この旅行記もやっと二日目の目的地に到着しました。中尊寺です。
2011年に世界遺産として登録された平泉のメインはやはり中尊寺です。世界遺産登録が決まったあと、TVで特集をしていたときに映像を観ていて涙が出てきました。何の涙だったのか未だに解りませんが、この瞬間に「生きている間に平泉に行きたい」と思いました。
正直言えば、ここまで思った場所は初めてです。しかしそれは過度な期待をしてしまう結果でもありました。
中尊寺は、奥州藤原氏の初代藤原清衡が建立した大伽藍です。刃毀れが酷い刀で苦しみながら首を斬られた父の藤原経清、同母弟でありながら奥州の覇権を巡って戦わねばならなかった清原家衡、その弟に殺された妻子…
清衡が奥州藤原氏の基礎を築くまでには多くの身内の血が流れました、そして身内以上にたくさんの殺し合いもあったのです。
そんな奥州を制した清衡が目指したのは仏国土、現世に極楽浄土を出現させることだったと言われています。こうして建立されたのが中尊寺でした。
黄金で輝く有名な金色堂は、清衡自身が死後に遺体が安置される場所として作った大きな墓標でもあったのです。そしてこの伝統は子や孫に引き継がれ、金色堂には藤原氏三代のミイラと四代泰衡の首が安置されました。また各当主は自分たちの代でも大伽藍を建立して仏国土を広げていったのです。
これらの歴史の基礎となった中尊寺。
まず入口の前には武蔵坊弁慶の墓があります。
真剣に考証すれば弁慶が実在したのかも疑問視がありますし、もしかしたら北行説にしたがって平泉では死ななかったかもしれません。でも、ここにずっと続く義経主従への想いもありました。
ここから月見坂を登ります。
どれくらいの長さがあるのか、しっかり知りませんが、ゆったりとした坂道を自然に囲まれながら登るのは気持ちいです。
そしてさまざまなお堂が見えてきます。
寄った時間が早かったので、開いていないお堂もありました。
本堂に到着すると、ちょうど見学できるくらいの時間になっていました。
ここで、朱印帳を受けて、各伽藍を巡りながら御朱印を受ける事にします。
全部を書いていると長くなるので、メインになる金色堂
中での撮影は禁止されていますから覆堂をアップします。実は期待度が高すぎた所為でしょうか、確かに金色堂は美しく格調も感じたのですが、TVで平泉に行きたいと感じた時ほどの衝撃はありませんでした。他の伽藍に比べても造りの丁寧さも美しさも勝るものであり劣る物ではありません、京都の金閣とは違った黄金文化も感じます。
そして、歴史上の方々がよくこの建物に手を付けずに残してくれたなぁと感謝すら感じます。たぶんここは蝦夷(歴史用語なので使いますが、あまりいい言葉ではありませんね)たちの心の拠り所だったのだと思います。源頼朝や豊臣秀吉がここの保護を続けたのは、太平洋戦争が終わったとに天皇を残すことで日本人を治めたGHQの方針に近いのかもしれません。
今はこの覆堂ですが、昔の物も残っています。
近くの経蔵の雰囲気好き
そして松尾芭蕉の句碑もあります」
白山神社の能舞台は嘉永6年(1853)に仙台藩が再建させた物が残っています
中尊寺の境内で、お蕎麦もいただきました。
そして御朱印は12か所受けました。
期待度が大きすぎたがゆえに、ちょっと物足りなさを感じてしまった中尊寺。
ですが、管理人が感じた期待度を満たしてくれる場所を最後に発見することになるのです。