文化12(1815)年10月29日、井伊直弼が彦根藩の槻御殿で誕生します。
直弼の人生は色んな場面で書いていますので、今回は直弼が誕生した頃のお話。
直弼は、彦根藩11代藩主・井伊直中の14男。幼名は鉄之介・鉄三郎
この頃は既に三番目の兄・直亮が12代藩主に就任していましたので父・直中も直弼が彦根藩主になる可能性を全く予測していませんでしたから、年老いた時の子どもに甘い親そのものを示すような育て方だったようです。
直弼の母である彦根御前は美女としても名高い女性で、藩主の側室としては珍しく直中の子どもを3人(直元・政優・直弼)も産むほどに寵愛されていたのです。
この彦根御前は直弼が5歳の時に亡くなってしまいますが、そんな美しい母親の面影を持った直弼が直中に大切に育てられたのも改めて理解できますよね。
この年、世界では大きな動きもありました。
フランスでは3月20日~6月28日までナポレオンが百日天下を取っていてワーテルローの戦いが行われたのもこの時期です。
ヨーロッパが動き出すのに合わせる様に文化年間は、レザノフ・フェートン号・ゴローニン事件などが起こるのもこの時期でした。
そして、文化とその次の文政年間は、江戸時代最後の華やかさを示す文化が発達した時で、後に“化政文化”と呼ばれる時期でもあったのです。
江戸時代最後の輝きの中で誕生した直弼は、父・直中、母・彦根御前はもちろんの事、長兄・直清にも大切にされ本当に倖せな前半生を生きますが、5歳で母が亡くなり、10歳で長兄、17歳で父が亡くなった為に彦根城外とも言える尾末町屋敷に移されて15年の貧しく苦しい生活を歩む事になるのです。
直弼の人生は色んな場面で書いていますので、今回は直弼が誕生した頃のお話。
直弼は、彦根藩11代藩主・井伊直中の14男。幼名は鉄之介・鉄三郎
この頃は既に三番目の兄・直亮が12代藩主に就任していましたので父・直中も直弼が彦根藩主になる可能性を全く予測していませんでしたから、年老いた時の子どもに甘い親そのものを示すような育て方だったようです。
直弼の母である彦根御前は美女としても名高い女性で、藩主の側室としては珍しく直中の子どもを3人(直元・政優・直弼)も産むほどに寵愛されていたのです。
この彦根御前は直弼が5歳の時に亡くなってしまいますが、そんな美しい母親の面影を持った直弼が直中に大切に育てられたのも改めて理解できますよね。
この年、世界では大きな動きもありました。
フランスでは3月20日~6月28日までナポレオンが百日天下を取っていてワーテルローの戦いが行われたのもこの時期です。
ヨーロッパが動き出すのに合わせる様に文化年間は、レザノフ・フェートン号・ゴローニン事件などが起こるのもこの時期でした。
そして、文化とその次の文政年間は、江戸時代最後の華やかさを示す文化が発達した時で、後に“化政文化”と呼ばれる時期でもあったのです。
江戸時代最後の輝きの中で誕生した直弼は、父・直中、母・彦根御前はもちろんの事、長兄・直清にも大切にされ本当に倖せな前半生を生きますが、5歳で母が亡くなり、10歳で長兄、17歳で父が亡くなった為に彦根城外とも言える尾末町屋敷に移されて15年の貧しく苦しい生活を歩む事になるのです。