性がいた

他者から優しくされたことがない女性
他者の痛み・悼みや悲しみを
気にすることなく生きてきた女性

この先 老い往き
誰かの手が必要となったときに
人の優しさに気づくのであろうか
それとも気がつかず
不幸な女性と嘆いてしまうのか

老いたとき
喜怒哀楽をわかちあう友がいないほど
寂しいものはない

優しさは無償の行為であり
感謝の気持ちから優しさが施される
嫉妬は優しさを奪ってしまう









105;人間って可哀想なもんだ

2017-05-17 03:22:23 | 老いの光影
田植えが終わり 水田は大きな鏡
水田に映る風景は素敵 お気に入りの1枚

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私は団塊世代の端くれの年齢なのか と思っている
仕事一筋に生きてこられた団塊の世代
男性の平均寿命は81歳位
平均寿命であって個々の寿命は違うので
あと20年から30年は生きられる と。
ただ 人生、一寸先は闇
この先何が起こるかわからない
しかし
人間誰しも この先何が起こるとは考えてはいない
それはそれでかまわないと思うのだが
男は女に比べ 口ほど以上に弱い動物である 
痛みにも男は弱い

元気なとき男は「えばる」けど
妻に先立たれ 男が一人になったとき
特に体が不自由になり 
誰かの手助けを必要になったとき
そんな自分に歯痒く 
どうしていいかわからなくなってしまう

82歳の角谷三郎さんは
東日本大震災で持ち家が倒壊し
いまは独りで貸家住まい
妻は40年前に病死された
2女1男の子どもがおられるが疎遠

三郎さんは
糖尿病の他に
4年前に左腎細胞癌がみつかり
末期腎不全となり週3回血液透析
食事管理があるだけに男一人暮らしの生活は厄介である
その彼が今年の冬2月19日 居間で転倒
左大腿骨転子部骨折で入院 
手術をされ杖を頼りにどうにか歩けるまでになった

退院に向け
これからどう独り暮らしを再開していくのか
昨日 三回目の相談を行った
40年余り男独りで生活をしてきただけに
頑固一徹なところがある
最近物忘れも出始め 
置忘れや日付曜日が混乱してきている

彼は話す
「いろいろ考えていると
夜も眠れない
人間って可哀想なもんだ。
不味い美味いは別にして
今まで料理は自分でやってきた。
いま こうして世話になり
申しわけない」
と涙ぐむ。
「長いつきあいになるが、
(自分の命は)あと2年かもしれない」
気落ちした言葉を吐く彼。

今月の27日退院に向け
手すりを付けるなど住宅改修の段取り
週2回のデイサービス
朝夕のヘルパーによる家事援助
週3回の透析時の通院乗降介助
サービスは増え 一月に5万円余りの出費が見込まれるだけに
彼としても
「夜も眠れなくなってしまう」

独り暮らしの高齢男性が
病を抱え生きて往くこと
本当に不安だらけ
不自由な自分の身の上を思うと
「人間って可哀想なもんだ」
と 呟いた彼の言葉が耳朶に残っている






104;心配症なのか 認知症の兆しなのか

2017-05-16 13:01:55 | 老いびとの聲
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今日の朝も 
車のエンジンをかけ出ようとしたら
助手席にいた妻が
「玄関の鍵かけてきた?」と尋ねられると
どっちだっけ 
鍵をかけたはず と思いながらも
本当にかけたのかな と別の自分がささやく
不安が増し
車から降り
玄関の鍵を確認をする

鍵はしっかりとかけてあった

鍵は確かにかけたと
どうして思うことができないのか
カップラーメンの時間も経過していないのに
鍵をかけたかどうかを 忘れるなんて
怪しい

かけたかどうか 気になり
玄関に戻るのは 心配性 不安症

かけたかどうか 数分も経過していないのに
そのことを忘れていまった
認知症の兆し

意識することなく
ふわぁ~とした気持ちで鍵をかけているから
かけたかどうかもわからなくなる




103;桜さくらにかける想い

2017-05-16 10:17:56 | 春夏秋冬
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宮沢賢治風に書くと

暑さにも負けず
脱水症になることもなく
夏を乗り越えた
寒さにも負けず
インフルエンザに罹(かか)ることもなく
寒い冬をじっと耐えてきた

燕(つばめ)は春の風を運ぶ
今年で桜の花を見るのは 
これが最後かな と思い
春夏秋冬が過ぎた
桜の樹とともに齢を重ね再び春を迎える
逢えるとは思わなかった桜
「今日、桜に逢えて本当に良かった」
と老女はかすかに泪を浮かべ呟く
「一年」生き延びてきたことへの感謝と喜びから
手を合せた90歳の老女は、
いまも一人暮らしを続けている
桜の開花は 閉じた人間の心を解し(ほぐし)
心躍らせてくれる

桜は咲き始めてから
わずか十日ほどで
儚く散る花の命であることから
人はそれぞれに「出合い」と「別れ」を重ねてきた

今年の桜は散ってしまった
いま新緑の葉桜に心癒されている
 

102;塀の中の介護風景

2017-05-15 22:19:30 | 読む 聞く 見る
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元民主党衆議院議員で、
政策秘書給与の流与事件を起こし、
2001年2月に実刑判決を受けた山本譲司は、
栃木県黒羽刑務所での獄中生活を綴った『獄窓記』(新潮文庫 平成20年2月1日発行)のなかで、
興味深い内容が書かれてあった。

山本さんは、
身体の不自由な同囚や認知症を抱えた
同囚の世話(介護)を行う仕事に就いた。
「人のウンコの後始末をするなんて、初めは、みんな嫌なもんですよ。・・・・自分の子供のウンコだと思えばいいんですよ」(前掲書252頁)。
同囚Mは、失禁をしてしまい介助にあたった山本さんに話しかける。
「私ね、いつも思ってるんですよ。
いっそうのこと、周りの人たちみたいに、
頭の中もいかれちゃったほうがいいんじゃないかってね。
そのほうが、どんなに楽かって・・・・・。
でもやっぱり、彼らは彼らで、心のどこかに、
恥ずかしさとか申し訳なさといった気持ちもあるんでしょうね」(前掲書255頁)。 

67歳になる認知症の同囚は
「いつも、水道の水は、流しっ放しだった。
流しの排水口には、食べ滓(かす)などの汚物が詰っており、
流しから水が溢れ出そうになっている」(前掲書270頁)。

要介護状態にある囚人、
同じ塀の中で過ごす同囚から介護を受けなければならない。
塀の外であっても塀の中であっても、
他人から下の世話を受けることは、
恥ずかしく惨めな気持ちになる

「下半身が露(あらわ)になったが、太股(ふともも)にも、排泄物が漏れている」。
M同囚は、「こんな姿、人には見せたくないんですけど・・・・。
手と肛門の動きがうまく機能しなくなっちゃったんですもんね。
しょうがないです」(前掲書255頁)。

塀の中の介護風景という違った世界から、
介護というものを考えさせられた。

101;いちばん大切な人 

2017-05-15 13:30:17 | 老いの光影
旅立ちを待つ 綿毛のたんぽぽ
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5月の或る晴れた日
橋田夫婦宅を訪問。
お二人の年齢はともに89歳。
夫婦仲は睦まじく、
夫の健さんは
自らの病身より、
惚けた妻のことをいつも気遣い、
四六時中優しく見守っておられた。
文乃さんは脳梗塞を発症、
左半身不全麻痺だが、
ポータブルトイレへの移乗は
介助バーにつかまればなんとかできる。
ズボン、パンツの上げ下ろしは手助けが必要

或る日の夜、文乃さんは夫の方に向きなおり話しかける。
いつも夫のことを頼りにしていて「おとうちゃん」と呼ぶ。
「おとうちゃん、私のいうことを聞いてくれて、
私はね、おとうちゃんがいちばん大切な人。よく顔を見せて、
どうしてこんなに好きなのかわからない。
いつも私の傍に居てくれたら、
何もいらない

これ以上の人は巡り会わない
きっと前世からつながりがあったのかな。
もしかしたら兄だったのかもしれない、
それともお父さんかな」。


老夫婦 お互い
相手の病身を気遣う
89歳になっても
「あなたが傍に居てくれるだけでいい」
夫の耳元でささやく文乃さん
素敵な夫婦です



100;懐(かいきょう)郷

2017-05-15 01:48:08 | 老いびとの聲
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 ブログが100回になりました。これからもよろしく


人は誰も心の中にふるさと(故郷)に想いを抱き、
ふるさとを懐かしむ(懐郷)。
実家に帰って「ふるさとはいいな」と思うのも1週間、
田舎の不便さが疎ましくなり、
都会に戻ると
「やっぱり都会はいいな」と思ってしまいます。
(何処の地も住んでみると、住めば都かな)

室生犀星の有名な『ふるさと』の詩

ふるさとは遠きにありて思ふもの
そして悲しくうたふもの
よしや
うらぶれて 異土の乞食となるとても
帰るところにあるまじや
ひとり都のゆふぐれ
ふるさとおもひ涙ぐむ
そのこころもて
遠きみやこにかへらばや
遠きみやこにかへらばや


「ふるさとは遠きにありて思ふもの」、
そこには自分の帰るべき居場所はなく、
悲しく、
都会に帰る詩(うた)なのかもしれません。

私は北海道の地で
ニセコ連邦と羊蹄山(蝦夷富士)が眺望でき
貧農の長男として生まれたが、
度重なる冷害と
大黒柱父親の直腸癌により43歳で他界
田畑と家屋敷を人手に渡し、
帰る家を喪失してしまった。

犀星と同じく望郷の思いは絶ちがたくとも、
いま自分が生活している南陸奥で、 
老いと死に向かい合いながら生き続けています。
冠雪の那須連山と阿武隈川の冬景色は、
遠きふるさとに似ており、
春夏秋冬のはっきりした風景の移ろいは
心を癒してくれます

99;耕す

2017-05-14 20:10:32 | 春夏秋冬
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今日はのち
3坪しかない家庭菜園
茫々に伸びた草取りを行い
その後 鍬で畑耕す
普段使わない筋肉を使ったので
明日の朝が怖いです

耕していたとき 
ミミズさんと子蛙に遭遇
私の顔を見たら慌てて逃げていきました
ミミズも蛙も生きています
家庭菜園のなかに貧乏草が118本生えていました
それは誠に申し訳ないが「抜いて」しまいました
芝生に咲いている貧乏草は 抜かず そのままです
前にも書いたが
貧乏草には素敵な名前があるのです
春紫苑(ハルジオン)」「姫女苑(ヒメジョオン)」です



98;この世に金を残さず逝く

2017-05-14 12:58:52 | 春夏秋冬
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お金持ちは貧乏人をどう思っているのだろうか
貧乏人はお金持ちをどう思っているのだろうか
お金は自由と豊かさを与えてくれるけど
お金に縛られ不自由になることもある

それぞれ家庭の事情等により
下記のことがそのままあてはまるとは
思ってはいない

お金を持っていない者の僻みだと言われるかもしれないが
介護に関わり感じたこと
お金のある老親は
わが子に対し
預貯金額や年金額を話さないこと

余りお金のない人は
「あるふり」をすると
子どもは
老いた親を大切にしてくれる
 
大金を遺しても
あの世に持参していくことはできない

自慢にはならないが
私は老後の蓄えはまだなく
あと8年は仕事頑張り
事業で借りた負の財産を返す

老夫婦は
葬儀代と墓代にかかるお金だけを残し
あとは 自分たちのためにお金を使う
老いに入り 齢を余り重ねないうちに
つまり体の自由がきくうちは
旅や外にでて楽しむこと
子どもには多額のお金を残さない
もしお金が残ったときは
(私は)社会に寄付する

派手な葬式に費用をかけても
儲かるのは葬儀屋
どんな葬式にするかは
個々の価値観であるだけに
決められないが
子どもに
どんな葬式にしたいか
遺言書に記しておいたほうがよいかも
いま 家族葬 友人葬 生前葬などと様々である
私は家族葬 

感謝の気持ちでお金を頂き使う
お金は消えてなくなる
心の貯金は消えない 





97;親切をいただいた夢老人

2017-05-14 01:08:44 | 老いの光影
空き地に咲いていた一輪のたんぽぽ
元気よく咲いている姿に感動!

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南陸奥では しばらくぶりの雨 
カラカラに土が乾いた畑にとっては 恵の雨
土に染みとるような雨
心に染みとるような言葉の雨に触れると
生き返ります


私も老いたときは
白髪になりたいがものだと夢見ている。
(残念ながら後頭部に剥げが
(正面から見ると髪の毛は十分にあるのだが・・・)

86歳になる木村まつさんは、
白髪のきれいな女性である。
女性に年齢を尋ねるのは大変失礼なのだが、
彼女は「今年で50歳になったところです」と
真顔で答える。

まつさんは、小脳梗塞を発症し
寝たきりになりる(要介護5)。
物忘れも進んできた。
心優しい女性で、
彼女と話をしていると
認知症老人であることすら忘れてしまう。

先日、私が掃除をしていたとき、
傍にいた彼女は「とてもきれいになったよ」と褒めてくれたので、
私は「(褒めて頂いても)何もあげる物がないなぁ~」と言うと
「いつも親切を頂いているから、何もいらないです」と笑顔で答えてくれた。
「どんな親切を頂いたの?」と尋ねると
「車いすからずり落ちたとき助けてもらったり、
それからトイレでおむつを取り替えてもらったり、
たくさんの親切を頂いたから・・・・」
とさりげなく話す。

「親切を頂いた」という
まつさんの言葉を聴いたとき、
なんて素敵な表現をするのだろうと、
人間味のある
そして、温もりのある言葉に
しみじみと感じいった。
まつさんに限らず
認知症老人から
人間がもつ優しさというものを
何気なく教えられることが多い。

まつさんとは、こんなエピソードもあった。
ある夕暮れ時の一コマ。
彼女に「一緒にベッドに寝てもよろしいですか」
と ふざけて話しかけたところ
「夢がふたつになっちゃうから、けんかしてしまうと困る」
と笑顔であっさり振られてしまった。
一つの枕に寝ても、
まつさんの見る夢と
私の見る夢は違う。
違う夢同士がけんかをしたら困るから寝ない、
という意味でだった。
私を傷つけずに、
優しく美しく私を振った素敵な言葉である。

まつさんは、この先自分自身がどうなるかも臆せず、
そのまつさんは私に語りかける。
「こんなふうに(車いす生活で)苦労する、
寂しい思いをするとは予想していなかった。
これから、長生きしていって、
どうしたらいいだろう?
ひとりで切ない。
死んだら眠ったままになるのかなぁ。
だったらその方がいい。
人の幸福(しあわせ)はわからない」。

まつさんの呟きを、
どんな思いで私は受けとめねばならないのか。
家族から離れ、
ひとりで生きていくことの切なさ、寂しさ。
「人の幸福はわからない」
とのまつさんの呟きが耳朶に残る。

まつさんは、人間の温もりを求めているのかもしれない。
彼女の心を少しでも癒すこと
それは介護員のケアにかかっている。