彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

『琵琶湖周航の歌』100年

2017年06月25日 | ふることふみ(DADAjournal)
 平成29年(2017)6月、『琵琶湖周航の歌』ができて100年を迎える。様々な歴史を扱っているこのコーナーでは100年という時間はほんの一瞬のように感じてしまうが、一つの曲が残り歌われ続けるには途方もない時間となる。ましてや『琵琶湖周航の歌』は後世に残すために作られた訳ではなく一瞬で歴史の陰に消えてしまう寮歌として作られた物だったのだ。
 2年前に、原曲となる『ひつじ草』を作曲した吉田千秋の紹介したときにも書いた通り、『琵琶湖周航の歌』は作詞と作曲は別の人物であり2年の時間差がある、今稿では作詞者小口太郎の人生を追ってゆく。
 小口太郎は、吉田千秋の二歳下、長野県の諏訪湖近くで誕生した。小学生のときに諏訪湖を一周した記録を残すなど幼い頃から湖に親しんでいたことがうかがえる。そしてスポーツや音楽など多彩な趣味を持つ秀才だった。理系を得意としていて第三高等学校(現・京都大学)に入学、そこで水上部と弁論部に入部し琵琶湖と出会うことになる。三高水上部では毎年六月に大津の艇庫を出発する3泊4日(諸説あり)の琵琶湖周航オリエンテーションが行われていた。
 大正6年(1917)6月27日、大津を出発した太郎らは雄松(近江舞子)で一泊。翌日は今津まで移動。ここで太郎が書き留めていたメモのような詞に『ひつじ草』メロディーを合わせるとぴったりと合い『琵琶湖周航の歌』が奇跡の誕生を遂げたのだった。ここからは他の水上部員も詞を意識するようになり、レクレーションの後に部員らが協力して歌詞を完成させたと考えられている。その為かもしれないが『琵琶湖周航の歌』は周囲の風景を描写したような三番までと宗教的な香りすらも感じる四番からで歌詞の雰囲気がおおきく変わる。そして琵琶湖の光景を思い浮かべながらも多くの謎解きをさせてもらえるのだ。例えば五番の歌詞になっている彦根城は実際のお城とのイメージも違うことから太郎は彦根には寄港しなかったとの説もある。また水上部で使われている古い漕艇の名前である「比良」と「伊吹」の様子を彦根城に重ねたとも考える説も提示されているのだ。このような謎は歌詞全体に散らばっている。
 さて小口太郎は三高卒業後に東京帝国大学(現・東京大学)に入学。大正10年には『有線および無線多重電信電話法』で日本を含む8か国の特許取得、これは現在の光ファイバーの基礎となる研究で太郎が長命であったならば必ずノーベル賞を受賞していたであろうと言われているが大正13年5月16日に26歳の若さで亡くなったのだった。
 吉田千秋が『ひつじ草』を発表したのも小口太郎が『琵琶湖周航の歌』を作詞したのも21歳のときであり、2人とも20代の若さでこの世を去っている。そして『琵琶湖周航の歌』は2人の人生よりも長く生き続けることになったのだった。

5番の歌碑・彦根港

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

治部蛍 飛ぶ

2017年06月17日 | イベント
ひと月ほど前に、佐和山城址に飛ぶ蛍を「治部蛍」と呼ぼうと呼びかけを始めました。

それから何度か佐和山城址の内堀跡を訪れてみましたし、賛同して下さる方からの報告もいただいていて、今年も僅かですが治部蛍が確認されています。

黄昏刻に大手口に行くと、まずはキレイなマジックアワーに心洗われ、陽が沈むと蛍の舞が始まります。

目撃例が多いのは、がもう道に通じる道の内堀付近ですが、今頃になると大手口でも数匹の蛍が光を発していました。

まだまだ数は少ないですが、もしかしたら三成も見たかもしれない蛍たち…
治部蛍は、観に行くよりも見つけに行く蛍ですから出会えた時の喜びもひとしおですよ。


関連地 彦根市 佐和山城跡
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

150年前:『船中八策』(6月12日)

2017年06月12日 | 何の日?
慶応3年(1867)6月12日、坂本龍馬が『船中八策』を後藤象二郎に示しました。

…と、あたかも当然のように書きましたが、実は『船中八策』が誕生した日は6月15日として知られています。この日に龍馬は長岡謙吉に船中八策を清書させて見せていることが中岡慎太郎の日記にあるとの記述が『坂本龍馬海援隊始末記』に載っているからです。

しかし、実際には後藤象二郎らと共に上洛するべく、6月9日に藩船夕顔で長崎を出発した龍馬が、12日朝に兵庫に到着する間のいずれかで後藤に示したものだと考えられます。だからこそ“船中”という文字が入るのでしょう。
でも船中八策はその原本は見つかっておらず、写本もありません。

『坂本龍馬海援隊始末記』に全文の写しがあるのです。

その内容は

一、天下ノ政権ヲ朝廷ニ奉還セシメ、政令宜シク朝廷ヨリ出ヅベキ事。
一、上下議政局ヲ設ケ、議員ヲ置キテ万機ヲ参賛セシメ、万機宜シク公議ニ決スベキ事。
一、有材ノ公卿諸侯及ビ天下ノ人材ヲ顧問ニ備ヘ官爵ヲ賜ヒ、宜シク従来有名無実ノ官ヲ除クベキ事。
一、外国ノ交際広ク公議ヲ採リ、新ニ至当ノ規約ヲ立ツベキ事。
一、古来ノ律令を折衷シ、新ニ無窮ノ大典ヲ撰定スベキ事。
一、海軍宜ク拡張スベキ事。
一、御親兵ヲ置キ、帝都ヲ守衛セシムベキ事。
一、金銀物貨宜シク外国ト平均ノ法ヲ設クベキ事。
以上八策ハ方今天下ノ形勢ヲ察シ、之ヲ宇内万国ニ徴スルニ、之ヲ捨テ他ニ済時ノ急務アルナシ。苟モ此数策ヲ断行セバ、皇運ヲ挽回シ、国勢ヲ拡張シ、万国ト並行スルモ、亦敢テ難シトセズ。伏テ願クハ公明正大ノ道理ニ基キ、一大英断ヲ以テ天下ト更始一新セン。

とあります。

大政奉還、二議会制、内閣制度、不平等条約の解消、憲法の制定、海軍拡大、御親兵創設、為替ルート安定という明治政府の根幹ともなるものですが、この前の月(5月17日)に赤松小三郎が福井藩の松平春嶽に提出した『庶政一新に関する意見書』に酷似していて、これが由利公正から明治政府に示され『新政府綱領八策』になった筈が、龍馬伝説のために『船中八策』という新しいフィクションを後世の人が入れたのか、それとも龍馬が小三郎の『庶政一新に関する意見書』を知っていて、それを基に『船中八策』を作ったのか、いずれにしても船中八策は、作成された過程から後世の評価まで、様々な謎を残したままなのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーインパルス 展示飛行

2017年06月04日 | イベント
『彦根眺城フェス』としてブルーインパルス展示飛行が行われました。

朝から彦根駅前では15,000枚限定の団扇が配布され、時間前からたくさんの方が来られ行列になっていました。


メイン会場は金亀公園。
パイロットのサイン会を始めとする多くのイベントが行われました。
彦根の名物を探す、井伊碗グランプリもありましたが、さすがに全種類は食べられずなんとか三種食べてみました。





13時からは、メインイベントのブルーインパルス展示飛行開始。
金亀公園では解説付きでしたので、見所がよくわかりました。









昨日のテスト飛行に続き、天気に恵まれた大イベントとなりました。

会場 彦根市 彦根城
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

ブルーインパルス展示飛行 テスト飛行

2017年06月03日 | イベント
彦根眺城フェスのメインイベントとして、ブルーインパルス展示飛行が行われる前日に、テスト飛行がありました。

予定では13時から。

事前に彦根市から出ている禁止事項を耳にしていましたので最初は芹川堤から眺望しようと思ったのですがイマイチ見え難い感じでしたから西中の前に移動してみました。

13時を少し過ぎた辺りで、天高く音が鳴り響きブルーインパルスが飛来。

雲を作りながら次々と演舞が行われました。







風が強くて、雲がすぐに流れてしまうのが寂しかったですが、迫力のあるカッコイイ航空ショーでした。

本番は、イベント会場で観る予定。

会場 彦根市彦根城周辺
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする