2023年4月から連続テレビ小説『らんまん』が始まった。主人公のモデルは「日本の植物学の父」と評される牧野富太郎である。
彦根藩では長野主膳や宇津木六之丞が処刑される彦根の獄が起こり、土佐藩では坂本龍馬が脱藩した文久2年(1862)に土佐国高岡郡佐川村(高知県高岡郡佐川町)で酒造業を営み苗字帯刀も許されていた商家「岸屋」の子として誕生したのが富太郎だった。経済的には恵まれていたが、3歳で父、5歳で母、6歳で祖父をコレラで失い祖父の後妻である(血縁関係の無い)祖母・浪子に大切に育てられることとなる。
浪子は、富太郎の教育として本人が興味を持つこと全てに惜しみない協力を行った。植物研究に必要な書籍や顕微鏡を買い与え、第二回内国勧業博覧会見学や植物研究の専門家を訪ねる東京旅行の資金も出している。これが富太郎を一流の研究者に育てたと言っても過言ではない。この成果の一つともいえる出来事は明治14年(1881)に19歳の富太郎が東京訪問に行った帰路で初めて伊吹山に登ったことである。
伊吹山はその地理的な条件だけではなく、織田信長が西洋から取り寄せた薬草園を作らせた歴史も加味されて独特の植物が自生している。伊吹山の自然は富太郎の興味を惹き、生涯で七度伊吹山を訪れることになるが、最初の登山から得た物は大量の荷物として佐川まで持ち帰っている。このときに富太郎が通ったルートは長浜から琵琶湖汽船で大津までの湖上旅であるが富太郎の目が琵琶湖には向かなかったことに私自身は不思議さを感じている。ちなみに富太郎は最初の伊吹山探訪でありながら珍しいスミレを発見、三年後の上京時に東京大学理科大学の村松任三助教授に見せたところ同大学の標本にも収蔵されていない物で外来種である「ヴィオラ・ミラビリス」であることが判明する。和名がなかったために「イブキスミレ」と命名されることとなる。興味を持ったことに対してある一定の成果を得ることは人生の大きな楽しみであり深みに嵌る原因にもなる。富太郎の青年期を調べてゆくとこれらの成果に彩られているのであるが、自らが発見した植物に新しい名が付くほどの成功体験はこの後に新種発見600種余、命名2500種以上、50万を超える標本作成の礎になったとも考えられる。
しかし、植物学の成果とは反比例するように富太郎の家族は大きな負担を背負うことになる。富太郎が25歳のとき岸屋を切り盛りしていた浪子が亡くなり、こののち岸屋は浪子の孫で富太郎にとって従妹でもある最初の妻・猶(なお 伊吹山より佐川に戻ってすぐに結婚)と手代・井上和之助が差配するが富太郎の浪費で廃業に追い込まれる。また、猶との婚姻関係がありながら同棲を始めた二番目の妻・寿衛(すゑ)も苦労が絶えない人生を歩むのである。
伊吹山遠望(2022年1月下旬撮影)
彦根藩では長野主膳や宇津木六之丞が処刑される彦根の獄が起こり、土佐藩では坂本龍馬が脱藩した文久2年(1862)に土佐国高岡郡佐川村(高知県高岡郡佐川町)で酒造業を営み苗字帯刀も許されていた商家「岸屋」の子として誕生したのが富太郎だった。経済的には恵まれていたが、3歳で父、5歳で母、6歳で祖父をコレラで失い祖父の後妻である(血縁関係の無い)祖母・浪子に大切に育てられることとなる。
浪子は、富太郎の教育として本人が興味を持つこと全てに惜しみない協力を行った。植物研究に必要な書籍や顕微鏡を買い与え、第二回内国勧業博覧会見学や植物研究の専門家を訪ねる東京旅行の資金も出している。これが富太郎を一流の研究者に育てたと言っても過言ではない。この成果の一つともいえる出来事は明治14年(1881)に19歳の富太郎が東京訪問に行った帰路で初めて伊吹山に登ったことである。
伊吹山はその地理的な条件だけではなく、織田信長が西洋から取り寄せた薬草園を作らせた歴史も加味されて独特の植物が自生している。伊吹山の自然は富太郎の興味を惹き、生涯で七度伊吹山を訪れることになるが、最初の登山から得た物は大量の荷物として佐川まで持ち帰っている。このときに富太郎が通ったルートは長浜から琵琶湖汽船で大津までの湖上旅であるが富太郎の目が琵琶湖には向かなかったことに私自身は不思議さを感じている。ちなみに富太郎は最初の伊吹山探訪でありながら珍しいスミレを発見、三年後の上京時に東京大学理科大学の村松任三助教授に見せたところ同大学の標本にも収蔵されていない物で外来種である「ヴィオラ・ミラビリス」であることが判明する。和名がなかったために「イブキスミレ」と命名されることとなる。興味を持ったことに対してある一定の成果を得ることは人生の大きな楽しみであり深みに嵌る原因にもなる。富太郎の青年期を調べてゆくとこれらの成果に彩られているのであるが、自らが発見した植物に新しい名が付くほどの成功体験はこの後に新種発見600種余、命名2500種以上、50万を超える標本作成の礎になったとも考えられる。
しかし、植物学の成果とは反比例するように富太郎の家族は大きな負担を背負うことになる。富太郎が25歳のとき岸屋を切り盛りしていた浪子が亡くなり、こののち岸屋は浪子の孫で富太郎にとって従妹でもある最初の妻・猶(なお 伊吹山より佐川に戻ってすぐに結婚)と手代・井上和之助が差配するが富太郎の浪費で廃業に追い込まれる。また、猶との婚姻関係がありながら同棲を始めた二番目の妻・寿衛(すゑ)も苦労が絶えない人生を歩むのである。
伊吹山遠望(2022年1月下旬撮影)