彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

150年前:リンカーン暗殺事件(4月14日)

2015年04月14日 | 何の日?
1865年4月14日、アメリカの大統領エブラハム・リンカーンが暗殺されました。享年56歳。

彼の就任が、南北戦争の引き金となり、南部連合が優位に進んでいた戦争を奴隷解放という武器を使って北部連邦の勝利に導いた立役者でもあります。
そのようなイメージから、アメリカの身分差別撤廃に力を尽くしたように思われがちですが、ネイティブアメリカンに対しては常に厳しく当り、ネイティブアメリカンの大量虐殺を指揮しています。

そんな両極端な印象のあるリンカーンが暗殺されたのは、南北戦争が終結した6日後のことでした。


1865年4月14日夜、ワシントンD.C.のフォード劇場で妻と従者そして二人の客と共に演劇を観戦していたリンカーンの背後から、俳優であるジョン・ウィルクス・ブースが近付きました。そしてわずか1.2mの近距離から後頭部左耳付近を拳銃で撃たれたのです。
この時ブースは「専制君主は常にこのようになる!」と叫んだと言われています。時刻は10時13分説と11時17分説とあります。

リンカーンは翌朝午前7時22分に亡くなりました。これが現役大統領が暗殺される最初の例となったのです。


ブースはそのまま逃走しますが4月26日発見され警官隊に射殺されてしまうので、動機ははっきりとはわかっていますんが、一説にはブースがリンカーンに対して共和制を廃止して専制君主になろうとしているとの不安を抱いていたともいわれているのです。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

馬が愛した地・石馬寺

2015年04月12日 | ふることふみ(DADAjournal)
 寒く長い冬が終わり、暖かく色鮮やかな春の空気を感じるとどこかに出かけたくなる。
 日本人ほど旅が好きな民族は世界中でも珍しいとされている。「それは江戸時代という長い平和が続いたことで習慣となった」との理由を挙げる研究者もいるが、それ以前から日本人は国の中を歩き回った人物が多く存在した。乗り物や道が整備された現代とは違い、旅そのものが命懸けだった時代になぜ人々は旅に魅了されたのか? それは日本という四季に恵まれた気候と、山紫水明の言葉にふさわしい美しい風景に心躍らせる人々が多かったからに違いない。
 さて、世界史の中でほとんどの国の物語は、神話から始まり人間の歴史へと移り変わって行く。これは日本でも同じなのだ。
 神話と歴史が混沌として混ざり合う時代に、日本神話の最後のヒーローであり、歴史の早い段階での有能な政治家ともいえる人物が聖徳太子ではないだろうか? 現在では聖徳太子という人物の実在性が疑われ、厩戸皇子という実在の人物をモデルにした架空の存在であったともされていて、歴史の教科書から聖徳太子の名前が消え厩戸皇子の名前で業績が紹介されることもあるらしいが、これこそが神話と歴史の混ざった場所で生きた人物に新しい伝説を添えているようにも思えてくる。
 そんな聖徳太子は、多くの地方に行った伝承があり、その地で仏像や遺物や伝説を残したのだ。もちろん近江にも聖徳太子手彫りの仏像や所縁の地は多く存在する。
 ある伝承では、聖徳太子は推古天皇の御代に近江に赴いて霊験あらたかな地を探し伽藍を創るための旅をしたとされている。その時に、近江産の駿馬に乗って候補地を探したと伝えられている。当時の近江は立派な駒場であり、地元の駿馬に導かれながらより良い場所を探す気力に溢れていたのかもしれない。馬はその期待に応えるように繖山まで聖徳太子を案内し動かなくなった。太子は馬を近くの松の木に繋いで山に登ると、吉兆の兆しである瑞雲が表れたので、大いに喜んで繖山に伽藍を建立することを決めた。そして山を下りて馬の所に帰ると、馬は傍らの池に沈んで石となってその場に留まる意思を示した。このことから太子自らが石馬寺との寺号を定めその文字を木額として残したのだ。
 聖徳太子が建立し大きな繁栄を迎えた石馬寺だが、やがて織田信長の元亀争乱に巻き込まれ昔日の繁栄を失うこととなる。しかし『信長公記』には天正八年三月下旬に信長が石馬寺に銀三十枚を下賜したとの記録が存在する。信長に伽藍は焼かれたとしても、信長の時代にも同じ場所で残り続け、やがて徳川家光に伊庭御茶屋御殿の茶室を下賜されて本堂とし再興した。現在まで聖徳太子とその馬が選んだ地に石馬寺があり、約三百段の石段を登る前に池に沈んだ石の馬を見ることができる。
 余談だが、私も旅行先で不思議な体験をしたことがある。奥州平泉の毛越寺を訪れたとき、庭園に入った途端に「ここから離れたくない」との感覚にとらわれ、ゆっくりと散策した後に後ろ髪を引かれながら帰ろうとすると、晴れていた空から急に雨が降り出したのだ。時間にして一秒か二秒の短い時間の出来事だったが、滋賀の地に残したものが何もなかったら、この雨を理由に平泉に留まったと思う。聖徳太子の馬は私と同じ想いからそれを貫いた強さがあったのかもしれない。


石馬の池に沈む馬
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

地域通貨「彦」交付

2015年04月06日 | その他
今年も、地域通貨「彦」が配布される時期となりました。

前年度一年間に行った“美しいひこね創造活動”に対し、活動回数4回に対し100彦が支給され、これが地域通貨として彦根市内で使ったり団体に寄付したりできる制度です。
100彦=100円
として登録されたお店で使う事もできて、それで特典があるお店もあります。

地域通貨「彦」5枚(つまりは500彦)で、ひこにゃんのエコバックと交換できます。
「彦」自体もエコバックも、ひこにゃんグッズとして定着しつつありますね。
今年は100彦で、彦根市指定のごみ袋燃えるごみ(特大)やステッカーとも交換できるようになったそうです。
ごみ袋は特にありがたいです。


…というわけで、管理人もさっそく交換に行ってきました。
一年目は参加していなかったのですが、二年目から始めて「彦」が七種類になりました。長い取り組みですよね。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする