●今日の一枚 75●
Keiko Lee
A Letter From Rome
ケイコ・リーの『ローマからの手紙』。2000年作品である。このピアノ引き語りアルバムが、当時人気が出始めた綾戸千絵に対抗して録音されたものであることは明らかだろう。
今では人気沸騰の綾戸千絵だが、思い起こせば、私は割りに早い段階から綾戸を知っていた。当時いきつけのCD屋の店員さんから「面白い作品が出ましたよ」と綾戸を紹介され、聴いてみたのが最初だった。いかにも「しっとり」とした雰囲気でしか歌うことのできない多くの日本のジャズシンガーの中にあって、ゴスペルの要素を盛り込み、時にシャウトしながら力強く歌う、ブルースのフィーリング溢れる綾戸のボーカルは異彩を放っているように思えた。以来、綾戸に注目するようになり、発売されたCDを続けざまに買った程だ。For All We Know (1998/06/21)、Your Songs (1998/11/21)、Life (1999/05/21)、Friends (1999/10/21)、Love (2000/04/21) の5枚がそれだ。特に、Lifeは素晴らしい作品だと思う。日本のジャズ・シンガーの作品としては質の高いものだと今でも思っている。たとえ、Swing Journal 誌が意図的に評価しなくてもである。
綾戸千絵がきっかけで、それまであまり聴いたことのなかった他の日本人シンガーの作品も聴いてみようと思い、購入したのがこの『ローマからの手紙』である。ケイコ・リーは若手No.1の実力派として有名だったのだ。ところが、ピアノの弾き語りというスタイルといい、収録曲といい、このアルバムが一連の綾戸千絵のアルバムを(特にLifeを)意識したものであることは明らかだった。綾戸のアルバムに収録されている曲が多く取り上げられ、綾戸との違いがはっきりわかるように制作されている。
結論からいえば、私には明らかにケイコ・リーの勝ちのように思えた。歌の解釈が全然違うのだ。綾戸のボーカルは、ここでこう歌うのだろうなと予想したとおりに歌われる。強く激しく歌うのだろうと思うところでそのように歌い、シャウトするだろうなと思ったところでシャウトするのだ。その意味で期待を裏切らない歌唱だ。ところが、ケイコ・リーの歌唱はこちらが予想もしなかったように曲を料理して、このような解釈もあるのかとうならせる。しかも、それが一層曲を際立たせ、良さを引き出すような料理の仕方なのだ。綾戸のように唸り、シャウトするようなソウルは感じないが、太く低い声質で十分な声量があり、歌う技術がある。このアルバムを聴いて以来、私の中で綾戸が急速に翳っていった。綾戸のソウルは認めつつも、その歌唱を凡庸なものだと考えるようになってしまったのだ。
結果的に私は、それ以来綾戸をほとんど聴かなくなってしまった。ケイコ・リーの戦略にまんまとのせられたわけである。先日、私の住む街に綾戸がやってきたが、私はコンサートに行かなかった。今でも時々聴くのはLife のみである(YOZORA NO NUKOU は好きだ)。
ケイコ・リー『ローマからの手紙』の中には、日本のジャズ・ボーカルの女王の座をめぐる女の戦いがあったのだ。