個人的な話ですが、管理人が日本史上で一番好きな人物は田沼意知です。
高校の教科書にも載っている人物(今は?)なのですが、大概の方は「誰?」という反応をされるか、父親の田沼意次と勘違いされてしまいますが、その意次の居城となっていたのが相良城です。
相良の地にはもともと相良氏が住んでいましたが、徳川家康が関東に入った後に家康の鷹狩りの場となり相良陣屋が作られ、相良藩が立藩しますが石高の低い陣屋大名が続きました。
その相良藩の藩主に田沼意次が着任します。
意次は、十代将軍徳川家治の信任を得て老中にまで出世した人物ですので、相良藩の石高もどんどん上がって行ったのです。そしてついに石高にふさわしい城を築城することとなったのでした。それが相良城です。
三重櫓の天守を持つ城の築城には11年を要したとされていて、近代城郭として申し分のない城でした。
しかし、田沼意次が失脚した後、幕府に公収された相良城は、徹底的に破城されてしまうのです。
本来ならば幕府の財産となる城を破城するという行為には疑問すら感じますが、それほどに田沼意次が嫌われていた証拠かもしれません。
そんな相良城は、今は牧之原市の公共施設や学校に一部の土塁など限られた遺構が見れるのみです。
城跡である学校の中にこんなモニュメントもありました。
・所在地 静岡県牧之原市
高校の教科書にも載っている人物(今は?)なのですが、大概の方は「誰?」という反応をされるか、父親の田沼意次と勘違いされてしまいますが、その意次の居城となっていたのが相良城です。
相良の地にはもともと相良氏が住んでいましたが、徳川家康が関東に入った後に家康の鷹狩りの場となり相良陣屋が作られ、相良藩が立藩しますが石高の低い陣屋大名が続きました。
その相良藩の藩主に田沼意次が着任します。
意次は、十代将軍徳川家治の信任を得て老中にまで出世した人物ですので、相良藩の石高もどんどん上がって行ったのです。そしてついに石高にふさわしい城を築城することとなったのでした。それが相良城です。
三重櫓の天守を持つ城の築城には11年を要したとされていて、近代城郭として申し分のない城でした。
しかし、田沼意次が失脚した後、幕府に公収された相良城は、徹底的に破城されてしまうのです。
本来ならば幕府の財産となる城を破城するという行為には疑問すら感じますが、それほどに田沼意次が嫌われていた証拠かもしれません。
そんな相良城は、今は牧之原市の公共施設や学校に一部の土塁など限られた遺構が見れるのみです。
城跡である学校の中にこんなモニュメントもありました。
・所在地 静岡県牧之原市