彦根の歴史ブログ(『どんつき瓦版』記者ブログ)

2007年彦根城は築城400年祭を開催し無事に終了しました。
これを機に滋賀県や彦根市周辺を再発見します。

そうだ、(雪の)京都行こう!

2020年12月31日 | 史跡
彦根では市街地でも35センチの積雪を観測した令和2年大晦日。
コロナに雪にと最後まで色々ある一年でした。

朝5時頃目が覚めて外を見て、そんな雪にテンション上がりました。
そして「全国的に寒波が来るって言ってたから、京都も積もってるかな? 確か金閣の葺き替えが終わったばかりだったから、雪の金閣観に行こう!」と即決。
いそいそと準備して日が登る前に駅まで行きました。

自宅前も


駅のホームも雪!


でも、今冬は既に積雪を経験していて想定内の積雪ならJRが極端に遅れるわけでもないので順調に京都まで出て金閣には7時半に到着しました。

開門は9時なので1時間半前ですが、すでに待っている人が居ました。
考えることは一緒みたいで、その後もだんだん行列が伸びて行きます。


寒い中、やっと開門。

雪が降る中で、いろんな方向から雪化粧の金閣が楽しめました。








その後、銀閣にも移動。
こちらも雪化粧が綺麗ですが、少し雪が少なくなっていたかもしれないですね。












例年なら、大晦日は彦根城で除夜の鐘を打ちますが今年は移動が大変なので二年越しはゆっくり過ごします。
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明智光秀に仕えた彦根藩士(後編)

2020年12月27日 | ふることふみ(DADAjournal)
 木俣守勝は九歳で徳川家康に出仕するがこれは幼すぎるわけではない。当時に武士たちは元服前から主に自らの子を預け教育や人間関係の構築を任せている。こうすることで主従関係が穏便に保たれたとも考えられる。しかし守勝は19歳で徳川家を出奔した。
 守勝が徳川家を出奔した理由に定説はない。一般的には家族との確執と言われていて高殿円さんは守勝を主人公とした小説『主君』(文春文庫)の中で異母一家との不和を描いていた。確かに守勝の人生を見てみると家族の絆には恵まれておらず後には妻方(井伊直虎の従姉妹)の甥守安を養子に迎えているため木俣家の血を残すこともできてはいない。しかし家族に原因があるような出奔を家康が簡単に認めるとは思えない。むしろ守勝出奔は家康の策ではないかと考えてしまう。
 前稿で書いた通り家康の父・松平広忠は今川義元からどんな仕打ちを受けても裏切らない律儀者だった。その広忠や周囲の三河武士を見ると徳川(松平)家は義理堅く見え家康もその評価に甘んじているが、家康自身は今川義元・織田信長。豊臣秀吉が亡くなるとその子たちを簡単に見限っている。これらの行動は事前に情報を集めて準備しなければ行えるものではなく情報の収集源はできるだけ当事者に近くなければ意味がない。そう考えるならば信頼する家臣を派遣するのが一番ではないだろうか? 守勝は明智光秀に仕えるようになる。蛇足だが守勝出奔の後に井伊万千代が家康に仕えているため二人の出会いは少し先まで待たねばならない。
 光秀に仕えるようになった守勝は、懸命に光秀のために戦った。天正5年(1577)信長に二度目の反旗を翻した松永久秀討伐のために久秀の居城である信貴山城に近い大和片岡城を攻めた光秀軍において守勝は先駆けを行った。片岡城落城後に五日間の在城の後で光秀は信貴山城攻めに参戦するがここにも守勝は従軍したと考えられる。翌年には播磨攻め中の羽柴秀吉への援軍として播磨に入った明智軍に守勝も参戦。別所一族の神吉頼定が籠る神吉城を攻めた。この城はなだらかな高台に築城されていて城攻めは困難を極め、結局は謀略によって落城するが、守勝は可児才蔵と先駆けを争い光秀から感状を受けている。その翌年には石山本願寺攻めでの活躍が信長の耳にも入り、信長に拝謁し50石を与えられるなどの活躍を見せ、本能寺の変の前年に家康が信長に懇願し守勝を徳川家に帰参させたのだった。
 光秀との関係の深さや徳川家に帰参したタイミングの良さから近年では、本能寺の変で光秀と家康を繋いだ人物が守勝ではないかとも言われるようになっている。私見としては守勝の帰参が、信長が朝廷を威嚇した御馬揃えよりも前であるため、本能寺の変を念頭に置いた光秀・家康の繋ぎ役が守勝であるような都合がいい話はあり得ないと考えている。ただ、光秀亡きあとその人脈を守勝が取り込んで利用したことは間違いないのだ。

神吉城祉の神吉頼定の墓(兵庫県加古川市東神吉町 常楽寺)
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2020年12月の雪

2020年12月17日 | 彦根城
令和元年はあまり雪が降りませんでしたが、今年は例年通り12月に雪が積もりました。

16日の彦根中部の雪は道には積もらず田んぼを白く染めたくらいでした。

17日は、正午過ぎもまだ雪が降っていて夜まで降ったり止んだりを繰り返しました。

朝の内に能登川に寄りましたので、まずは雪を被った宗祇像を見学。


正午頃に彦根城に向かってみました。
駅から見れる佐和山城址も雪景色




直政公も寒そうです。




彦根城も雪に染まり




この辺り、スキーができそう(できません!)


玄宮園も雪景色でした。









他の予定で時間がなく、お城には入りませんでしたが、雪とお城は日本らしい風景ですね。

二季咲桜と雪のコラボも綺麗






雪の日に倒れた直弼公の像に雪が積もることに因縁を感じたりもしました。



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治水記念館

2020年12月15日 | 史跡
光秀堤を観たあとに、城下町をウロウロすることになり古民家を改修した治水記念館を見つけました。

福知山の洪水といえば数年前に由良川が決壊した大きな災害があったことが記憶に残っていたのですが、小さな洪水はよくあるとのことで、この2年は洪水が起こっていないことが珍しいとの話でした。

私自身が、戦国時代の水攻めの研究者であり身近に水害専門の災害ボランティアさんがいて、彦根藩史を調べると治水と関わる人物も登場するため、治水史は興味深いので見ていて勉強になりましたし、この地域の洪水の凄さを知りました。

それを知って町を歩くと、高さに対する備えがある家が多いのもわかって新たな発見になりました。

それなのに、写真を撮り忘れたのは失敗でした。
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蛇ヶ端御堤

2020年12月13日 | 史跡
福知山城に続いて目的地にしていたのは蛇ヶ端御藪(明智藪・光秀堤)です。





光秀が福知山城を築城するときに由良川の流れを変えるために造った堤防と言われています。
由良川は大変な暴れ川で、今でもよく水が溢れますが光秀が堤防を造る前はもっと酷かったのでしょうか?

織田信長の軍勢はある時期から大規模土木工事を行う能力が重視されるようになりました。
そういう意味では、城下の堤防造りは必要性もあるでしょうが、信長に対する土木技術のアピールだったのかもしれないですね。
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福知山城訪問

2020年12月12日 | 日本100名城と続100名城
福知山訪問記です。

京都駅から特急に乗っても1時間半近く掛かるため京都府内である感覚から外れてしまう場所でしたし道中の殆どが霧に囲まれている感覚も不思議でした。
福知山駅に到着する前からお城が見え、城山と町との高低差があることもわかりました。









最初の目的地である福知山城を目指すのは難しいことでもなく、10分ほど歩くと到着です。
明智光秀が築き、娘婿の左馬助が城主を務め、




何人かの城主が変わった後に江戸時代に朽木氏が転封されてからは廃藩置県まで朽木氏の治世が続きました。
ですので天守の近くには藩祖朽木稙綱を祀る神社もあります。



明治になり城は壊されましたので、今のお城は再建となります。
ただし、城郭建築の雰囲気も残していて安土城をモデルにしたとも言われている天守は他の城と異なった個性がありました。



福知山城の最大の見所は、石垣に使われている転用石の多さです。
石垣を築くために近隣から墓石や石仏などを集めて使用した物で、各地の石垣で見る事ができますが、その使用頻度の多さは群を抜いています。
転用石については私独自の考え方があるのですがそれは別としても事前にわかっていながらもやはりその多さには驚きました。








御城印は、大河ドラマ効果で多くの方が購入されるそうです。



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非接触スタンプラリーin福知山

2020年12月10日 | イベント
福知山に行ってきました。

12月1日から非接触スタンプラリーを行なっておられます。
観光案内所でネックストラップに入った端末を借りて、スタンプポイントに行くと自動的に端末にデータが記録されてポイントになります。


範囲もしっかり設定されていて、お店などは店舗に入った時という狭い範囲。
公共施設は広い範囲から、建物の指定のエリア(有料エリア等)も設定されているようです。

また、スタンプポイントには加点が決められていて、簡単に行ける場所は1点や有料エリアや遠い場所は3点、4点、5点などが計算されるようです。
ネックストラップで見えるところにかけているため、理解されている施設やお店の方に次のおすすめポイントを聞けたりもしますし、観光で来ていることもわかっていただけます。

加点が、ポイントに行けば光が出ることでわかるだけなので、その場で確認しなかったときに不安だったり、集めたポイントが何点なのかを最後に教えてもらうまで自信が持てなかったりしますが、スタンプを探し辛い時がある苦労や押し忘れを後で気がつく失敗したなどはなく、尚且つコロナ禍における接触のリスクも最小限に抑えて行ける良さはありました。
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