老い生いの詩

老いを生きて往く。老いの行く先は哀しみであり、それは生きる物の運命である。蜉蝣の如く静に死を受け容れて行く。

96;喪失と再生

2017-05-13 13:48:37 | 老いびとの聲
ご訪問いただきありがとうございます 

天国に行った両親や他人からよく言われた
「若い時ほど苦労は買ってでもしろ」。
苦労を体験することで
他者の大変さや辛さ、悲しみなどがわかり人間の厚みも出てくる。
苦労は 人を労り(いたわり)、優しさを培ってくれる。

私の知っている人 身近にいる人なのですが
苦労を一人で背負い過ぎてしまい
他者との繋がりを閉じてしまった57歳の女性がおられる。
若い時に 夫は家を出てしまい
彼女に残されたのは3人の子どもと住宅ローン
必死に働き節約し 子育てをしながらローンを完済した彼女。
その苦労にはただただ感心し、お疲れ様と言葉を添えたくなります。

或る日彼女から 考えたこともなかった言葉を聞いた。
「他人とお茶のみなどのつきあいをするとお金がかかるので、そのようなつきあいはしてこなかった」
だから、彼女には悩みや相談をする友人もいない
勿論 隣近所のなかで、お裾分けのつきあいもない
実家に帰ると老親の面倒をみるようになったら大変だから、実家にも帰らない。
無駄な物を買ったり、無駄なことにお金を使いたくない。
無駄なことをしたくない。

これだけ自分は頑張ってきたのだから
自分へのご褒美として
今日は、ちょっと贅沢しレストランで食事をしていこう
ちょっと痛い出費だったけど 洋服を買ってしまった
そんな細やかな幸福(しあわせ)があってもいいのかな、と思う。

人間の優しさや労(いたわり)は、人間関係のなかで培われる
他者とのつながりを閉じてしまった彼女
いま彼女は 老後に備え蓄え中
いま26歳の息子と二人暮らし
これから彼女は老いてゆく
それは私も同じ
老いは喪失と再生の時を意味する
病により手足や体の一部が喪失する
長年連れそった伴侶が亡くなる 
それは大きな喪失となり 
立ち上がるまでは時間もかかる
(男は妻が亡くなると なかなか立ち上がれない)
(女は夫が亡くなると さあ人生を謳歌し長生きする)

物忘れが進み 記憶や思い出の喪失
死が背後から忍び寄り残り時間が少なくなる(時間の喪失)
友人、知人の惜別による喪失

喪失だけに目を奪われてしまうと
先が見えなくなってしまう
喪失は再生でもある
「できた」ことが 
「できなくなる」
悔やんでも仕方がない
「できる」ことに
生きる勇気を得
「できる」ことは行い
「できない」ことは他者の助けを得る
いま与えられた条件のなかで
もう一度生きてみる


私は桜と並び
秋桜(コスモス)が好き
台風や強い雨風により茎が折れた秋桜は
折れたところから根を張り
再び生きはじめる







95;嫌われる老人 好かれる老人

2017-05-13 01:29:42 | 老いの光影
金網の向こうに咲いている貧乏草

ご訪問いただき、ありがとうございます 

デイサービスや介護施設をご利用されている老人をみると
仲間や介護職員から
嫌われる老人 好かれる老人 がある
介護始めたころは
どの老人も同じ顔に見えてしまうが
つきあっていくうちに
それぞれの顏は味があり 
皺や白髪、禿から人生の重みを感じる

人間惚けると
その人の性格が浮き彫りにされる
つまりその人の心が
裸にされたような状態になる
老人になってから
嫌な性格を変えることは無難しい
その人が生きてきように 老いてゆく

嫁「いびり」をしてきた婆さん
性格がきつい人 いじわるな人 感謝の言葉が少ない人
そのような人が惚けたとき
表情が厳しく 言葉もきつく 感じてしまう
介護スタッフからの言葉かけも少なくなる?

だから 
老いてからは性格を変えるのは 
至難の業であるだけに
いまから
他者をに対し 施したり 
感謝の気持ちを言動で示すことが大切

好かれる老人は
穏やかな性格
「ありがとう」と何気なく感謝の言葉がでる人
よく気がつき 何気なく他者の面倒をみる人
社交的な人

最後にもう一言
惚けたら人間皆同じ
大学の教授 医師 社長 東大卒(帝国大学卒)であっても
惚けたら
肩書や地位は関係なくなり
惚けたら人間皆同じ
惚けた人は皆 いまに生きる人となり
人間のもつ優しさを失わずに
穏やかに逝きたいものだ



94;手で握った🍙は最高~

2017-05-12 21:54:14 | 老いびとの聲
ご訪問いただき、ありがとうございます 

1年ぶり以上かな
今日は桜デイサービスセンターのお客様(爺さん婆さんたち=人生の達人)と
福島県天栄村 レージナの森へドライブ
福島産のお米を使った🍙🍙🍙3個頂き 大満足
コンビニで購入した🍙ではなく
釜から炊き上げ 人の手で握った🍙を
美味しく頂いた
初夏の風 新緑と沼を背景にして🍙
みんなで食べた🍙は最高
🍙は人の温もりのある手で握ったから
余計に美味しい
今日の心の色鉛筆は「黄色」
幸せな一日でした

93;私が寝たきりや認知症になったときは・・・・

2017-05-12 14:42:28 | 老いびとの聲
福島県天栄村 レジーナの森 初夏風景

ご訪問いただき、ありがとうございます 

私が
寝たきり、或は認知症になったとき
自宅で妻と暮らし 介護をしてもらいたい
と 思うが
もし私が80歳のときに寝たきりになったら
妻は58歳
私の介護のために
「自由のない」生活にはさせたくないので
介護施設を選ぶが
どのような介護施設にするかは
ベストな施設はないと思うので
ベターな施設を選んでいきたい
でも
老後の介護においても
「金次第」なのか
お金がなければ 
ベターな施設で世話を受けることができるかどうか
それはわからないが・・・
介護施設で
人生の最期を終えるとき
傍らで誰かに手を握ってもらい
あの世に逝きたい


人間生れたときには
傍らに誰かがいた
ならば
死するときも
傍らに誰かに居てもらいたい
誰知れずあの世に逝くのは
寂しい・・・

92;寝たきりになったとき、誰に介護をしてもらいたい?

2017-05-12 04:41:57 | 老いの光影

ご訪問いただき、ありがとうございます 

いま私は、白河の関を境に、
寝たきりや認知症を抱えながらも
懸命に生き
在宅で過ごされている老人とその介護者の「家」を
毎月一回以上訪れている。
どの老人も「住み慣れた家がいい」
「家(うち)がいちばん」と
目を細めながら話してくれる。

しかし、
なかには介護者自身も高齢の身であり、
腰痛や膝の痛み、高血圧、心疾患などの病を持ちながら介護をされている。
いつまで続くかわからない介護・・・・。

俗な表現になってしまうが
家族にいつも汚れた紙おむつや下着の交換をしてもらう老人たちにとって、
どんな思いを抱き、
日々「家で過ご」されているのか。
いつも気になっている。


床ずれができ、両膝は「く」の字に曲がった85歳の男性老人は
ぽつりと小さな声で呟(つぶや)く
「早くあの世に逝きたい」と。

いつまで続くかわからない介護に、
身も心も擦り減らして、
代わってくれる人もいない老老介護。
伴侶(つれあい)が生きていてくれるだけで、
妻としての努めを果たすことができる。

夫は寝たきりになったとき
妻に介護してもらいたい。
妻は介護したくない、と回答。

妻が寝たきりになったとき
夫には介護してもらわず
介護施設に入り そこでお世話になる。

団塊の世代では
そのような声が聞かれる。
あなたならどうする?



91;食べることの意味(5) 老いた母親を看取った長男

2017-05-11 20:38:21 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます 

ウメさんは、摂食・嚥下障害は「問題なく」、
口から食べることができたのに、
「一口摂取すると吐き気を起こしていたのはなぜか」
「食べられるのに食べなかったのはなぜか」。
それはウメさんだけがわかっているのかもしれない。

60数年以上も人生を歩んできた伴侶であった夫が他界後、
離れの家で彼女なりに独居生活を楽しんできたが、
連日の暑さから体力低下と脱水症から、
歩けなくなり寝たきりの状態になった。
「要介護4」というありがたくない要介護認定の通知が届いた。
訪問入浴、特殊寝台(介護用ベッド)・床ずれ防止用具(エアマット)の貸与の介護サービス開始された頃、

ウメさんは「住み慣れた家で元気に暮らしたい」
「体力を快復し、また歩けるようになりたい」
という願いをもっていたが・
・・・。
暑さのせいで食が進まなかったこともあるが、
ウメさん自身が意識的に食事を摂らず、
体力消耗、栄養不足のため入院に至った。
ウメさんが「食べられるのに食べられなかったのはなぜか」、
それを知るきっかけとなったのは、
小峰城が見える病院のデイルームで
長男嫁が私に話してくれたなかに、
その理由が隠されていた。

《長男嫁相子さんの話》
「平成24年7月26日の夕方、
私(相子さん)が、
用事があり出かけたときのことです。
義母は便意をもよおしトイレに向かって必死になって這ったけれども、
間に合わず便を漏らしてしまった
便が着いた紙おむつは気持ちが悪く、
義母はおむつを外した際に手に便が着いてしまい、
どうしてよいかわからず頭は混乱し、
その手を壁やパジャマなどにベタベタ塗り付けたり拭いたりしてしまった。
その場面に遭遇した65歳の息子(長男)は
孫息子も呼び、
便だらけになったウメさんの介抱をし
ベッドに寝かせてくれた出来事(こと)があった」のです。

ウメさんにとって、
「(その時間、その場に長男嫁がいなかったことから)
男にしかも息子、孫息子に下の世話や便の後始末をしてもらったことがショックだった」。

「自分が歩けてさえいれば、
便をお漏らしすることもなくトイレに行けた」のに、
「自分は歩けなくなった」。
「これから自分はどうしたらいいのか」。

彼女はひとり悶々と悩んでいたことを知った。
食べたりトイレで用を足したり、
風呂に入ったりなどの日常生活は、
大人ならば老いても誰でもごくあたりまえにできて当然であるはずなのに、
いまの自分は(自分ひとりで)できなくなった
つまり「できること」が「できなくなった」自分に対し喪失感を抱き、
「生きたい」という気持ちが萎えてしまってきたことにあると、
ウメさんは思った。  
ウメさんは、何でも自分でやってきた頑張り屋であった。
いままで大病もなく病床に伏すこともなく生きてきただけに、
いまの自分は誰かに下の世話受けなければならない。
他人の手を煩わせるくらいなら・・・・、
「食べない」という消極的自殺による手段をとったのであろうか。
それでも彼女は、最後は「家に帰りたい」という気持ちから、
少量ながらも食事を口にした。
洋一さん(長男66歳)は、ウメさんが寝たきりになってから彼女が寝ている
(介護用)ベッドの隣に家具調ベッドを置き、
傍に付添い寝しながら老いた母親を看取って来られたことを、
私は彼女が旅立つ前日に知ったのでした。




90;“さわやかな朝を迎えたい”

2017-05-11 18:55:15 | 老いの光影
ご訪問いただき、ありがとうございます

声なき老人より、
「切なるお願いがあります。
大きな声ではとても恥ずかしくて言えないので、
こうして代わりに書いてもらうことにしました。
そのお願いというのは、
夜のことです。
夕食がすむと憂鬱(ゆううつ)になるのです。
また、あの痛い思いをしなければならないのかと。
それは、
男性老人が着けるユリサーバー
(コンドームタイプの男性用採尿器)のことです。
夜間おもらしをし濡れたおむつでいるのは
可哀想だということで、
心優しい女性介護員が
ユリサーバーを着けてくれるのは有り難いのですが、
その着け方に難点があるのです。
本当に恥ずかしくて言いにくいのですが、
それはユリサーバーを着けるとき
“毛にテープがつかないように”していただきたいのです。
ただそれだけのことなのです。
いくら毛があっても足りません。
いつまでもあの痛さに耐えられず、
また同胞のことを想うと、
こころで奮起して告白しなければ事態は解決しません。
悲劇的な苦痛を感じずに、
“さわやかな朝”を一日も早く迎えたいものです
(いま、ユリーサーバーは使っている施設はほとんどないのではないかと思う)。 

89;介護は 「あなた」がいて「わたし」がいる

2017-05-11 16:00:08 | 介護の深淵
民家を活用した小規模(定員10名)の桜デイサービス
南向きの縁側でひなたぼっこ
「あなた」がいて「わたし」がいる

ご訪問いただき、ありがとうございます 

ここで こうしている(在る)「わたし」とは
いったい何者なのだろうか?
この世には
「わたし」がいて 「あなた」がいる
「あなた」がいて 「わたし」がいる
人間 ひとりでは生きていけない

「この世に出てきたい」と思って
母胎から出てきた赤ちゃんはいない
けれどこうして いま「生きている」こと
それだけですばらしい
人間生きていると
楽よりも苦のほうが多い
過ぎてしまえば それはそれで思い出になる
そこには希望の光を失わないこと
人間 この世に生まれ
だれもが倖せになることを 願わない者はない
人間 最後の瞬間まで「人として」生きていたい

いまこうしている「わたし」とは
いったい何者なのだろうか?
「わたし」は何処へ行く(逝く)のだろうか
時間は緩やかに流れながらも「老いたわたし」になる

「あなた」と話をしていて突然
「わたし」はだれと何の話をしているのか
「わたし」は何をしようとしていたのか
分からなくなる
わたしの頭は いったいどうなったのか
わたしを失っていく
わたしが壊れていく
わたしがわたしでなくなる
「あなた」から “痴呆(認知症)になったら 人間お終いだね”と 言われ
偏見 見下され
施錠され 紐で縛られた人生の最後は 辛く切ない

認知症になっても
長年住み馴染んだ家や人々と関わりあいながら 生きていたい
老いたひとり一人の人生は それぞれ様々である

介護がめざすものは
そうしたひとり一人の生きてきた人生に
生きることの素晴らしさとよろこびを感じ
だれもが「また 人間に生まれてきたい」
と 希望をもって逝かれたら最高だ
認知症になっても寝たきりになっても
おむつをするようになっても
同じ人間であり 同じいのちの重さである
「わたし」もひとりの人間である

認知症になっても
ごく普通の生活がしたい
自分で 自分の 自分が
というように自分でできることを認めて欲しい
多くのことを欲しはしない
自分の足で 買い物に行き
自分の手で 包丁を握り
味噌汁の匂いを感じる
自由気ままな そんな生活を過ごせたら倖せだ
「倖」という字を見て感じるように
「幸」に「人」という文字が傍らに寄り添っている
人間は ひとりでは生きていけない
「あなた」がいて 「わたし」がいる
「わたし」がいて 「あなた」がいる
「わたし」が倖せになるためには
「あなた」が倖せになること
生活のなかで「あなた」が倖せを感じたとき
「わたし」も倖せの風を感じる
認知症になっても
ゆっくりのんびり やさしく生きていいんだと
介護は人間を回復する営みであることを願う





88;食べることの意味(4) 大好物の饅頭を食べた! 

2017-05-11 01:37:14 | 老いの光影
空地にひとつの根からたくさんのたんぽぽ

ご訪問いただきありがとうございます 

家の窓からは那須連山を眺め、
畑の近くは阿武隈川が流れる地に
塩田ウメさんは(88歳 要介護4)嫁いできた。
彼女は夫ともに南陸奥の大地(畑)を耕し、
子牛とともに人生を歩んできた。

ウメさんは梅雨が明けるまでは、
自分でご飯を炊き食欲も旺盛であった。
三度の食事の他に、
好物の果物や饅頭も元気よく食べていた。
壁をつたいながらも
トイレで用を足していた。

1週間前から 彼女は食欲が失せ
食べない日が続いた。 
左足変形性膝関節症の痛みが増し
歩くこともおぼつかなく、
起き上がることもできなくなった

ひまわりの季節は暑い日が続き
ウメさんは、食事だけでなく
水分も摂らなくなり
脱水症状となった。     
8月の或る日 7時半過ぎ電話が鳴った。
「こんな早い時間になんだろう」と気になり
受話器を取ると長男嫁の相子さんからであった。
医師より「体力消耗が激しく3日間程度点滴をする必要があり通院しなさい」と言われたが、
「通院することが大変であること」を話すと入院となった。

入院後、南陸奥総合病院5階東病棟の4人部屋で療養することになり
ウメさんの症状は容易には快復しなかった。
依然食欲はなく、
ご飯を口にしても嘔吐反応がみられ、
主治医からは「とりあえず様子を見ていきましょう」
と言われただけであった。
家族は心配し「食べないと元気にならない」
「食べないと家に帰れないよ」などと励ましていた。
確かに「口から食べないと元気にならない」ことはそのとおりであるが、
本人にとっては強迫観念を与えてしまう面があることから、
「時間が解決していきますよ」と短い言葉で相子さんに話した。

秋桜が咲く季節になっても
一口入れただけでも 未だに嘔吐は続いていた。
内科的な検査でも
「異常なし」(胸部レントゲン、血液検査、尿検査、心電図、CT、胃カメラ)の結果がでた。
心療内科医は「抑うつ症」と診断し、
そこからくる食欲不振であり

「様子を見ていきましょう」ということになった。

ウメさんは、
夫が(あの世から)迎えに来ないかな」
「夫の処に逝きたい」
(夫は昨年2月に永眠された)
と呟き、生きる意欲も失せていた。

どうしたら食べて頂けるか、
病院のデイルームで相子さんと話しをした。
「ウメさんの枕元になにげなく、
彼女の好きな饅頭を置いてみましょうか」。

そしたらウメさんは、
誰も居ないときに饅頭を半分、
嘔吐することもなく食べたのです。

その後ウメさんは、
全量ではないが、
口から食べるようになり
点滴を外したりの悪さをしたり
「家に帰りたい」と訴えるまでになるほど元気を回復した。

家族の介助だと食事を摂らない場面もあったけれど、
看護師の介助ならば摂取できるようになった。

彼女は食べられるようになったことから、
2カ月ぶりに 懐かしい我が家に帰った。

その3日後にウメさんは、
長男嫁と孫嫁から末期の水を口に潤してもらい、
家族に見守られるなか
老衰により88歳の人生にピリオドを静かに打った。


87;心の色鉛筆(5) 砂時計

2017-05-10 20:37:18 | 老いびとの聲
我が家の一人息子=長男 beagle元気 気にいっている画像(親馬鹿)

ご訪問いただき、ありがとうございます 

10歳の子どもより
60歳過ぎの大人のほうが
時間の推移を早く感じてしまう
10歳よりも60歳のほうが
時間の速さは6倍になる
齢が嵩むほど 時間の速さは増す
時間は無限にあるが
時間はいきなり
そこで停止することだってある
時間は誰にも与えられているが
時間の使い方は
人其々
時間は目にみえず
いつもでも有るものと錯覚しがち
人生の時間は
砂時計のようなもの
砂の色は 青色がいい
青色は青春の色
私が住むこの惑星は青色
今夜は 青空を飛ぶ夢を欲する
おやすみなさい

86;食べることの意味(3) 糞尿まみれ醤油色の下着

2017-05-10 10:07:27 | 老いの光影
桜デイサービスセンターの窓に白河達磨

ご訪問いただきありがとうございます

「食べ物にありつけた」桃子さん

食べるときの彼女は
せわしなく
貪(むさぼ)り食べる
何かに取り憑かれたような感じ
口のなかへ沢山食べ物を入れるから
ゲホッゲホッしてしまう。
それでなくとも喘息があり
余計に苦しくなる。
ここ7日間余り食べていなかった、という。
これでは「食を味わう」「食を楽しむ」
という状態にはなく
傍でみているだけで 
悲しく 遣る瀬無くなってしまう。

昼食を摂っても 顔色は青白く精彩もない
SpO2(動脈血酸素飽和度)を測定すると
91の数値であり酸欠状態にあり
主治医に連絡を入れ 
14時00分に連れていくことになった
再度測定すると89の数値になり
主治医了解のもとで
救急車を呼び 南陸奥総合病院へ搬送となった

救急外来処置室のなかで
救急処置の対応にあたった看護師が
「うわぁ~」と声を上げた
上半身の様子を看ようと
上げた下着に吃驚
白色の下着は醤油で煮詰めたような色に染まり
糞尿も広範囲に染み渡っていた

き添いをした明子センター長は「恥ずかしかった」と、あとで話してくれた。
着替えを用意するようお願いしても「タオルのみの持参」
ここ7日間で体重は3㎏減った

ドクターはカルテにネグレクトと記載した
気管支喘息が何か悪いウイルスで悪化したもの、ということで
酸素5ℓ施行した

桃子さんが生活している居間(部屋)は
ごみだらけで足の踏み場もないほど
そこへ とら猫、黒猫、白猫など猫たちが外と内を自由に出入り
彼女の布団に潜り込む
シーツも白色ではなく醤油色で 
その上 土、砂や埃が入り混じり 
手で触ったときの感触はざらざら?!
布団は24時間敷き放っし

人間が生命を維持していく上で
食べる 排せつ 睡眠
この3つは「生理的欲求」として不可欠になる

この3つのうち1つでも欠けると大変なことになる
生理的に我慢できるものではない
「食べたい」(飲みたいも含まれる)
「トイレ行きたい」
「眠りたい」

桃子さんの場合 食事の欲求が十分に満たされていない
排せつにしても 人前では恥ずかしい思いをし、糞尿の後始末ができていない
睡眠      ざらざらしたシーツの上では快眠といえるのだろうか
人間らしい生活がなされておらず
栄養不足 不衛生な状態に放置されたままの状態にある

長男晴夫は「きちんとやっています」の言葉に
医師も看護師も その言葉を信じてはいなかった

1日1食でもよいから 
桃子さんの食事がきちんと摂れるよう
していかねば・・・・
地域包括支援センターが入っていかねばならない











85;貧乏草

2017-05-10 03:44:59 | 春夏秋冬
荒地になった3坪しかない野菜畑に「貧乏草」が生えた

ご訪問いただき、ありがとうございます

我家の空き地に
“白い花”が咲いていました。

その白い花は、乾いた道端(みちばた)でも踏まれながらも、
生きており、何処にでも生えています。

妻に「何という名の花かな?」と尋ねると、
「それは貧乏草という花ですよ」と答えてくれました。
「貧乏草」という名は俗称であり、
本当の花の名はなんであるか、
気になりだし調べてみました。

全国各地に生息する「春紫苑(ハルジオン)」や「姫女苑(ヒメジョオン)」を、
「貧乏草」と呼び、
両種はキク科で外見も似ていて、
北アメリカ原産の帰化植物です。
4~5月に咲くのは、ハルジオン、花言葉は“追想の愛”。
ヒメジョオンは5月から初冬まで咲き続け、花言葉は“素朴で清楚”です。
ハルジオンヒメジョオンという立派な名に反して、
なんとも「貧乏草」と呼ばれるのは、余りにも可哀想です。

両種とも荒れた肥料分もない痩せた田畑しかもたない
貧乏な家の土地に生えてくるので
「貧乏な家の草」から転じて「貧乏草」と呼ばれるようになった説もあります。

ハルジオン、ヒメジョオンは、コンクリートやアスファルトのひび割れた処にでも生えてきます。
ヒメジョオンは、線路沿いに咲き広がり「鉄道草」とも呼ばれています。

松任谷由実の歌に、『ハルジョオン・ヒメジョオン』があります。
「川向こうの町から 
宵闇(よいやみ)が来る 
煙突の家並みも
切り絵になって 
哀しいほど紅く
夕陽は熟れ(うれ)てゆくの 
私だけが変わり 
みんなそのまま 
ヒメジョオンに埋もれて
くちづけをした・・・・」

84;あの日にかえりたい

2017-05-09 15:00:06 | 老いびとの聲
荒井由実のヒット曲 「あの日にかえりたい」の
メロディーが聴こえてくる

ご訪問いただき、ありがとうございます


本当に”あの日にかえる”ことができたらどんなによいか
あなたなら どの時期にかえりたいですか
自分なら13歳頃 ぴかぴかの中学一年生がいいかな
でもそれはかなわぬ夢

せめて十年前でもいいから その日にかえれたら
いまより若い
いまを嘆いても仕方がない

ボタンの掛け違いなのか
すれ違いなのか
あの日にか えることができれば
掛け違いすれ違いは なくなり
恋物語が始まる


83;食べることの意味(2) 食卓風景が消えた家族

2017-05-09 01:04:56 | 老いの光影
夕暮れ時 空には 月が浮かんでいた(あと一日で満月になるのかな)

産まれたばかりの赤ちゃん猫を殺めた老婆が入院した
何度も説得し、里猫のお願いを懇願したが、
聞き入れてもらえなかった。
いまその老婆は、喘息があり
黴菌に依る高熱と酸素不足の症状になり
救急搬送され南陸奥総合病院入院となった。
仔猫の◯◯がのりうつったのか⁈ 
それはわからないが・・・・

ご訪問いただき。ありがとうございます

86歳になった桃子さんは元小学校教師
家族は6人
桃子さんの夫、夫の両親、長男夫婦
三代にわたる教員一家
桃子さんは6年ほど
寝たきりになった夫の介護をしてきた。
夫の介護燃え尽きたのか
昔の面影は消え 物忘れが激しく
いまでは曜日、日にちの感覚も失せてしまった。

2世代住宅の造りで大きな家
桃子さん自身 退職金、積立 共済年金による収入があり
経済的には余裕があった。
「食べることには不自由しない」はずであった。
しかし、現実は違っていた。
飢餓に近い状態に放置されていた。
つまり ネグレクト(介護放棄)にあった

桃子さんは1階に住みながらも
キッチンをする住環境はなく
電気釜や電子レンジの類は勿論なかった。
手元に電気ポットがあるだけ
CO-OP宅配注文が 唯一食料確保であった
焼き蕎麦 🍙 カップ麺 缶詰 スナック菓子 佐藤のお餅 等々 
火を通すものはなく お湯があればできるもの
中学生 小学生の孫3人は
桃子さんの部屋に来るも
焼きそば 🍙 カップ麺 スナック菓子を食べ終えたら 2階の自室に帰る
会話はまったくされず
それでも 可愛い孫たちのために 段ボール詰めで食料品を買うことが
桃子さんの楽しみであった
長男は教務主任で帰りは遅いというが怪しい
長男の妻は我が子を塾まで車に乗せ 帰宅は22時になる
6人家族なのだが 朝食も夕食も 家族全員揃って食べることはなく
食卓風景が消えた家族
 であった。
立派な家があっても家族の絆はあるのか?

桃子さんは長男に心配かけてはならない、と気遣う
「きちんと食べている」
その言葉に 長男も女性ケアマネも真に受けている
「どんな物を食べたのか」を尋ねておらず、そこで話は終わっている
「(佐藤の)お餅を6枚食べた」と
「話しているから大丈夫~」。
喘息があり ゲホンゲホンしながら食べている彼女
餅は詰まりはしないか、と心配の言葉をかけても
「餅6枚も食べたから大丈夫~」(ケアマネ)
それはないだろう~ 
桃子婆さんの言葉よりも 青白い顔や潤いのない肌が物語っている
栄養バランスは皆無 食事量も不足であり
基礎代謝量は確保されていないため 体全体の筋肉は萎え
週2回訪問している理学療法士は
「手足を機能訓練しても筋肉が萎えているので、
その前にしっかりと栄養を摂ってからでないと
機能訓練をしても効果がない」

「リハビリよりもデイサービスの利用回数を増やし
栄養状態を改善することが先決」
と指摘する。
私も似たような趣旨の発言を重ねてするも 声は届かず。

37.5℃の発熱があり 体が怠く 顔色も悪い状態のなか
「桜デイサービスセンターに辿り着いた。これでようやく食にありつける
と 溜息なのか、それとも安堵の呻きなのか 言葉を洩らした。
                      

(3)に続く













82;心の色鉛筆(4) 「自由気儘がいい」

2017-05-08 21:56:24 | 老いびとの聲
自宅の庭で見つけた 小さな黄色いたんぽぽと綿毛たんぽぽ

ご訪問頂きありがとうございます

90歳過ぎの爺さん
つい最近までは糖尿病から来た痛風なのか
痛風のため両足首から指先にかけ痛みが走っていた
痛いときは デイサービスに行くと話していたが
痛みがやわらぐと「家の炬燵で自由気儘に寝ているのがいい」
結局1回きりのデイサービス利用で「卒業」してしまった
脚の衰えと物忘れの進行が心配
豆に訪問するしかない
同じく90歳を超えた婆さん(妻)のほうが逞しい
腰は曲がりながらも
外に出て畑や庭の草取り(仕事)をしている
「爺さんはダメだ! 根性なしだ!」
「体を動かさないとダメだ」と大きな声で話す
婆さんの言葉に 余の心は救われた
今日の心の色鉛筆は 桃色かな
頑張る婆さんにピンクのリボンを髪につけてあげたい