彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

井伊家千年の歴史(20)

2017年09月24日 | ふることふみ(DADAjournal)
 井伊家の話、再開。
 直虎を始めとする井伊家の人々に常に寄り添って助言する人物が龍潭寺の二世住職南渓瑞聞である。
 南渓和尚は直虎の大叔父(祖父の弟)で、以前は井伊直平実子の次男(もしくは三男)と言われていたが、過去帳を見ると両親の戒名が直平以外の人物が記されていた。現在では井伊家に養子として迎えられたのではないかと考えられている。別説は混乱期の井伊家を支え続けた人物だったために『井伊家傳記』作成時に祖山和尚が井伊家一門に入れたのではないかともされている。南渓和尚の両親と直平がどのような関係にあったのか資料はないが、もしかしたら僧籍に入れるために井伊家の養子に入った可能性も否めない。俗名や幼名も伝わっていないが出家したあとは、直平が井伊谷に招いた黙宗瑞淵(龍潭寺一世)に学び、龍潭寺二世となる。また桶狭間の戦いのあとには今川義元の葬儀総括(安骨大導師)を任されるほどの名僧になっているのだ。
 その言は井伊家のなかでも重要視されていたようで、亀之丞逃亡後に出家した直虎に女性でありながら「次郎法師」という男性のような名で納得させるという離れ業を実現させることになる。この後の受難の時期を経て井伊家には幼い虎松以外の男子が居なくなり、龍潭寺で出家していた直盛の娘次郎法師を直虎と名乗らせ女地頭として井伊家当主とし自らが後見となる道を南渓は選んだのだった。
 今川氏真の介入を直虎が支えきれず、井伊家はいったん地頭としての地位を失い直虎も龍潭寺門前松岳院の尼に戻る。そして武田信玄の侵攻によって井伊谷や龍潭寺は火の海となったのだが、そんな苦労を乗り終えて虎松が十五歳のとき、南渓は直虎や虎松の母と計って虎松と徳川家康の面会を浜松城下で演出し井伊家の発展の基礎を虎松(家康に仕えて万千代と改名)に託す。
 徳川家への仕官という大仕事を成功させた南渓と直虎は万千代の活躍に一喜一憂していたと想像するが、年が若い直虎を先に送ることになった。
 そののち、万千代は元服し直政と名乗り、赤備えを託されると南渓は井伊谷の井伊家旧臣との仲介役を務め、自らの弟子で武芸に秀でた傑山と昊天を補佐として与える。直政は小牧長久手の戦いなどで活躍、豊臣秀吉にも愛されて昔の井伊家を取り戻すような活躍を見せ南渓はそのすべての報せを聞く立場にあった。そして直虎が亡くなった七年後の天正17年(1589)9月28日にその生涯を閉じた。その意志は昊天によって彦根も引き継がれる。
 江戸期を通じて彦根藩では井伊谷における井伊家の実績を調査させていた。井伊直弼の兄直亮は天保13年(1842)の井伊共保750回遠忌で南渓和尚の功績を称える和歌を作っている。

2016年発見された南渓和尚の位牌
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映画『関ヶ原』

2017年09月20日 | その他
なかなか予定が開かず、もしかしたら映画館に観に行けないかもしれないと覚悟していた映画『関ヶ原』でしたが、台風18号の影響で予定も掻き回され、観に行く時間ができたので佐和山落城の日となる9月18日に行ってきました。

事前にネットなどで読んでいた感想では、「台詞が早すぎる」「薩摩弁には字幕などの通訳が欲しい」などがありましたし、「知識がないと理解が難しいかも」との意見もありました。
確かに、ある程度の歴史的な予備知識があると、物語の深いところまで読み込めるかもしれませんが、文庫本で三冊、テレビドラマでも三夜続けて放送しても全てを語れなかった物語を二時間強の映画にするのですから予備知識がありすぎると早過ぎてむしろ混乱するかもしれませんね。

台詞が早過ぎたり、薩摩方言がわかりにくかったりするのは、命をかけた戦の前の高揚した人々の姿そのものにも見えました。
その意味では戦いの場面も、家紋や旗印の知識がないとどの場面かわかりにくいです、でもそれも実際にその場で戦った人間は自分がどこにいて勝っているのかどうかも理解できなかったことがそのまま体感できる気持ちでもありました。

作品は、三成が三献の茶で秀吉に登用される場面から始まっていて、秀次事件や秀吉の死なども描かれています。
そのなかで、正義を貫こうとする三成と、野望に突き進む家康が対比されているのですがところどころで物語に食い込む小早川秀秋が影の主人公のようでした。
その反面、初芽の存在はちょっと謎…
男ばかりが登場する物語だから、若い女性も出ないと華が無いってことだったのかな?

あと、三成の話なのに、三献の茶は天寧寺、誓書を大老に出す(家康に足を向けた場面)は龍潭寺、大垣城は彦根城だったりと井伊家の関連地が多くて、ちょっと変な東軍と西軍の融合を一人で感じちゃいました。

また、公開前から言っていますが、三成の甲冑をよく知られたものではなくより実戦的で三成らしい素朴なデザインにし、戦う前に前立てを外すなどの場面も良かったです。





資料のある東軍の甲冑は、できるだけ再現していたのもいいですね。



ただ、この作品を観て「西軍が勝てるかも」って思った。
と、ネットで見る感想には?です。
最初から最後まで勝てそうな要素は見いだせなかった。
むしろ、勝てなかったが正義は貫いたとの感じが似合う気がします。

総じて見れば、面白かったですし、関ヶ原の合戦は映画館の大画面で観てこその迫力ですね。
コメント (1)
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一本松供養塔

2017年09月18日 | 史跡
9月18日は、佐和山城落城の日なので一本松供養塔を紹介。



佐和山城址の琵琶湖側、線路を越えると建っているのが一本松供養塔です。
関ヶ原の合戦の時に、佐和山城留守居だった福島次郎作が奮戦し自害した地とされています。
最初は一本の松がひっそりと植えられて、次郎作の死を悼んでいましたが、元禄12年(1699)に大坂の陣の犠牲者の供養(武士も民衆も供養した)を兼ねて供養塔が作られました。

この時の藩主は四代井伊直興であり、この四年前に直興が院主となって藩の領民全員や領内の古城主を供養する大洞弁財天(長寿院)を建立していることを考えると、領内懐古の過程でこの地を知り、供養塔を建てさせたとも考えられます。

余談ですが、花しょうぶ通り商店街では、供養塔のレプリカを見ることもできます。


関連地 彦根市 大洞弁財天の鳥居近く
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『鶴のうた』

2017年09月11日 | 井伊家関連
『おんな城主 直虎』第33話で衝撃的な最後を迎えた小野但馬守政次。

政次ロスはある程度予測できたことであり、今までのロス現象を冷めた目で見ていたのですが、恥ずかしいなか政次ロスにどっぷり浸かっています(笑)
終焉の地もお詣りの方が多いようです。





自分自身の著書の中でも小野親子が守りたかったのは直平、直盛、直虎の血筋であり小野一族が井伊家にとっての悪臣ではないことを少し書きましたが、大河でここまでになるとは…


そして、政次が亡くなった放送の直後にネット上で広がった追悼の企画CD発売。
最初はよくできたネタだと思ったら本気だったようですね。
大河ドラマは、『花の生涯』の井伊直弼以来、平将門、平清盛、原田甲斐、足利尊氏、最近でも『天地人』や『真田丸』での石田三成など歴史的には悪役となる人物の評価を見直す試みはよく行われましたが、その評価を超えて主役でもない人物の企画CDが発売されるなんて初めてだったそうですね。
しかも、既に出ているドラマサントラの『イチトラ』『ニィトラ』と音源は被りません(天虎などのアレンジはありますが…)。
どこまでも小野政次の為の音源でした。

まずは、政次による辞世の句の朗読から始まり、サントラが続きながらも柴咲コウさんのみの読経(ニィトラには新井美羽ちゃんから柴咲コウさんに移るモノはあった)があったり、30話にて語られた政次の「百尺竿頭に一歩を進む」の禅語の朗読もありました。

政次の一生を俯瞰するようなフォトブックも入ってましたし、どこまで政次ロスを広げるねん!って内容でした。


今までほとんどの人が知らなかった一人の武将が亡くなってから450年の時を経てこれほど愛されるとは、当人も驚いているでしょうね。
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新野左馬助命日法要と昊天和尚追善供養

2017年09月10日 | イベント
昨年も9月10日に行いました彦根龍潭寺での新野左馬助命日法要。
今年も行うことになりました。

佐和山城への登城ルートでもある龍潭寺墓地に浜松市の井伊直虎ゆかりの地を示す旗が立ち、その奥に御前崎市の旗が立つ場所が新野左馬助のお墓です。

井伊直親、直平と井伊家の男たちが次々に不慮の死を迎え幼い虎松(直政)の後見人となった新野左馬助と中野直由は今川氏真に命じられた引間城(曳馬、引馬など、後の浜松城の一画)攻めの途中で討ち死します。永禄7年(1564)9月15日のことでした。

…と言う訳で9月15日より少し前の日曜日に命日法要。
彦根龍潭寺の本堂においてご住職の読経があり、左馬助を始め井伊家のみなさま、そしてドラマで活躍されている彦根龍潭寺の開山である昊天和尚の追善供養も行いました。



本堂での法要のあとに、左馬助のお墓と昊天和尚をはじめとする歴代ご住職のお墓でご焼香に参加しました。
・新野左馬助の墓

・歴代ご住職のお墓は少し高いところまで急な階段を登るので、注意が必要です。

・昊天和尚のお墓


彦根龍潭寺には、昊天和尚作庭のお庭も見学できます。





関連地:彦根市 龍潭寺
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『三成の戦6』

2017年09月03日 | イベント
秋の空の下、彦根城に石田三成の旗がひるがえりました。





ついに、石田家による彦根城攻略が成功…したわけではありません。

映画『関ヶ原』公開を記念し、吉本の歴史好き芸人6名で結成された「六文ジャー」のお笑いライブ『関ヶ原合戦in彦根城』が彦根城天守前で行われ、そのイベントのために一時的に彦根城天守前が三成色に染まったのです。



ライブは二回行われました。
六文ジャーのうちで、はんにゃ金田さん、ロバート山本さん、犬の心いけやさん、ほたるゲンジ桐畑さん、そしてMCも担当された長谷川ヨシテルさんの5名が天守前ステージに登場され、『関ヶ原』のエキストラに参加されたときの話や、歴史クイズ、そしてお客さんも参加される軍師あてゲームもある濃い内容のイベントでした。





しまさこにゃんも登場して、関ヶ原アピール。

笑いで楽しむ関ヶ原合戦と言う時間を彦根城にお越しの方に感じていただけました。


関連地:彦根市 彦根城
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