彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

渋沢栄一の義兄を助けた彦根人

2021年02月28日 | ふることふみ(DADAjournal)
 2021年2月スタートという異例の形で大河ドラマ『青天を衝け』の放送が始まった。日本資本主義の父とも称される渋沢栄一なので、全国に関連する事業や企業などがあるため滋賀県内でも渋沢栄一の足跡に触れることがある。
 その反面、幕末には尊王攘夷を志し高崎城を奪う計画を立てながら、一橋慶喜に仕えるという井伊直弼と敵対する立場(栄一が慶喜に仕えたのは桜田門外の変の後なので直接の対立はない)にいた人物でもあるため彦根藩に関わりがないような人物に見えてしまうかもしれない。だが栄一の身内にまで目を広げると明治彦根に大きく関わってくる。その身内とは栄一にとって7歳年上の義兄(妻の兄)尾高惇忠(新五郎)である。
 惇忠は、栄一と共に高崎城攻めを計画した人物でもある。この企てが江戸幕府に漏れたあとには奇妙な縁で栄一が一橋家に仕える。すると惇忠も幕府に近い人物となり、戊辰戦争では箱館まで転戦したのだった。明治維新後に栄一の懇願で富岡製糸場初代工場長となり娘・勇を最初の女工にして父娘が助け合い生糸生産による日本近代化を進めているのだ。
 日本の生糸は開国により海外に多く流出。その品質の良さを高く評価されていたが、それが大量生産の必要性を生み、品質低下に繋がっていた。このため海外からの信用を取り戻す高品質の生糸を大量生産するという大きな目標が提示されることになる。富岡製糸場は生産に器械を導入することで生産性を上げようとしたのだが、そのために必要な人材には器械知識を理解できる教養が必要となった。そして国内だけではなく国外からも注目されるため働く人々の気品も求められたのである。そのような厳しい条件でありながら明治維新後の日本では赤ワインを見て「西洋人は女性の生き血を飲んでいる」と思われ、西洋人が指導に入る器械や工場が避けられていた。
 明治5年(1872)から女工募集はされていたが難航する。人材確保に悩んでいた惇忠の許を明治八年に訪ねた人物が遠城繁子だった。繁子は旧彦根藩士・遠城謙道の妻でこのとき39歳。夫・謙道は15年前に桜田門外の変で主君井伊直弼が横死したことをきっかけに出家し豪徳寺の直弼の墓守となり、忠義を讃えられていた。その陰には貧しい生活に耐えながら二男五女を育てる繁子の存在が大きかった。
 繁子が二人の娘と共に富岡製糸場を訪れたとき惇忠は「遠城一家の忠節を聞き、繁子の来るを喜び直に擢して女工取締の任を託す」(『遠城謙道傳』繁子略歴より)と、繁子に女工たちの教育を任せたと伝えられている。繁子もこれに応えてこのあと彦根藩域より多くの女性を富岡製糸場に迎えて当初から求められていた教養や気品を身に付ける教育も行われるようになる。繁子は9年間働いたのち東京で99歳の長寿を全うする。そして繁子に育てられた女工たちのなかからは、彦根製糸場で活躍し滋賀県近代化に尽力した者も少なくない。

『遠城謙道傳』繁子略歴一部(遠城保太郎 / 一鳳社金山印刷所)
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『CAPCOM vs 手塚治虫』

2021年02月24日 | イベント
2月23日に宝塚市の手塚治虫記念館に『CAPCOM vs 手塚治虫』を観に行ってきました。



この日が最終日。
ストリートファイターや戦国BASARA、逆転裁判、モンスターハンターなど様々なヒット作を世に出したCAPCOMのキャラと、ブラックジャック、どろろ、ジャングル大帝、火の鳥などの戦後漫画界を先駆けた手塚治虫の作品をコラボさせた異色の展示でした。

40代半ばの僕と20代後半の彼女では、懐かしく感じるゲームが違うのは面白くもありましたが…

展示は終わりましたが、終了後に図録が通販されるそうです。
それほど話題になった展示だったのですね。

ちなみに、手塚治虫記念館に行くのは初めてでしたが僕にとって何よりも大好きな火の鳥のモニュメントがあったのは興奮しました。







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甲賀三大佛

2021年02月11日 | 史跡
甲賀市に用事がありましたので、勢いで『甲賀三大佛』を訪問してきました。

甲賀三大佛とは、大池寺、櫟野寺、十楽寺にいらっしゃる大仏様の事で、過去、現在、未来を表していらっしゃるとのお話を伺いました。

三重県との県境に近い「十楽寺」は阿弥陀如来様の像ですが、日本には二体しかないという摩耶夫人(お釈迦様の母)像の一体があります。この像はお釈迦様は摩耶夫人の右脇から誕生した姿でした。
他にも気になる仏像が間近で観れました。




油日神社や滝川城跡の近くには「櫟野寺」
残念ながら、秘仏などの公開の時期ではないため(通常拝観はできたようですが…)、本堂前で手を合わせただけでしたが、こちらには薬師如来像をはじめとする平安期の仏像があるそうです。








水口城の近くには「大池寺」があり、釈迦如来像を観る事ができます。
大池寺には小堀遠州作庭の庭があります。
宝船に乗っている七福神を模したお庭をお茶を楽しみながらじっくり見学できました。







他にも、蔵の白壁を借景として松を鶴に見立てたお庭もあり、こちらの工夫も楽しかったです。


それぞれの御朱印と花弁もいただきました。







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