楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

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新選組局長 近藤勇の墓所

2018年02月03日 04時22分01秒 | ひとり歩き旅
新選組局長だった近藤勇は、
千葉県流山で捕獲され板橋の平尾宿脇本陣 豊田家に留置され、
政府軍の大本営があった伊勢孫(200人が宿泊できた板橋宿の旅籠)で、
取り調べを受けたのち板橋の刑場で処刑された。
その刑場は板橋 平尾の一里塚の近くにあったとされるが、
場所は特定されていない。

もっとも、板橋の刑場も、小塚原の刑場も、鈴ヶ森の刑場など、
どの刑場も昔は村はずれの辺鄙な荒野であったように思われる。

今はJR埼京線、昔は赤羽線 板橋駅の(東口)は、
別名で(滝野川口)と言っているように、出てきた改札は板橋駅でも、
地図の上では東京都北区滝野川である。
板橋区はこのお墓の前の通りを東に向かって突き当った所から始まる。

(板橋駅滝野川口)


駅前のロータリーの向こう側にある近藤勇の墓所の看板の裏には、
寿徳寺とあるが寿徳寺の境外墓地で住所は北区。
さらに、余談ですが、線路に沿って西に下がると豊島区になり、
3区が重なる所でもある。

(寿徳寺)


前置きはそれくらいにして、

墓地に入ると正面に「近藤勇 土方歳三」の供養塔が目に入る。
左に眼を移すと、「永倉新八」の立派な墓が見える。
北海道まで転戦して生き残った永倉新八が
「近藤勇と土方歳三」の供養塔を建設した。

(正面の近藤勇、土方歳三の供養塔)

(新選組 永倉新八墓)


右手を見ると近藤勇、土方歳三、永倉新八の顔が並んでいる。

(新選組を代表する三人)


近藤勇の供養塔右横に近藤勇像が置かれており、
この像の後ろに処刑直後に置かれた最初の近藤勇の墓石が置かれている。

(近藤勇像)

(処刑後の最初の墓石)


新選組局長の近藤勇の処刑は、出自が農民であったことから、
武士としての切腹は許されず、斬首の刑に処せられた。
切り落とした首は塩漬けにされて京に送られ首実験の後、
京都三条河原でさらし首になった。

近藤勇の胴体は、その日の内に親族に依って運び出され、
三鷹市の龍源寺に埋葬された。

と言うことは、この墓石の下には勇の身体は何処にもなく、
斬首された時に流れた勇の血だけがしみ込んでいることになる。

近藤勇と土方歳三の供養塔であるが、
正面には「近藤勇 冝昌、土方歳三義豊 之墓」とあり、
左右側面には百十名の新選組隊士の名が刻まれ、
裏面には「近藤明治元年辰四月二十五日 土方明治二年己五月十一日」
と命日が記されていたが、現在は読みにくくなって居る。

(供養塔正面)

(供養塔裏面)

(冝昌の諱)


ここで近藤勇 冝昌と刻まれているが、
勇(=通称名)の諱(いみな=実名)は昌冝であった。
どうしてこのようになったかは不明とのこと。(北区教育委員会)

新選組諸隊士供養祭は毎年、近藤勇命日、四月二十五日に近い日曜日に行われる。
2018年の供養祭は四月二十二日に行われる予定。

さて、このお墓を出て東に少し歩くと信号にぶつかる。
この信号の左右が旧中山道で、板橋区はここから始まる。



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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
戦いは負けると悲惨な目に遭いますね。 (masamikeitas)
2018-02-03 06:13:08
hide-sanさん、おはようございます。

>切り落とした首は塩漬けにされて京に送られ首実験の後、
京都三条河原でさらし首になった。

戦いは負けると悲惨な目に遭いますね。
塩漬けされて京に送られて首実検ですか!
やり切れない話です。
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近藤勇 (もののはじめのiina)
2018-02-03 08:32:56
hide-sanさんのブログは、近藤勇がよく登場します。
幕府側として戦ったため、負けると賊軍になりますから、時代にもてあそばれて斬首されてしまいました。

皆既月食の写真は、掲示板に投稿されたものを使わさせていただきました。
手振れせぬよう撮影するには、三脚が有効です。持ち運びが面倒ですが、百円ショップの携帯三脚でも買おうかと
思っているところです。

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masamikeitasさん コメント有難うございます。 (hide-san)
2018-02-03 11:55:43
>戦いは負けると悲惨な目に遭いますね。

歴史は勝者の歴史で平家でなく源氏の歴史で、
太平洋戦争は米国の歴史になります。

負けた東条英機の歴史は残りません。
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もののはじめのiinaさんコメントありがとうございます (hide-san)
2018-02-03 12:02:48
>近藤勇がよく登場します。

そう言う訳でなく旧中山道沿いにある史跡だからで、
また、近藤勇は板橋宿の脇本陣家 豊田家に留置されていたころの写真に、豊田家の娘が勇の膝でじゃれている写真があったり、
その娘が最近までご高齢で生存されていたこともあって、
また、ボク自身が板橋区在住と言うことも手伝って、
親しみを感ずるのです。
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こんにちは (ytakei4)
2018-02-03 13:35:56
コメントありがとうございます。
いろいろ詳しく調べられていますね。
いつも感心しています。
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恵方巻は食べましたか? (鉄ちゃん爺や)
2018-02-04 19:17:05
恵方巻は関西では凄く売れるんだけど
関東じゃあまり関心がないかもしれませんね。

セブンジレブンが全国に流行らせたそうですが
そろそろ頭打ちなのかもしれませんな。

イワシの方が関東では節分の食べ物なのかしら?

近藤勇のお墓は昨年の9月1日に訪れたので
懐かしく画像を拝見しましたよ。

JR板橋駅の建物は今も20年前と変わりませんね。
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新選組 (もののはじめのiina)
2018-02-06 10:00:43
司馬遼太郎が自分の小説の中では、「燃えよ剣」を一番よく思っていると話していました。
新選組副長、土方歳三が主人公ですが、近藤勇も描かれています。

漢字の成り立ちは、専門性を扱ったものですからWEB上から採用しています。

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近藤勇の首塚 (ウォーク更家)
2018-02-06 12:14:14
板橋には、近藤勇の墓石があるんですね。

東海道を歩いていたときに、藤川宿の手前の法蔵寺の境内で、近藤勇の「首塚」に遭遇しました。

説明版によると、近藤勇の部下が、京都三条河原に晒された近藤勇の首を盗み出し、近藤勇と親しかったこの寺の住職に頼み込んで、こっそりと埋葬してもらった、とありました。
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ウォーク更家さんコメントありがとうございます。 (hide-san)
2018-02-06 16:23:04
>藤川宿の手前の法蔵寺の境内で、近藤勇の「首塚」に

近藤勇の墓は、全国に5カ所ほどあるようです。
その内処刑された板橋刑場の墓、
首が埋葬されている法蔵寺、
胴体が埋葬されている龍源寺、
の三つが有名ですが、愛知県は知って居ましたが、
法蔵寺がどこにあるか知りませんでした。
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