楽しんでこそ人生!ー「たった一度の人生 ほんとうに生かさなかったら人間生まれてきた甲斐がないじゃないか」山本有三

     ・日ごろ考えること
     ・日光奥州街道ひとり歩る記
     ・おくのほそ道を歩く

思い出のアルバム3-フランス

2021年05月22日 03時53分25秒 | つれづれなるままに考えること


(フランス土産のピエロ)


(パリの象徴エッフェル塔)

フランスヘ行ってきました。2001年4月のことです。
ヨーロッパのどの国も自然は,とても美しい。
カンヌとマルセイユの海の美しさに圧倒されました。


(カンヌの浜辺)


(マルセイユの海の遠望)

カンヌの映画祭をする場所も見て、
ここでレッドカーペットの上を、
タキシードの男優が女優の手をとってエスコートする、
その真似をして階段を登って見ました。
カミさんの手を取って。
レッドカーペットはありませんでしたが・・・

ホテルは
この美しい浜辺が見える、現地人に言わせれば、
シーサイドの上等な部屋でした。

しかし、しみったれた日本人のボクは、
コンビニで買ったワインを飲みながら、
カミさんと景色を堪能。
夜はフランス料理を舌づつみ。


そして、シャモニーとモンブラン。
シャモニーの街は海抜 千メートル、
ゴンドラに乗って、まず2317mまで行き、
途中ゴンドラを乗り換えて3800メートルまで、
ロープウエイで約20分の速さにビックリ!
(乗換え時間を入れずに)

ゴンドラを降りて、階段を3段登るだけで、
息切れ、心臓ドキドキ!
酸素の薄さを初体験。

これで,ヒマラヤ登頂する登山家の
ゆっくりした足取りが納得できました。


(シャモニーの街) 
           
(3840mのカフェテリアからモンブランの標高4800mの先を撮る)

(モンブラン絵図/パンフレットから)

ボクは高所恐怖症で、上の絵図の⑤番のカフェテリアにいましたが、
カミさんたちツアーの一行は、
モンブランへの橋⑦を渡って行きました。
その先にエレベーター(有料)があって、
図の⑩番まで行けるそうですが、

カミさんに後で聞くところに依れば、
時間がなくて行かなかったそうです。

後に、プロスキーヤーの三浦雄一郎さんが、
90歳になる父親を連れて行って、
モンブランでスキーをさせる親孝行をしたことが
ニュースになりました。
ここの橋を渡った所で
父にスキーをさせた映像がニュースで流れました。

しかし、フランスのパリは、
ヨーロッパのどの町より汚いという印象でした。
歩道には、犬と思しき糞が、
至る所に落ちており、始末していない。

ルイ十六世とマリーアントワネット王妃が、
ギロチンで露と消えたコンコルド広場のような旧跡は、
子供が遊べる公園になっており、
ごく普通に街並みとしてあるだけで,
特に
「ここはマリー・アントアネットがギロチンにかけられたところ」
などの
案内看板は見当たりませんでした。
フランス革命は民衆のものだったからでしょうか・・・


そして、フランス大革命により調度品は民衆に略奪され、
歴史的建造物は、建物の外観だけ残り、
内装品は全てレプリカと言う。
ヴェルサイユ宮殿の鏡の間の
鏡もシャンデリヤも椅子も、
全て模造品で少々がっかり。

(ヴェルサイユ宮殿の前で)


(ヴェルサイユ宮殿の柵)


(ヴェルサイユ宮殿の庭)


(ヴェルサイユ宮殿の鏡の間、鏡から椅子、
シャンデリアまでレプリカ)

しかし、フランス人は、民衆が自由を勝ち取り、
こんなに自由主義が徹底されている国も、
珍しいと思いました。


フランスへ行ったら是非行ってお出でと言われた、
モンサンミッシェルは江の島と同じで、
干潮になると、モンサンミッシェルと地続きになり、
歩いて行くことが出来ると言うことでした。

モンサンミッシェル=Mont Saint Michelは、
「この島はもともとノルマンディーの寒村
モン・トンブ(墓の山)と
呼ばれ先住民のケルト人が信仰する聖地であった。
それを 708年、アヴランシュ司教オベールが
夢のなかで大天使ミカエルから
「この岩山に聖堂を建てよ」との
お告げを受けて出来た岩山」(Wikipediaより)

つまりモンサンミッシェル=Mont Saint Michel
=英語読みでは「セイント・マイケルの岩山」である。

(地続きに見えるMont-Saint-Michel/モンサンミッシェル)

モンサンミッシェルの街では、
名物のオムレツを頂きましたが、
ボクには同じ、鶏に卵の味でした。

ノルマンディーで珍しいものを見つけた。

(洗車場の案内看板)

終りにモナコの美しいリゾートらしい港をご覧ください。


(モナコの港)


(モナコのモンテカルロの港/絵葉書から)

(世界旅行はつづく)

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5/20 孔雀サボテン 

2021年05月21日 02時53分00秒 | 日記
赤三個 白二個 計五個が開花しました。

最初の 赤一輪

次に白が 二輪
(その1)


(その2)

最後に赤花だけの鉢の 二輪

昨日の一輪と共に三輪同じ場所に咲いて居る。

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孔雀サボテンの開花

2021年05月20日 02時49分12秒 | つれづれなるままに考えること
ベランダで栽培している孔雀サボテンが、

5月9日に開花した。

花は黄色でとても豪華。

(黄色の孔雀サボテン)

この鉢には、三種類の花が咲きます。

白、赤、黄色。

花芽を見ると、

今後30個ほどは咲きそう。

乞うご期待!!

(5/09 黄色 開花初日

実は三個の蕾があって、一番最初に咲いた花。

右に垂れ下がって居る、二番目の花。

下にいくつか蕾が見えますが、いずれ咲きましたら紹介します。


なお、脇にブーゲンビリアが見事に、

はっと、目を奪われる赤い葉!!

ご覧ください。


(ブーゲンビリア)

(5/11 黄色二個  開花二日目)

(5/17 赤色 開花八日目)

(5/17 白色 2個 開花八日目)

(5/18 赤色二個 開花九日目)


(5/18 白色一個 開花九日目)

黄色、白色、赤色とご覧いただきました。

翌日、

赤い花に並んで、

縦横に一つづつ咲きました。


(5/19 前日花の上に一輪)


(5/19 前日の左横に一輪)


(5/19 前日の下に白花が一輪)


(5/19 白い花が都合二輪)


花は、上から下から、

左右横から、

近寄って撮った場合、

離れて撮った場合、

撮り方によって、それぞれ印象が違います。


まだ残り30個ほど咲きそうですが、

同じ花を見てもだんだん感動は無くなります。

今年は、これにて終わりにします。


コメント (6)
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ひるがお

2021年05月18日 04時23分13秒 | つれづれなるままに考えること
ひるがおが、もう咲いて居る。

ずいぶん早い開花だ。

この花には思い出がある。

ボクのカメラの先生である友人が、

「ひるがおを上手にとってご覧、
一見して、写真の上手下手が解る」

と言っていたので、チャレンジしたが、

「よく撮れている」とは、

一度も言わずに他界した。

(今年のひるがお)



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思い出のアルバム2-ポルトガルースペイン

2021年05月15日 04時03分27秒 | つれづれなるままに考えること
夫婦二人連れの旅行は、11か国目にポルトガルを訪ねた。
1998年4月の事です。

ユーラシア大陸の西のはずれ、
作家 宮本輝が「ここで地終わり、海始まる」
と書いたことで有名な
ロカ岬。

ポルトガル語でロカ岬の事を「Cabo da Roca」言うらしい。
ユーラシア大陸の最西端の岬として、
記念碑が立って居る。

(ロカ岬の記念碑)


また、このロカ岬を訪ねた人には、
「確かにこの最西端に来た」の証明書が交付された。

(その証明書)

証明書は何の役にも立たないが、
ポルトガル、スペインの旅行アルバムにはさんであった。

この後隣国のスペインを訪ねたが、
スペインで有名なのが「闘牛」。
その闘牛場でふざけて、
上着を手に牛をけしかける闘牛士のポーズで
写真を撮って居る。

記念になると思ってやったのであろうが、
誰が見ても面白くも可笑しくもない、
ただ本人の自己満足だけ。

(闘牛場で)

アルバム4冊もある写真を、ビリビリ破いて捨てた。
旅で得たものは何だったのだろう。

世界で一番普及して居るのが英語、
二番目がスペイン語と中国語。
スペイン語は、スペイン語を話す人が居住する、
地球上の面積で世界第二位。
一方で中国語は、中国語を話す人の人数で世界第二位。

外国語を学ぶ学生は、どちらかの言葉を選んだ。
将来を見据えて、役に立ちそうな中国語を選んだ人も居たが、
卒業40年後にやっと役に立つ時代が来た。

一方でスペイン語は、役に立つ時代は、
未だに来ているとは思われない。
いや、もうとっくに終わったのかも知れない。

ボクはスペイン語を選んで学んだ。
スペイン語を教わったのは、
日本でスペイン語辞書(西和辞書)を始めて編さんされた
高橋正武教授に、
スペイン本国カスティーリャのスペイン語を、教わった。

会話はアルゼンチン出身のカトリックの神父様に、
スペイン語(エスパニョール)の会話を教わった。

しかし勉強だから、
卒業する時にはスペイン語で話しかけられても、
街中でスペイン語で会話している人がいても、
内容は解るようにはなった。

恋を語る時はフランス語、海賊の言葉の英語、
喧嘩腰のドイツ語、
それらに対して、スペイン語は神と語る言葉とされる。
澄みきった清らかな発音がそう言わせるのだろう。

この神父様にはスペイン語の他、
アルゼンチンの羽毛フトンの作り方を教わって驚いた。
自分の背丈より長く、横幅は自分が両手を
広げた長さより広い布で
四角の寝袋を作り、
その中にドナルド・ダックで有名な鵞鳥の羽根を詰めていく、
袋は膨らみボール状になった所で終わる。

そのボール状の寝袋の真ん中に寝転がると、
両側の膨らんだ羽毛が体にかぶさって来る、
敷布団と掛け布団を兼ねる。
と言うのだ。

映画「汚れなき悪戯」よりスペイン語の歌、
耳を澄ませて、良く聞いてください。
澄みきった清らかな神と語る歌声が、
聞こえてきます。

「マルセリーノの唄」(Cancion De Marcelino)(1955年)
 

スペイン語は生涯に二回使った。
一回はスペインで、ガラスケースの中の
気に入ったブローチを見つけて、
娘の土産にと思って、現物を手に取って見たくて、
「これ見せてくれますか?」と頼んだ時。

もう一回はアメリカのレストランで、
ボーイさんに、
食べきれなくなった食べ物を、
「ホテルで夜食に食べるから包んでくれ」
と頼んだ時の二回。

ボクは正直に、「後でホテルで食べるから」と言ったが、
英語でもスペイン語でも、
こんな時現地人も見栄を張って
「犬にやるから包んで欲しい」と言うのだ。
英語で「Doggie bag」に包んで下さいと。

話があっちこっち飛んでしまった、
貴重な時間を最後までお付き合いいただき、
ありがとうございました。

(スペインの世界遺産になったトレドの旧市街をバックに)


この時は、ツアーの皆さんにひやかされた。
美人の奥さんと素敵な旦那さんと羨ましがられたと、
勝手に思って居る。

(つづく)



コメント (8)
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