彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

彦根城総構え400年(3)

2021年06月27日 | ふることふみ(DADAjournal)
 前稿では六左衛門が誕生する頃までの奥山家について記したので、今稿では六左衛門について書いてゆきたい。
 「国宝・彦根城築城400年祭」の頃から井伊谷での井伊家を調べていた私は、井伊直親が暗殺された後に鳳来寺山に逃れることとなった虎松(のちの直政)に同行し幼い虎松を守っていた者こそが六左衛門であったと思い込んでいた。大河ドラマ『おんな城主直虎』でも直虎が井伊家後見人となったときに中野直之と六左衛門が青年として登場する。しかし『侍中由緒帳』に「六左衛門十六歳之時直政様江被召出候」と記されている。これは直政が徳川家康に仕えた天正3年(1575)のことであり直政は15歳だった。つまり六左衛門は直政より1歳年上のほぼ同年代であったこととなる。鳳来寺山への同行も直政と六左衛門は主従関係ではあるが同時に共に幼い頃から苦楽を共にした同志であったのではないかとも考えられる。もちろん場合によっては六左衛門が直政の影武者として身代わりになる可能性も否定できない。
 天正3年(1575)、直政(虎松から万千代に改名)は小野玄蕃の息子朝之(万福)と共に徳川家に仕官する。この時点で井伊家と小野家は対等の立場であるため六左衛門が再興した井伊家初期の家臣となり、六左衛門は直政と共に歩み続ける。また中野直之の娘を正室に迎える(ドラマの2人は同年代に見えるが実は義理の親子)ことで井伊谷以来の家臣団で閨閥を作る。この行為は祖父朝利と同じ政治感覚を見ることもできる。
 関ヶ原の戦いでは侍大将として戦い、大坂の陣にも参戦した六左衛門は彦根藩内で二千石の所領と中老の地位を与えられ、藩祖直政の外戚としての家格も得た。
 元和の彦根城築城二期工事で六左衛門が総奉行に任じられた大きな要因は、再興井伊家最古参の重臣であったためと推測する。工事中の六左衛門に対して目に付く逸話が残っていないことからも工事を円滑に進めるための無難な責任者であったのだと推測できるのだ。
 藩の期待通り無事に工事を終え、7年後に六左衛門は亡くなる。その後奥山家には不幸が続き七百石まで減封となるが、明治維新まで家を残すのだった。
 時は流れ昭和の頃、京都に「おく山」を号とする店が記録されている。祇園の御茶屋と平安神宮近くの旅館である。御茶屋おく山で育った奥山はつ子(奥山初)が祇園を去った後に営んだのが旅館おく山であったらしい。「はつ子が祇園第一の美妓、従つて又京都を代表する美人」と女性を観ることに長けた谷崎潤一郎が『京羽二重』(『谷崎潤一郎全集』中央公論新社)に書いている。そして同作の中ではつ子自身が「自分の親たちは彦根の生まれで井伊家の一族である」とも話している、はつ子は六左衛門が先祖であることを他でも話していて、谷崎文学の読者に奥山の名を記憶させる一翼を担うのだ。

奥山家墓所(ただし六左衛門の墓石はない)
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待つ猫

2021年06月09日 | テーマ日記
部屋から出たら階段で待ってました。



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新型コロナウイルスワクチン接種 1回目

2021年06月09日 | その他

仕事の都合でコロナワクチンの1回目を接種しました。


事前に渡される予診票を記入し、薬を飲んでいる場合は「お薬手帳」も持参します。

職場で接種する場合は、ある程度の情報を社内で共有している可能性がありますが会場での集団接種の場合、薬の確認は大切なのでお薬手帳を持参しないのは問題であると認識しておいた方が良いと思います。

また、予診票も氏名のふりがなや電話番号、接種前の体温、そして同意欄など記入する箇所は幾つもあるのでわかる場所だけでも事前に記入するべきです。その辺りの時間が無駄になるほど接種が延びることになります。

また、予診票は1回目と2回目の2枚あるので、それぞれの接種までどちらも保管しておかないといけません。



まずは、予診票を見て医師の問診ですが、記入がちゃんとできていればすぐ終わります。

注射は、利き腕ではない方の腕に行われます、二の腕がすぐに出せる袖の短い服を着て行きましょう。

とても細い針で筋肉注射ですので、痛みはありません、個人的な経験で言えば糖尿病治療のインスリン注射よりも痛みはありませんでした。ですので注射を医師以外の方がされる会場もありますがまったく問題ありません。


個々がちゃんと準備できていれば問診から接種までは流れ作業のように終わります。

その後15分は静かに座っていましたが、この時に接種腕に軽い痺れや違和感はありました。


問題は副反応、接種から時間が過ぎてから腕の痛み、体の倦怠感がだんだん出てきました。

個人的には5時間に目眩が強くなりだんだん頭痛になってきました。


一晩寝た後、腕の痛みは当日よりジンジンとした鈍痛になり1日経過してマシにはなりましたが残っています。

目眩や頭痛は午前中だけ軽く残っていました。



もしかしたら年齢や性別、生活基準などによっても変わるかもしれませんが、接種済の方に話を聞くと翌日の腕の痛みや怠さは出ることが多いようです。


三週間後、2回目の時にどうなるかも要観察ですね。


(追記)

接種翌日より、翌々日に体調不良でました。

休みでも5時起きの習慣(目が覚める)のですが、夕方まで布団から起きられず。

腕の痛みは触らなければ気にならなくなっています。

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『るろうに剣心展』

2021年06月02日 | イベント

京都市京セラ美術館で行われている『るろうに剣心展』


本当なら4月23日から6月6日までの展示だったのですが、コロナ禍における緊急事態宣言で4月25日から閉館となりました。

このまま展示がなくなる可能性もありましたが、6月1日から宣言下の対応が緩和されたこともあり、6月1日から6月6日だけ再開されました。


たった6日間の展示なので、急いでチケットを購入し予約も入れて観てきました。


展示内容としては、原作を「仲間」「正義」「強さ」「命」「幸せ」をテーマにして分類し、原画を紹介してくれています。


基本的な展示が原画だったためか、撮影OKでした。













それぞれのキャラクターに譲れない信念があることもわかりました。


個人的には、京都編の佐渡島方治が推しなのですが、この展示を観ていて巴に改めて興味が湧きました。









また、展示のために新たに描かれた志々雄との一場面もあります。



そして制作された『逆刃刀・真打』

原作にある「我を斬り刃鍛えて幾星霜 子に恨まれんとも孫の世の為」の銘が刻まれていました。











連載中の北海道編





実写映画の衣装






も展示された、濃い内容でした。

オリジナルグッズも色々ありました。





月並みの感想ですが、原作を読み直したくなる展示でしたし、映画もすぐに観に行くことになりそうです。


5月末段階で大河ドラマ『青天を衝け』は文久4年(元治元年 1864)ですが、剣心が清里明良や巴を斬った年でもあることを考えるとすごく良いタイミングでした。








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