彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

大老就任150年

2008年04月23日 | 井伊家関連
安政5年(1858)4月23日、井伊直弼が大老に就任しました。
そう、ちょうど150年となる日です。


井伊家と大老の話は過去にも書いていますので、今回は『どんつき瓦版』2008年4月号の資料とした大老年表をご紹介します。


安政5年(1858)
4/23 大老就任
6/19 日米修好通商条約締結
6/25 将軍継嗣が紀州慶福に決定し公表される
7/6 十三代将軍・徳川家定死去
8月中 日蘭・日露・日英各修好通商条約調印
8/8 水戸藩に戊午の密勅が下る
9/3 日仏修好通商条約調印
9/7 梅田雲浜逮捕(安政の大獄始まる)
10/23 橋本左内、鯖江・彦根両城焼き討ち計画によって逮捕
10/25 徳川家茂(紀州慶福)、将軍宣下
11/16 西郷吉之助・僧月照入水自殺を図るが西郷のみ蘇生
12/26 吉田松陰、投獄。

安政6年(1859)
6/2 神奈川・長崎・箱館開港
8/27 徳川斉昭・徳川慶篤・一橋慶喜を罰す(安政の大獄)
8/27 戊午の密勅の関係者を死罪(大獄・第一次断罪)
9/14 梅田雲浜病死
10/7 橋本左内・頼三樹三郎ら死罪(大獄・第二次断罪)
10/27 吉田松陰死罪(大獄。第三次断罪)
12/15 直弼、正四位に叙任

安政7年(1860)
正月 狩野永岳に正四位左近衛権中将の画像を描かせる
   『あうみの海』の歌を書いて画像を清凉寺へ奉納
1/19 遣米使節団が咸臨丸に乗って浦賀を出港
2/26 咸臨丸サンフランシスコに入港
3/3 桜田門外の変
3/18 安政から万延に改元。
3/30 直弼、大老罷免。
閏3/21 将軍家茂から直弼に病の見舞いが届く
閏3/28 遣米使節、米大統領ブキャナンに謁見
閏3/29 長野主膳が和宮降嫁を斡旋
閏3/30 彦根藩、直弼の喪を発する
4/10 直弼、豪徳寺に埋葬される。
4/28 井伊直憲、彦根藩主になる


これらの事を念頭に置いて『井伊直弼と開国150年祭』が行われますが、井伊直弼の事業は、幕権強化(将軍継嗣・安政の大獄・公武合体)と開国の二本柱で行われていました。
反直弼派のスローガンが“尊王攘夷”だったのはこの事からだったのです。

ちなみに、この年表でもわかる通り、日本がこの時に開国をして交流を行った国はアメリカ・ロシア・イギリス・オランダ・フランスの五ヶ国で、しかもアメリカはこの後すぐに南北戦争で内戦状態となった為に本当の意味で幕末史に関わったのはフランスとイギリスでした、そして明治維新以降はロシアとの関わりにも重要性があるのです。


余談ですが、各通商条約で開港された港のうちで神戸のみは幕府が大政奉還を行った後の慶応3年(1867)12月7日まで待たなければならないのです。

高松藩との交流150年

2008年04月21日 | 井伊家関連
昨年もこの日に書きましたが、安政5年(1858)4月21日、井伊直弼の次女・弥千代が高松藩世子の松平聰に嫁ぎました。

そう、今年の4月21日は150年の記念日なのです。

この1年で、弥千代をモデルにした“やちにゃん”が登場し、ますます盛り上がる彦根のネコキャラですね。
弥千代の物語がこう言った形でも多くの方に広がることを嬉しく思います。


さて、この1年間で管理人が新たに知った弥千代夫婦の話ですが・・・

実は桜田門外の変で井伊直弼が殺害された後に、聰の駕籠も水戸浪士によって襲われていたという話が、高松市に残っていました。
これは桜田門近くで商売をしていた讃岐出身の町人の話として伝わっているのですが、彦根藩の行列を襲った後に、そのすぐ後ろを進んでいた高松藩の行列に血刀を剥き出しにした浪人が襲い掛かったのです。
浪人たちは、葵の紋が入った駕籠の戸を気にせずに破り、中に居た男を見て「何だ、萬之助か・・・」と言って去ったそうです。
萬之助は聰の幼名で、水戸藩で育った聰の幼名を口にしたことから「予の幼名を知っているとは、あれは水戸の者たちに違いない」と聰は口にしたそうです。

父・直弼の横死と夫・聰の事件を聞いた弥千代の気持ちを思うと胸が痛くなるエピソードですね。

4月16日、丹羽長秀死去

2008年04月16日 | 何の日?
天正13年(1585)4月16日、織田信長の二番家老で「織田四天王」の一人だった丹羽長秀が胃癌の為に亡くなりました。享年51歳。


織田信長に天下を取らせた「織田四天王」は通常、柴田勝家・丹羽長秀・滝川一益・明智光秀を指します。
この中で信長の譜代の家臣は一人も居ないのですが、丹羽長秀は織田家の主筋でもあった斯波家から信長に主を変えて成功した人物だったのです。

長秀の名前がよく登場するのは稲葉山城攻めの頃からでしたが、その後も多くの合戦で活躍しているのですが、他の四天王に匹敵するような目立った武功話は世間に知られて居ないのです、ですが当時は“鬼五郎左”と賞されるくらいの猛将だったんですよ。
その代わりに丹羽長秀という武将に付くイメージは文官や官僚としてのモノでした。
このため一番家老の柴田勝家の武功と、二番家老の丹羽長秀の政治が織田家を支える事となり、この二人に憧れた木下藤吉郎が二人の姓を貰って“羽柴”という姓にしたという話まで生まれたのです(もちろん歴史的にはありえない話ですよ・・・)。

信長が妹婿の浅井長政を滅ぼしてその居城・小谷城を羽柴秀吉に与えると、浅井氏の出城の一つだった佐和山城を長秀に預けます。
信長は安土城が完成するまでこの佐和山城を近江における居城としていて、その城を預けられるくらいに長秀を信頼していたのでした。


そんな安土城築城を指揮したのも長秀だったのです。
武将・丹羽長秀のイメージは、官僚・丹羽長秀に変わり、賞される言葉も“鬼五郎左”から「何でも器用にこなし、無くてはならない存在」という意味の“米五郎左”に変わります。
織田家臣団の中で必要に応じて転身を遂げる事ができた唯一の存在でした。


もし本能寺の変が起きていなければ、天下統一後に厄介払いのために静粛されるか海外侵略に利用されるしかなかった柴田・滝川・明智・羽柴の諸将に比べれば信長の元で活躍したのでしょうが、本能寺の変が全てを狂わせてしまったのです。
この時、長秀は信長の三男・信孝と共に大坂城で四国攻めの準備中でした。
本能寺の変の情報を受け、共に大坂城に居た信長の甥(弟・信行の息子)で明智光秀の娘婿だった津田信澄を信孝と共に殺害し、中国大返しで戻ってくる秀吉軍に参加したのです。
この後の清洲会議や賤ヶ岳の戦の手柄から越前・加賀のうちから123万石を与えられて前田利家の監視役となった長秀は、いつの間にか秀吉の一家臣の立場に甘んじるしかない自分に憤りを感じたとも言われています。


そして天正13年4月16日に胃癌で亡くなったのです。
その最後は主君である織田家の遺児をないがしろにする秀吉への反発で満ちていて、一説には諫言の為に切腹し、自ら患部を引きずり出して三方に載せ、これを秀吉に届けるように遺言を残して亡くなったとも言われています。


この丹羽長秀が、何故彦根の話に登場するのかといえば、やはり佐和山城主だったという点ですよね。
佐和山城を私たちがイメージするようなお城にする基礎を築いたのは丹羽長秀だったのではないでしょうか?
織豊城郭と呼ばれる本格的な形までは作らなかったでしょうが、信長の近江拠点として恥ずかしくない物は作っていたのではないかと考えられます。

ちなみに佐和山城は主を不幸にする城なのですが、丹羽家の場合は石高を下げながらも織田四天王の中で唯一江戸期に大名として残る事ができた家なんですよ。

2008年04月09日 | イベント
先日、梅のお話を紹介しましたが、4月9日の段階で桜が満開となっています。

6月から始まる『井伊直弼と開国150年祭』に合わせて新たなひこにゃんグッズも登場しつつあり、金亀公園では小さいながらも物産展が行われていますし、夜間ライトアップや屋形船の夜間運航も行われています。

桜の時期は短いですから、思い立ったその時にぜひ足を運んでくださいね。

13日のひこにゃんの誕生日まで桜が続くと嬉しいのですがね。

『井伊直弼と開国150年祭』日程発表

2008年04月02日 | イベント
3月31日に行われた実行委員会内で『井伊直弼と開国150年祭』の日程が発表されました。

これまでは、平成20年6月~22年3月までの期間という事はわかっていたのですが、開催日やイベントの一部も同時に発表されましたので、お知らせします(他の方が作って下さった日程をそのままコピーして使わせていただきました)。

日程を合わせてぜひ観に来てくださいね。

~~~~~~~~~以下、日程~~~~~~~~~

●彦根市
平成20年5月25日プレ事業
「井伊直弼と開国150年祭(彦根よさこい春の舞)」

平成20年6月7日
「井伊直弼と開国150年祭開幕(井伊直弼大老就任150年)記念式典」

平成20年6月7日~11月30日
「井伊直弼と開国150年祭 特別展」

平成20年6月~平成21年10月
「井伊直弼と開国150年(郷土の歴史学習)」
市内全中学生対象、テーマ「井伊直弼の素顔と開国150年」

平成20年7月27日か29日
「日米修好通商条約締結150年記念式典&能舞台講演会」

平成20年8月下旬
「井伊直弼と開国150年祭 直弼杯将棋大会」

平成20年10月下旬
「井伊直弼と開国150年祭 直弼杯囲碁大会」

平成20年11月と12月
「井伊直弼と開国150年祭記念講演会(首都圏歴史講演会)」


●彦根城博物館
2008年度事業
5/23~6/24
「井伊直弼 大老への道のり」

7/26~9/1
「開国の時代と彦根藩」

10/2~10/28
「井伊直弼の茶の湯 一派創立と茶会記」

10/31~12/1
「井伊直弼の家族」

2/6~3/10
「弥千代姫の雛と婚礼調度」

3/13~4/14
「井伊直弼の甲冑と刀剣」

2009年度事業
6/26~7/22
(仮)「井伊直弼を支えた人々」

7/25~9/1
(仮)「井伊直弼の藩政」

10/1~10/27
(仮)「井伊直弼の茶の湯 好みの道具」

10/30~11/30
(仮)「井伊直弼の書と古典研究」

2/6~3/9
(仮)「弥千代姫の雛と婚礼調度」

3/12~4/13
(仮)「桜田門外の変」


●商工会議所
平成20年6月末~平成21年2月
(仮称)「直弼考 リレー講座」&「直弼とその時代の肖像画展」

平成20年夏~秋
(仮称)「直弼文化の再発見」

平成21年1月~3月
(仮称)「開国の食シンポジウム」


●稲枝商工会
平成20年11月1日~3日のうち1日
「井伊直弼と開国150年祭 稲枝まちおこしフェア2008」


●観光協会
平成20年10月12日13日
「井伊直弼 大名茶会と花展」

平成20年10月頃
「ひこにゃんとバロック音楽でめぐる近江歴史絵巻」


●青年会議所
平成20年8月2日か3日
「平成 弘道館~井伊直弼に学ぶ埋木の精神~」

平成20年10月3日
「開国記念寄席~もう一人の井伊直弼を訪ねて~」


●商店街連盟
平成20年秋
(仮称)「キグルミ・ラジオウォーク巡り」
平成20年2月~3月
(仮称)「まちなか版 雛と雛道具巡り」


●物産協会
平成20年10月下旬~11月上旬
「交流都市と彦根の観光と物産展」


●後援事業
平成20年10月18日
「国際親善音楽祭」
米国空軍太平洋音楽隊・アジア


●横浜市関係
平成20年6月14日~22日
「ポートタウンフェスティバル」

平成20年8月23日~31日
「横浜・彦根交流ウィーク」

2009年度事業
平成21年度4月28日~9月27日
「横浜開港150周年イベント」

平成21年5月31日
「横浜開港150周年記念式典」