(ブーメラン)
子供の頃、江戸川乱歩が書いた、シドニー、メルボルンを
舞台に妖怪が出てくる探偵小説を読んだ記憶がある。
ついこの間まで、オーストラリアの首都は、
メルボルンであると思い込んでいた。
メルボルン・オリンピックの所為だ。
ところが、シドニーでオリンピックが開催されるや、
なんだ 首都はシドニーだったかと考え直した。
そしてオーストラリアを旅するに当たって、
最初に着陸する空港がブリスベーンで、
ここが首都であることを知った。
地理に疎いボクの知識はこんなところである。
着陸したブリスベーンの街に入って、
すぐ朝食の時間になる。
一寸街に入ったら、川べりに出た。
はるか向こうに熱気球がいくつか空に浮かんで、
ゆっくりと進んでいる。
その川べりの東屋ですこし休憩しようと思ったら、
先客がいた。
ホームレスである。
文化の進んだ白人社会にホームレスがいるとは、
思いもよらなかった。
この時がアメリカ以外の国への、
初めての海外旅行であったので、
驚きは大きかった。
第一日本が世界第二位の経済大国であるなど考えもしなかったから、
白人社会のホームレスも予想外の出来事であった。
オーストラリアの旅はこんな出来事からスタートした。
オーストラリアは御承知の通り、羊の国でもあるので、
ツアーの中に農場見学、羊の毛刈りのショウも入っていた。
グリーン農場と名の付いた農場で、昼食とブーメラン飛ばしと
羊飼いの羊の柵への追い込みショウが、
今日一日の予定になっていた。
昼食を早めに食べ終えて、
農場に出ると数頭の犬が鎖に繋がれている。
いかにも精悍な面構えである。
こんな精悍な犬に吠え立てられたら、
羊も怖くて逃げ回るのも当たり前と思っていた。
犬よりもさらに精悍な面構えの、
羊飼いのお兄さんが、
革のジャンパーに皮のズボンをはいて、
手にはブーメランを持って、
幅広のカウボーイハットをかぶり出てきた。
近くに来ると背の高い手のひらの大きい、
そのカウボーイのごつごつした手の指には、
ごつい塊の銀の指輪が入っていた。
唇に指を当て口笛を吹くと、何処からともなく一団の羊が
音もなく近寄ってきた。
もう一度口笛を吹くと、羊たちの後ろで犬たちが大忙しで
駆けずり回っているのが見える。
次の口笛で犬たちは伏せをした。
そこで羊飼いのお兄さんが説明をする。
口笛の吹き方で、伏せ、右回り、左回り、
と言うように、犬に命令をします。
犬に追いかけられる羊たちを、
必要な柵の中に追い込むためです。
牧童の口笛に従って、犬たちは右往左往する。
説明は英語だ。
カミサンに何をしゃべったか話してあげる。
ボクは当初、
犬たちは自らの考えで各々協力し合って、
柵へ羊を追い込むものと思っていた。
主人の意向を汲んで、
犬たちが勝手に動くはずは無く、
考えてみれば牧草地はいくつもあって、
牧草を食べつくすと次の牧草地へ移動するのであるから、
次は何処と犬たちに分るはずも無い。
それにしてもよく飼いならされた犬たちである。
一団の羊たちが柵に追い込まれると、ブーメランを飛ばす。
飛ばしたブーメランがまた自分の手元に戻ってくる。
これは移民したイギリス人が、
本国で飛ばし方を習ってきた訳ではない。
もとはというと、オーストラリアに居住していた先住民の
アボリジニが行っていたものである。
(ブーメラン)
それを移民してきたイギリス人が習い覚えたものである。
早稲田大学の物理学教授の話によれば、
空体力学から簡単に解明出来るそうだが、
飛ばす物体の空気抵抗力、浮揚力を利用しているから、
吹いている風に向かって約45℃の角度で投げると、
物体は飛んでいって戻ってくるらしい。
その旅行の時期、ちょうどボクは、昔は40肩、50肩と言い、
今では栄養事情がよくなったのか、60歳頃になると起きる
肩の上げ下げさえ覚束ない痛みに耐えていた時期であった。
今では60肩。それがすこし良くなった時期であったが、
ブーメランくらいは飛ばせるものと思っていた。
「誰か、やって見ませんか?」と言われて、すぐ飛びついた。
しかし、肩の痛みは思ったほど好転していなくて、
残念ながらブーメランを飛ばすどころか
地面に叩きつけることになってしまった。
意気揚々と名乗り出て、
カミさんに良いところを見せようと思ったのに、
無残な姿を披露して、
みんなの失笑をかってしまったのは、
いかにも残念であった。
ボクが悔しがっているのを見て、
そっとなだめてくれたのはカミサンで、
持つべきものは、気の効いたカミサンにしかず、
そう思っているから、世界へ旅立つことが出来ている。
悔し紛れに、日本に帰ってから、
もう一度チャレンジするつもりで、
自分へのお土産にブーメランを買ってきたが、
ついに飛ばしたことも無く、
今では本箱の上で埃を被っている。
(おわり)