
文化14年生まれの源野兵三郎から天保14年生まれの源野治郎へ明治7年に相続したと記載されています。
なのに、治郎の弟で嘉永4年生まれの三郎。その子供源治郎、熊治郎、岩松、そしてその子供たちも みな同じ9号の1番地で生まれた事になっていて、3家族 生年月日の早いものから順に記載されています。
実際には、私の家「本家」と分家は別々のところにあって、祖父の時代には、分家の方が山や田畑、財産も沢山あったと言われています。
分家からは北海道に渡った家族、と他にもう1戸、御所ガ原で分家をしているので、大正時代には源野家は
3戸有りました。
勝山市史に 御所ガ原には源野の姓多く源氏の子孫との伝説があると書かれています。
たぶん大正から戦前の頃の資料を元に書かれたものと思います。
ちなみに、その他小林、久保田、竹内、などが越前系。
加藤3戸、織田3戸、苅安3戸、南茂2戸、山口1戸などが白峰系です。
戸籍の中には、愛知県南設楽群鳳来寺村大字川口字鳳来寺というのが有りました。
奥三河、南信州に生きた越前炭焼集団があったと 本を書かれた人がいますが、
苦労をされた方もおられた事も分からせていただくことが出来ました。
地名は変わっているかも知れませんが、跡を訪ねてみたいものです。
和みで、会員の写真展をやっていますので、気晴らしに見に行って来ました。


