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(珠玉の輿)
先日江戸東京博物館で開催された「珠玉の輿」展覧会では、
篤姫のお駕籠、本寿院のお駕籠が並んで置いてあった。
外側はもちろんの事,駕籠の内部も豪華絢爛とはこれを言うと内心思った。
その時、江戸城明け渡しに先立ち、
お暇を頂戴した篤姫付の大奥老女「瀧山」を思い出した。
「瀧山」は彼女付の侍女の実家に寄宿し、晩年を過ごしたと言う話を娘から聞いた。
どうして娘が知っているのかと不思議に思ったが、
娘の住まいの近くに「瀧山」のお墓があるお寺が在るからだという。
どこかと詳しく問いただすと、何のことはないボク自身も普段良く通る場所にあったのである。
灯台下暗しとはこのこと、早速その寺院に出かけてみた。
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(錫杖寺)
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(立派な本堂、屋根に三つ葉葵の紋章がある)
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寺院の名は「錫杖寺」といい、立派な門構えのお寺で、埼玉新聞社刊「埼玉県宗教名鑑」によれば、
「養老元年(717)に行基が本堂を建立、
自ら地蔵菩薩を刻み本尊とし開基したと伝えられます。
のち、北条時宗の帰依を受けた鎌倉長楽寺開創の願行上人が再興、
寛政元年(1460)には、室町幕府8代将軍足利義政により七堂伽藍が整備され、
中興の祖宥鎮和尚を晋住させました。以降、醍醐三法院直末関東七ヶ寺の一つ、
十一談林所の一つとして末寺53ヶ寺を有する名刹として栄えました。
元和8年(1622)には江戸幕府第2代将軍徳川秀忠の日光参社の際の休憩所になり、
以降歴代将軍により利用されました。
また3代将軍家光からは金子、材木を拝領し、御成門を建立すると共に、
御朱印20石賜るなど、“川口宿”の中核寺院として繁栄しました。」とある。
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(福禄寿のお堂)
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(鐘楼)
山門をくぐると正面に立派な本堂が見え、葵の紋が屋根に見える。
参道左側に七福神の福禄寿尊のお堂があり、すぐ先に鐘楼がある。
その梵鐘は埼玉県有形文化財に指定されている。
材料は銅で、制作年代は寛永18年(1641)川口宿名主である
宇田川氏が先祖供養の施主として鋳造し奉納したもの。
さらに参道を進み、正面にある本堂の横にある墓地を覗くと、
通路に「大奥御年寄瀧山の墓地」と書いて右へ矢印が書いてある看板が見えた。
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(瀧山墓地の案内)
看板に沿って歩くと、もう一つ案内看板があって、
その案内に導かれて進むと目当ての墓地が遭った。
お参りに来る方があると見えて墓前には、
真新しいお花が綺麗に活けてあった。
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(瀧山のお墓、三つ並ぶ真ん中の墓)
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卒塔婆の裏面には、
(東京府士族 東京南伊賀町住 大岡権左衛門長女
徳川家大奥老女俗名瀧山の墓)と刻まれている。
正面にある戒名は、
「瀧音院殿響誉松月祐山法尼」 とある。
錫杖寺の由緒に、「末寺53ヶ寺を有する名刹」とあります。
浮間の末寺・観音寺→万蔵院(赤羽北)とつながり、
赤羽の末寺・真頂院→真頂院の僧運珍が小豆沢に隠居寺に建てた
東光院(現龍福寺)があります。」とある。
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(龍福寺山門、今は枯れ枝の枝垂れ桜)
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(龍福寺本堂)
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(六道の地蔵が絵になる)
小豆沢の龍福寺は、
「板橋区でも古い「板碑」があることで有名で、薬王山東光院竜福寺という。
本寺は室町時代末に袋村(現在の北区岩淵町)の真頂院の僧運珍が、
隠居寺として創建したのに始まると言われています。――後略」とある。
(板橋区教育委員会)
「錫杖寺」の由来にもあるように、
「龍福寺」が「錫杖寺」の末寺であったことは確かなようだ。
龍福寺の門前にあるしだれ桜が春になると美しい。
その時期には是非お立ち寄りいただきたい。
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(鐘楼前の紅梅が美しかった)
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幕末の大奥を仕切ってきた瀧山にとっても天と地で
徳川家にも縁の地で祀られ墓が残され~歴史の証言!
最後の将軍「慶喜」も晩年は名誉回復され「公爵」に
夫々の役割を果たした彼らにも安住の場所は必要ですね。
籠なんかに乗っていると、酔うでしょうね。
狭いところですし、揺れるし、実はいいことないのではないでしょうか。
帰国子女というのはアメリカナイズされているので、日本の会社に溶け込むのは難しいですよね。段々変わってきていますが・・・。
園と須坂の臥竜公園と忙しくなります。
雪柳の芽も葉になりました後は白い可憐な花を待ちま
す、夫々の枝に花が咲きますと綺麗です特に風に靡く姿
が美しいてすね。
世情も不安定ながら、人の人生も不安定で、
生き永らえた人たちは立派な終末を送っていますね。
次の日曜日が見ごろとなり、
新人さんは準備に一苦労ですね。
横すわりしていてもよし寝転んでいてもよし、
恰好はともかく、2時間も中にいたら窮屈で、
絶えられませんね。
昔の人は我慢強かったですよね。
思いもよらなかった。
荒川の土手に立っても
目に入らなかったのは残念でした。
『錫杖寺』ネット検索をして
TVドラマ「篤姫」を思い出しました。
コメントありがとうございました。
一人の命を守り育てる女性の大きな力ですね。
男性には真似できないことにて、
ただオドオドしながら見守るだけ。
いつも ありがとうございます♪(*'-^)-☆
過ぎ去ったことなど考えると、楽しくなります。