彦根城博物館が発行していた図録
400年祭の開催中、彦根城博物館では『百花繚乱―彦根歴史絵巻―』と題して、井伊家伝来の名宝が展示されます。
そんな彦根城博物館で平成18年10月27日から11月28日まで開催されている400年祭のプレイベントが『元禄の大老 井伊直興』です。
今までずっと読んで下さっている方の中には、井伊直興という名前に聞き覚えがある方も居られるのではないでしょうか?
実は以前、大洞弁財天と玄宮園のお話を書いた時に、この二ヶ所を作らせた藩主としてご紹介していますよね。
今回はそんな、直興の人生を簡単に紹介してみましょう。
直興は、井伊直孝が二代藩主として藩政に就いていた時に、直孝の四男・直時の嫡男として誕生しました。この時、三代藩主になるのは、直孝の嫡男・直滋だと思われていたので、本当なら直興が藩主になる可能性は薄かった筈なのです。
しかし、直滋は直孝が亡くなる前の年に急に百済寺で出家してしまいます、後継者を失った直孝は、五男・直澄を三代藩主に指名して「直澄が縁談をする事は無用、跡目を直興に譲るように」との遺言を残したのです。
直澄の死後、祖父・直孝によって作られた道に乗って、四代藩主に就いた直興は、今は楽々園と呼ばれている下屋敷・槻御殿や先ほどもお話した大洞弁財天と玄宮園、そして松原港などの建造に力を注ぎ、彦根藩の文化推進と経済発展に力を注いだのです。
そして、後に井伊家の重要な資料の一つとなる『侍中由緒帳』によって家臣の管理体制も確立しました。
また幕府に中でも、『生類憐れみの令』で有名な五代将軍・徳川綱吉の治世に大老に就任しています。
この大老就任については、綱吉の寵愛を受けた側近として有名な・柳沢吉保(後に大老格まで出世)との間に政治的なやり取りがあったとも思われていますが、詳細は調べきれていません。
藩内でも幕閣でも活躍した直興ですが、やがて、八男・直通に家督を譲って、何処にでもある藩主としての一生を終えるはずだったのです。
しかし、五代藩主・直通と六代藩主・直恒(十男)が早死にしてしまった為に、再び藩主に就任し、そして六代将軍・家宣と七代将軍・家継の治世にかけて大老となっているのです。
生涯において2度も藩主と大老を経験した忙しい人生を送るという稀な人生を送った直興は、直政・直孝に続く名君と謳われています。
そんな、直興の多くの痕跡が観れるのが、今回のプレイベント『元禄の大老 井伊直興』です。綱吉の描いた絵や書なども展示してありますので、覗かれてみてはいかがですか?
この展示を観に行った時に、市内の方と思われるご夫婦が「この人って直弼とは別の人?」「さぁ、でも同じじゃないかな・・・」
という会話をされて居るのを耳にしました。
井伊家は、直政と直弼が有名で、直政が戦国時代の人、直弼が江戸時代のお殿様という漠然とした思いがあるようですね。
でも、井伊家は直弼以外にも名君が居る事をここで知って下さると嬉しいです。
400年祭の開催中、彦根城博物館では『百花繚乱―彦根歴史絵巻―』と題して、井伊家伝来の名宝が展示されます。
そんな彦根城博物館で平成18年10月27日から11月28日まで開催されている400年祭のプレイベントが『元禄の大老 井伊直興』です。
今までずっと読んで下さっている方の中には、井伊直興という名前に聞き覚えがある方も居られるのではないでしょうか?
実は以前、大洞弁財天と玄宮園のお話を書いた時に、この二ヶ所を作らせた藩主としてご紹介していますよね。
今回はそんな、直興の人生を簡単に紹介してみましょう。
直興は、井伊直孝が二代藩主として藩政に就いていた時に、直孝の四男・直時の嫡男として誕生しました。この時、三代藩主になるのは、直孝の嫡男・直滋だと思われていたので、本当なら直興が藩主になる可能性は薄かった筈なのです。
しかし、直滋は直孝が亡くなる前の年に急に百済寺で出家してしまいます、後継者を失った直孝は、五男・直澄を三代藩主に指名して「直澄が縁談をする事は無用、跡目を直興に譲るように」との遺言を残したのです。
直澄の死後、祖父・直孝によって作られた道に乗って、四代藩主に就いた直興は、今は楽々園と呼ばれている下屋敷・槻御殿や先ほどもお話した大洞弁財天と玄宮園、そして松原港などの建造に力を注ぎ、彦根藩の文化推進と経済発展に力を注いだのです。
そして、後に井伊家の重要な資料の一つとなる『侍中由緒帳』によって家臣の管理体制も確立しました。
また幕府に中でも、『生類憐れみの令』で有名な五代将軍・徳川綱吉の治世に大老に就任しています。
この大老就任については、綱吉の寵愛を受けた側近として有名な・柳沢吉保(後に大老格まで出世)との間に政治的なやり取りがあったとも思われていますが、詳細は調べきれていません。
藩内でも幕閣でも活躍した直興ですが、やがて、八男・直通に家督を譲って、何処にでもある藩主としての一生を終えるはずだったのです。
しかし、五代藩主・直通と六代藩主・直恒(十男)が早死にしてしまった為に、再び藩主に就任し、そして六代将軍・家宣と七代将軍・家継の治世にかけて大老となっているのです。
生涯において2度も藩主と大老を経験した忙しい人生を送るという稀な人生を送った直興は、直政・直孝に続く名君と謳われています。
そんな、直興の多くの痕跡が観れるのが、今回のプレイベント『元禄の大老 井伊直興』です。綱吉の描いた絵や書なども展示してありますので、覗かれてみてはいかがですか?
この展示を観に行った時に、市内の方と思われるご夫婦が「この人って直弼とは別の人?」「さぁ、でも同じじゃないかな・・・」
という会話をされて居るのを耳にしました。
井伊家は、直政と直弼が有名で、直政が戦国時代の人、直弼が江戸時代のお殿様という漠然とした思いがあるようですね。
でも、井伊家は直弼以外にも名君が居る事をここで知って下さると嬉しいです。