2010年の元旦、あと1か月ちょっとで井伊家の始祖・井伊共保が誕生して1000年を迎えるます。
“井伊家千年紀”を見る上では井伊家が始まったところである井伊谷に行かなければ分からない事もあるだろうと思い、訪問してみました。
寛弘7年(1010)元旦に井伊谷八幡宮の井戸傍で拾われた赤ん坊が共保だったそうです。
その男の子に興味を持った、藤原共資という人物が娘婿として7歳になった共保を養子に迎えました。その共資のお城は浜名湖の中にある志津古城とのことです…
現在の地図を見ても、井伊谷と浜名湖は近いようでそれほど近いとは言えません。
この距離が何を意味するのか?
そして井伊谷は共資の所領だったのか?それとも越境をして養子を迎えたのか?
共保の井伊谷移動は順調に行ったのか?
色んな謎が浮かび上がってきます。
そして南北朝時代に、南朝の宗良親王を迎えた井伊道政という人物が、居館の城である井伊谷城と
戦う城である三岳山城
などの山城を駆使して戦をしたそうです。
三岳山城を登りきろうとしたのですが、夕方で山が暗くなっていったのと、あまりにも急な坂に断念しました…
根性無しと自分を責めたいところですが、あっちこっちで折れた木が転がっている場所では堪忍して下さい(汗)
これらの城で戦った宗良親王は様々な形で祀られています。
特に井伊谷宮では井伊直憲によって御陵が作られました。
戦国時代になると井伊家には苦難の時代がやってきました。
井伊直政のお爺さんである直満は弟の直義と一緒に今川義元に殺され、
直政の父親・直親も今川家臣の朝比奈泰朝に掛川城下で暗殺されました。
これらのお墓は井伊直弼が井伊谷に訪問した時に整備したそうです。
井伊家の菩提寺である龍潭寺には井伊家霊殿や
井伊家当主が訪れた時の貴賓室
などが残っていました。
井伊谷を含む戦国期以前の井伊家の支配地は今の浜松市よりも広かったと想定されていて、ご主人の訪問も浜松市内を中心に多方に渡ったそうです。
しかし、案内板などが現地にあるくらいで、その場までの看板がほとんどなく整備された地図の様な物もありませんので、探しながらの訪問となり断念した場所も多いそうです(三岳山城に登るのが遅れたのもそれが原因としてください…)
現地でお聞きした話では、今やっと井伊家の研究が浜松市の行政単位で動くようになったそうです。
今までごく一部の歴史研究者の訪れる場所だった所を、歴史資源として整備する取り組みも浜松市には求められているようですが、彦根市もその点はまだまだ考える余地があると思った管理人でした。
“井伊家千年紀”を見る上では井伊家が始まったところである井伊谷に行かなければ分からない事もあるだろうと思い、訪問してみました。
寛弘7年(1010)元旦に井伊谷八幡宮の井戸傍で拾われた赤ん坊が共保だったそうです。
その男の子に興味を持った、藤原共資という人物が娘婿として7歳になった共保を養子に迎えました。その共資のお城は浜名湖の中にある志津古城とのことです…
現在の地図を見ても、井伊谷と浜名湖は近いようでそれほど近いとは言えません。
この距離が何を意味するのか?
そして井伊谷は共資の所領だったのか?それとも越境をして養子を迎えたのか?
共保の井伊谷移動は順調に行ったのか?
色んな謎が浮かび上がってきます。
そして南北朝時代に、南朝の宗良親王を迎えた井伊道政という人物が、居館の城である井伊谷城と
戦う城である三岳山城
などの山城を駆使して戦をしたそうです。
三岳山城を登りきろうとしたのですが、夕方で山が暗くなっていったのと、あまりにも急な坂に断念しました…
根性無しと自分を責めたいところですが、あっちこっちで折れた木が転がっている場所では堪忍して下さい(汗)
これらの城で戦った宗良親王は様々な形で祀られています。
特に井伊谷宮では井伊直憲によって御陵が作られました。
戦国時代になると井伊家には苦難の時代がやってきました。
井伊直政のお爺さんである直満は弟の直義と一緒に今川義元に殺され、
直政の父親・直親も今川家臣の朝比奈泰朝に掛川城下で暗殺されました。
これらのお墓は井伊直弼が井伊谷に訪問した時に整備したそうです。
井伊家の菩提寺である龍潭寺には井伊家霊殿や
井伊家当主が訪れた時の貴賓室
などが残っていました。
井伊谷を含む戦国期以前の井伊家の支配地は今の浜松市よりも広かったと想定されていて、ご主人の訪問も浜松市内を中心に多方に渡ったそうです。
しかし、案内板などが現地にあるくらいで、その場までの看板がほとんどなく整備された地図の様な物もありませんので、探しながらの訪問となり断念した場所も多いそうです(三岳山城に登るのが遅れたのもそれが原因としてください…)
現地でお聞きした話では、今やっと井伊家の研究が浜松市の行政単位で動くようになったそうです。
今までごく一部の歴史研究者の訪れる場所だった所を、歴史資源として整備する取り組みも浜松市には求められているようですが、彦根市もその点はまだまだ考える余地があると思った管理人でした。