新聞紙上を騒がせた都塚遺跡です。
ただの方墳と思われていた古墳が、発掘により階段状のピラミッドのような形式であることがわかり、大きさも直径約40m強高さ4.5m以上、西側は7m以上に見えるようになっていたことがはっきりしてきました。
周囲には幅1~1.5m深さ0.4mの周濠もあったそうです。
現地説明会は朝10時からの予定でしたが、1時間前にすでに多くの人が集まっていて45分早く始まりました。
長い行列に先に古墳があるテントが見えます。
下の方の石詰み
周濠
あちらこちらに石積があります
そして新聞紙上を騒がせた石段
その大きさや立地から、蘇我稲目の墓ではないかとも騒がれていますが、石棺自体は盗掘されていたことが昭和42年の調査で分かっているので被葬者は断定されていません。しかし飛鳥唯一の家形石棺という珍しい形でもあるそうです。
ちなみに、被葬者は北枕だったと思うとのことでした。
管理人が見学を終えたのは、10時半過ぎでしたがその段階で千人を越える見学者になり、新聞では最終的に4100人の方が見学されたとの報道でした。
ただの方墳と思われていた古墳が、発掘により階段状のピラミッドのような形式であることがわかり、大きさも直径約40m強高さ4.5m以上、西側は7m以上に見えるようになっていたことがはっきりしてきました。
周囲には幅1~1.5m深さ0.4mの周濠もあったそうです。
現地説明会は朝10時からの予定でしたが、1時間前にすでに多くの人が集まっていて45分早く始まりました。
長い行列に先に古墳があるテントが見えます。
下の方の石詰み
周濠
あちらこちらに石積があります
そして新聞紙上を騒がせた石段
その大きさや立地から、蘇我稲目の墓ではないかとも騒がれていますが、石棺自体は盗掘されていたことが昭和42年の調査で分かっているので被葬者は断定されていません。しかし飛鳥唯一の家形石棺という珍しい形でもあるそうです。
ちなみに、被葬者は北枕だったと思うとのことでした。
管理人が見学を終えたのは、10時半過ぎでしたがその段階で千人を越える見学者になり、新聞では最終的に4100人の方が見学されたとの報道でした。