(上野公園、西郷さんの銅像)
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一月の小春日和の日に、上野公園に出かけた。
暖かさも手伝って、沢山の人で出会った。
よちよち歩きのお子さん連れ、やっと歩を進めるお年寄りに連れ添ったご夫婦、
はつらつとした外国人、同じ帽子をかぶった幼稚園児の年長さん達、
住まいを失った人たちはベンチで暖を取っている。
地下鉄を出た所の階段の上に、西郷さんが犬を連れて立っている。
以前はJR上野駅を降りた所から、良く見えた銅像であるが、
周りが囲まれて、今も電車を降りたら見えるのであろうか。
遠目にいつも見ていた西郷さん、
こんなに近くでまじまじと見たのは初めてのことである。
台座に刻まれた銅板に漢字が並んでいるので読むと、
明治二十六年に起工して三十年にこれを建てたとある。
銅像を見たら、右手にワン公のの紐?鎖?を持ち、
左手は、腰にある刀に手をかけている姿であることを知ったのは、
今日が初めてのことであった。
西郷さんの左後ろに、彰義隊のお墓がある。
(彰義隊のお墓)
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(1868年五月十五日、この辺りで上野戦争があった。
江戸時代の終結、明治時代の始まりである。
この戦いで、彰義隊と呼ばれる徳川方旧政府軍の一団が、
新政府軍との戦いに敗れた。
彰義隊の生き残り戦士 小川興郷(オキサト)らは、
1874年明治新政府の許可を得て、戦死者の火葬場となった当地に、
戦死者の墓を建てた。
なお、遺骨の一部は南千住の円通寺内に合葬されている。
以後、120年以上に亘って小川一族により彰義隊のお墓は守られてきた。
2003年より現在に至るまで、
歴史的記念碑として、東京都が管理している。)と言う。
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一月の小春日和の日に、上野公園に出かけた。
暖かさも手伝って、沢山の人で出会った。
よちよち歩きのお子さん連れ、やっと歩を進めるお年寄りに連れ添ったご夫婦、
はつらつとした外国人、同じ帽子をかぶった幼稚園児の年長さん達、
住まいを失った人たちはベンチで暖を取っている。
地下鉄を出た所の階段の上に、西郷さんが犬を連れて立っている。
以前はJR上野駅を降りた所から、良く見えた銅像であるが、
周りが囲まれて、今も電車を降りたら見えるのであろうか。
遠目にいつも見ていた西郷さん、
こんなに近くでまじまじと見たのは初めてのことである。
台座に刻まれた銅板に漢字が並んでいるので読むと、
明治二十六年に起工して三十年にこれを建てたとある。
銅像を見たら、右手にワン公のの紐?鎖?を持ち、
左手は、腰にある刀に手をかけている姿であることを知ったのは、
今日が初めてのことであった。
西郷さんの左後ろに、彰義隊のお墓がある。
(彰義隊のお墓)
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(1868年五月十五日、この辺りで上野戦争があった。
江戸時代の終結、明治時代の始まりである。
この戦いで、彰義隊と呼ばれる徳川方旧政府軍の一団が、
新政府軍との戦いに敗れた。
彰義隊の生き残り戦士 小川興郷(オキサト)らは、
1874年明治新政府の許可を得て、戦死者の火葬場となった当地に、
戦死者の墓を建てた。
なお、遺骨の一部は南千住の円通寺内に合葬されている。
以後、120年以上に亘って小川一族により彰義隊のお墓は守られてきた。
2003年より現在に至るまで、
歴史的記念碑として、東京都が管理している。)と言う。
まだ新しいのですね~
ご両親の年齢から比較してでしょうか?
かすかに今でも見えますが、そのつもりで眺めないと見れないですけど。
私も西郷さんの銅像は正面から見たのは1~2度ぐらいで横を素通りする事が多かったかも。
西郷さんの奥さんがあの銅像を見て主人に似ていないと云ったとか?
JR上野駅で終点だった常磐線が東京駅や品川駅の方へ延長運転になるそうですね。
高崎や宇都宮から来る列車も同様だとのことは
上野駅が通過駅になってしまいますね。
言葉の問題もあるようです。
翻訳の仕方によるニュアンスの伝わり方もあるようですね。
西郷さん、上野の象徴ですよね。
多くの犠牲をはらいながらも~
北海道の夜明けでも~
北海道への移住も一気に
負組と云うのは言い過ぎ、新しい希望を胸に!
北海道の礎ともなりましたね。
どうゆう訳か入ってしまいましたね。
ごめんなさい。
話題を変えましょうね。
一番似ているらしい弟の西郷従道と誰かの半分を合わせたと言いますね。
東海道新幹線の品川駅のように利用客が多ければ、
上野駅を通過することはないのでは?
リニアモーターの発着駅が品川駅になるから、
ここに集中するのでしょうか。
それなりの功績を残しているのでは?