私のブログの「アメリカコマクサ」に入れられたゆずさんのコメントに関連する話だが、園芸社会は多くの誤った情報に満ち溢れています。
ヤフーの知恵袋に回答していても突き当たる問題で、多くの人が悩まされている問題でもあるでしょう。
その最大の原因は「園芸書」と呼ばれる書籍類にあるのです。
最近はネットで得られる情報も絡んでいますがね。
これは今を去ること40年ほど昔の話だが、当時私はある大手出版社から出版される予定の「盆栽に関する園芸書」に関わっていたのだが、そこには驚くべき実態があったのです。
私は著者と何度か話をしたことがあるのだが、著者の話を聞いていて「ビックリ!!」しましたからね。
最も驚いたのは、著者が最も書きたいと思うことが「そんな常識はずれのことを書いては売れないので、一般受けするような内容に書き換えてくれ」と要求されたと言うのです。
それを拒否しても「その部分はこちらの書籍から引用した内容にしておきますよ」とまで言われるそうなのです。
更に、やむを得ずその内容を受け入れた上で自分の書きたいことを併記させたところ「ページ数の関係で削除します」と言う編集長からの伝言があったそうなのです。
要するに、出版社としては、ページ数が増えると値段も上げざるを得ず「売れなくては困る」と言うことなのです。
そして、別の園芸書の「裏の姿」も見ることになるのです。
それはある著名な園芸家が書いたことになっている園芸書のだが、その内容は「何冊かの本の寄せ集め」といってもよい内容で、園芸家自身が手がけた事のない植物のことさえ書いてあるのです。
要するに、内容の多くは「他の本からの引用」で占められているのです。
このような事からわかるように、園芸の専門書でも信じがたい事が書かれていることは珍しい事ではなく、私の一見乱暴に見える栽培法も、ここに原点があるのです。
かつては「趣味の園芸」を読んでいた時期もあるのだが、書いてある内容が余りにも「一般論」過ぎて、今は全く読みません。
たまに本屋で立ち読みをするのだが、私が求めるものは「新しい植物に関する情報」であって、栽培法などは「参考程度」と考えています。
たまにテレビで放送されているのを見ることはあるのだが、結構「エッ!、それでいいの?」と思うようなことも多いですからね。
誤った情報でも、一たび「常識」として受け入れられたらおしまいです。
誤った常識を翻らせる事のナント難しいことか。
ネットで得られる情報にしても同じことでしょう。
かなりいい加減な情報でも「素人受け?」すると検索の上位に来るため、肝心の正しい情報が行方不明になってしまいます。
また、園芸家といわれるような人たちはある程度整った設備のもとで栽培していることがほとんどで、一般的な栽培条件とかけ離れている事も多いですからね。
条件が違えば結果が違うのはあたり前のことで、そのことも念頭に入れておく必要があるでしょう。
これも昔の話だが、間に一軒置いた隣の家でも条件が違うことは珍しい事ではなく、同じものを同じように栽培しながら「逆の結果」が出る事だって良くありましたからね。
これは「栽培する人とその植物との相性」と言うものも絡んでいて、とても一筋縄で対処できる問題ではないのです。
ヤフーの知恵袋に回答していても突き当たる問題で、多くの人が悩まされている問題でもあるでしょう。
その最大の原因は「園芸書」と呼ばれる書籍類にあるのです。
最近はネットで得られる情報も絡んでいますがね。
これは今を去ること40年ほど昔の話だが、当時私はある大手出版社から出版される予定の「盆栽に関する園芸書」に関わっていたのだが、そこには驚くべき実態があったのです。
私は著者と何度か話をしたことがあるのだが、著者の話を聞いていて「ビックリ!!」しましたからね。
最も驚いたのは、著者が最も書きたいと思うことが「そんな常識はずれのことを書いては売れないので、一般受けするような内容に書き換えてくれ」と要求されたと言うのです。
それを拒否しても「その部分はこちらの書籍から引用した内容にしておきますよ」とまで言われるそうなのです。
更に、やむを得ずその内容を受け入れた上で自分の書きたいことを併記させたところ「ページ数の関係で削除します」と言う編集長からの伝言があったそうなのです。
要するに、出版社としては、ページ数が増えると値段も上げざるを得ず「売れなくては困る」と言うことなのです。
そして、別の園芸書の「裏の姿」も見ることになるのです。
それはある著名な園芸家が書いたことになっている園芸書のだが、その内容は「何冊かの本の寄せ集め」といってもよい内容で、園芸家自身が手がけた事のない植物のことさえ書いてあるのです。
要するに、内容の多くは「他の本からの引用」で占められているのです。
このような事からわかるように、園芸の専門書でも信じがたい事が書かれていることは珍しい事ではなく、私の一見乱暴に見える栽培法も、ここに原点があるのです。
かつては「趣味の園芸」を読んでいた時期もあるのだが、書いてある内容が余りにも「一般論」過ぎて、今は全く読みません。
たまに本屋で立ち読みをするのだが、私が求めるものは「新しい植物に関する情報」であって、栽培法などは「参考程度」と考えています。
たまにテレビで放送されているのを見ることはあるのだが、結構「エッ!、それでいいの?」と思うようなことも多いですからね。
誤った情報でも、一たび「常識」として受け入れられたらおしまいです。
誤った常識を翻らせる事のナント難しいことか。
ネットで得られる情報にしても同じことでしょう。
かなりいい加減な情報でも「素人受け?」すると検索の上位に来るため、肝心の正しい情報が行方不明になってしまいます。
また、園芸家といわれるような人たちはある程度整った設備のもとで栽培していることがほとんどで、一般的な栽培条件とかけ離れている事も多いですからね。
条件が違えば結果が違うのはあたり前のことで、そのことも念頭に入れておく必要があるでしょう。
これも昔の話だが、間に一軒置いた隣の家でも条件が違うことは珍しい事ではなく、同じものを同じように栽培しながら「逆の結果」が出る事だって良くありましたからね。
これは「栽培する人とその植物との相性」と言うものも絡んでいて、とても一筋縄で対処できる問題ではないのです。