WATERCOLORS ~非哲学的断章~

ジャズ・ロック・時評・追憶

ズート・シムズのイフ・アイム・ラッキー

2006年10月08日 | 今日の一枚(Y-Z)

●今日の一枚 65●

Zoot Sims Meets Jimmy Rowles    

If I'm Lucky

Scan10014_4  私の持っている盤は輸入盤でオリジナルのものとは少し違う。新しいのを購入しようかとも考えたこともあるが、いまのところ満足しているのでこのままでよい。

 結構多く所有しているズートのアルバムの中でも好きな作品である。ズートはもともと駄作のない男だが、このアルバムは全体的に落ち着いた(地に足の着いた)雰囲気があるので、特に安心してしかもリラックスして聴ける。

 後藤雅洋さんはその著書『新ジャズの名演・名盤』(講談社現代新書)の中で、「ズートは大好きなプレイヤーなのだけれど、聴いていて気持ちがよいだけみたいなところがちょっと不満の種でもあった。そんな僕の気持ちを見透かすように、さりげなく出たこのアルバムで、僕のズート熱は再燃した。音にしみじみとした味わい、場合によっては、翳りや愁いの気分といってよいようなものまで漂わせているのだ。特に、アナログ盤B面「ユー・アー・エブリシング」以下のトラックは何度繰り返し聴いたことか。『肩の力を抜いた好演』というようなセリフはよく聴くが、それが本当の名演にまでなっている数少ない例がこれである。」と語っているが、自分の本当に好きな作品をこのように評価している人がいるということは、本当にうれしいものである。

 しかし一方、異なる評価もあるようで、例えばかの村上春樹さんは、自身が訳したビル・クロウ著『さよならバードランド』(新潮文庫)の巻末の「私的レコード・ガイド」の中で、このアルバムについて、「パプロ時代のズートは健康を害していたためかどうかは知らないけれど、目に見えて老け込んで、演奏に微妙なしまりを欠くようになってしまった。音色はいいのに、音がすっと前にでてこない。昔はホームランになったはずの打球が、塀の手前で落ちるという感じだ。そこに質のいい寝言みたいなロウルズのピアノが絡んでくるわけで、正直なところこれはちょっときつい。枯淡の味わいと呼んで呼べなくはないだろうけれど、僕はあえて呼ばない。」と書いている。

 なるほど、そういう見方もあるものかと思ったが、私はやはりズートの中では好きな作品である。


BOSEはちょっとひどい!

2006年10月08日 | つまらない雑談

先日、ボーズ社より上(左)のような文書とCDが送られてきた。Wave Music System のプログラムに不具合があるので、そのCDによって修正プログラムをインストールしてほしいとのことだった。まあいい、それで不具合が直るならいいではないか。

 ところで、数年前に購入したWest Borough SYSTEM ONE EX-Ⅲ (WBS-1EXⅢ)である。雑誌の宣伝に反して低音が足りないとかいくつかの不満がありつつも、スピーカー125はボーカルについてはなかなかよく鳴らし、サブスピーカーとして結構気に入っていた。ところが、レシーバーのPLS-1510が、ときどき再生中に止まってしまったり、CDによって再生不能に陥ったり、また異常な機械的な音がしたりで、これは不良品に違いないと思っていた。

 上記の手紙が送られてきて、もしかしたらこれもプログラムの不具合かも知れないと思い、しばらくぶりにBOSE社のホームページを見てみたら、何と、件のWest Borough SYSTEM ONE EX-Ⅲが生産中止になっているではないか。嘘だろう、つい最近まで盛んに宣伝していたではないか。事実、手元にあるSwing Journal (2006-6月号) までは裏表紙一面に広告がある。突然の生産中止、なぜ……。

 不安になり、ウェブで同製品の不具合について検索してみると、何と私と同じような不具合を指摘している人がいるではないか。これは製品自体の設計ミスだったのではないか。もしそうであるなら、何の改善措置も救済措置もなく、人知れず生産中止とはひどいではないか。BOSE程の大きなメーカーが経済倫理に反するではないか。

 大した高価な製品ではないが、私はこのまま引き下がれない。

Scan10012_10

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 ↓Wave Music System に関する送られてきた文書↓

「BOSE.PDF」をダウンロード


ビーチ・ボーイズのペット・サウンズ

2006年10月08日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 64●

The Beach Boys     Pet Sounds

Scan10007_17  ⑧ God only Knows と⑬ Caroline No をはじめて聴いた時の、胸がしめつけられるような狂おしい感動を今も覚えている。それまで経験したことがないような種類の感動だった。今でもときどき再生トレイにのせると、まるで18歳の若者のように、心が尋常ならざる振るえをおぼえることもある。私の人生に『ペット・サウンズ』があって本当良かったと思う。

 ロック史上最高の名盤ともいわれる作品だが、当初から評価が高かったわけではない。そもそもビーチ・ボーイズは、サーフィンとクルマと女の子を歌う風俗グループとして認識されていたのだ。天才ブライアン・ウィルソンが精神的錯乱の中で生み出した音楽に対して、当初は熱狂的なファンでさえ戸惑いを隠せず、メンバーさえも最初に聴いたときには当惑し、マイク・ラヴが「一体こんなものを誰が聴くんだ。犬か。」といったという話は有名だ。

 この作品について、何かを語りたいと思いこの文章を書き始めたが、だめだ。あまりにも多くの語るべきことがあるような気がしてうまくまとまらない。作品の成り立ちについては、山下達郎によるライナーノーツがほぼ語りつくしている。この作品に対する熱い想いを胸に秘めつつ、抑制された筆致で記された感動的な文章だ。渋谷陽一選『ロック読本』(福武文庫)にも収録されているので、一読をお勧めする。

 山下達郎氏はその文章を次のようにしめくくっている。

「……だがしかし、それを考慮にいれてさえなお、『ペット・サウンズ』は語り継がれるべき作品である。何故ならこのアルバムは、たった一人の人間の情念のおもむくままに作られたものであるが故に、商業音楽にとって本来不可避とされている、『最新』あるいは『流行』という名で呼ばれるところの、新たな、『最新』や『流行』にとって替わられる為だけに存在する、そのような時代性への義務、おもねり、媚びといった呪縛の一切から真に逃れ得た、稀有な一枚だからである。このアルバムの中には「時代性」はおろか、『ロックン・ロール』というような『カテゴリー』さえ存在しない。   にもかかわらず、こうした『超然』とした音楽にありがちな、聴くものを突き放す排他的な匂いが、このアルバムからは全く感じられない。これこそが『ペット・サウンズ』最も優れた点と言えるのだ。『ペット・サウンズ』のような響きを持ったアルバムは、あらゆる点でこれ一枚きりであり、このような響きは今後も決して現れる事はない。それ故にこのアルバムは異端であり、故に悲しい程美しい。」


ビル・エヴァンスとジム・ホールのアンダーカレント

2006年10月07日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 63●

Bill Evans & Jim Hall     Undercurrent

Scan10021  ビル・エヴァンスとジム・ホールの『アンダーカレント』。究極のデュオ作といわれる作品だ。Swing Journal 誌(2006-6)によると、現在でも驚くほどの販売実績をあげているベストセラー盤なのだそうだ。同誌によると、95年発売のプラスチックケース普及盤は累計5万枚の売り上げを記録しており、これは東芝EMIからリリースされている50~60年代のブルーノート、パシフィック・ジャス等のカタログにあってチェット・ベイカーの『チェット・ベイカー・シングス』についで第2位だということだ。

 私にとっても究極といっていいほどのフェイバリット盤である。これまでに何度再生装置のトレイにのせたことだろう。聴くたびに感動のある作品だ。そもそも、私はデュオ作品が好きだ。アート・ペッパー&ジョージ・ケイブルスやスタン・ゲッツ&ケニー・バロンなどの名作をあげるまでもなく、プレイヤー同士の緊密な駆け引きがよりシンプルな形でびんびん伝わってくる。

 ところで、この作品がJazz ジャーナリズムで取り上げられる際、決まって注目されるのは① My Funny Valentine だ。斬新な解釈による特筆すべき演奏であることに異存はない。しかし、私がこの作品をしばしば再生トレイに載せる理由はこの曲のためではない。例えばかの寺島靖国さんは『辛口JAZZ名盤1001』(講談社+α文庫)の中で③ Dream Gypsy を推し次のようにいっている。

「『マイ・ファニー・ヴァレンタイン』を速いテンポで演奏した最悪のセンス。この曲の好きなビギナーは聴くべからす。せっかくのジャズがきらいになる。この曲に飽きた人が聴く演奏だ。聴くべきは『ドリーム・ジプシー』。ジャズってこんな感傷的な音楽なの、とますますのめり込むだろう。僕は聴くたびに夢うつつ。曲というより調べだ。」

 My Funny Valentine の演奏が最悪のセンスだとは思わない。むしろ、何かぞくぞくしてかっこいい演奏である。ただ、繰り返しこのCDを聴くのは、他に心にしみる曲たちがたくさん収められているからだ。寺島氏の推すDream Gypsy ももちろんそのひとつだ。まったく寺島氏の言のとおり「調べ」だと思う。私が最も気に入っているのは④ Romain 。ジム・ホールのギターが素晴らしい。特にギターソロからストローク演奏へ移行するところは聴くたびに新鮮でぞくぞくするスリルに満ちている。そもそも私はこの作品を聴いてジム・ホールの熱狂的なファンとなったのだ。

 話は変わるが、私の持っている盤は何故かジャケットが青っぽい。20年程前に中古で買った時からそうだった。もともとそういう盤が発売されていたのか、変色したものなのかはわからない。最近、廉価で高音質(?)のやつがでているようだ。新しい盤を買ってみようかと考えている。これからも何度も再生トレイにのせるであろうから……。


スウィート・ジャズ・トリオ”ライブ”

2006年10月06日 | 今日の一枚(S-T)

●今日の一枚 62●

SWeet Jazz Trio     "Live"

Scan10020_1   今夜は嵐だ。この嵐が終わればいよいよ秋めいてくるのだろう。

 ここ数年、秋によく聴くアルバムがある。Sweet Jazz Trio の"Live"である。Sweet Jazz Trioは、コルネット、ベース、ギターという編成のトリオだ。この編成がなかなかいい。ドラムがないことによって、サウンドがスムーズに流れ、柔らかで温かいニュアンスをかもし出している。これからだんだん寒くなっていく秋という季節にうってつけのアルバムのような気がする。温かいココアやコーヒーを飲みながら聴きたい。というわけで、わたしもビールをやめて、温かいコーヒーを飲みながら聴くことにした。近所のコーヒー店で買ったモカ・イディドだ。うまい。香りも良い。

 「温かくて優しくてせつなくてお洒落」……。帯の宣伝文句がよく作品を表している。ソフト&メロウなサウンドだが、耳ざわりが良いだけのいわゆる「きれい系ジャズ」ではなく、一本しっかりとした芯が通っている。これからはじまる秋の夜長を今年も共に過ごすことになりそうだ。


デイヴィッド・サンボーンのインサイド

2006年10月04日 | 今日の一枚(C-D)

●今日の一枚 61●

David Sanborn   Inside

Scan10018_1   デイヴィッド・サンボーンが特に好きなわけではない。1990年のLive Under The Sky In 仙台で生で見たこともあるのだが、ただ暑苦しく吹いているだけという印象で好きになることはなかった(このコンサートでサンボーンの前に登場したパット・メセニー・グループは最高だった)。

 それではなぜこのCDを買ったのか。それは帯に書かれていた「心の深遠に届くブロウ」ということばに惹かれたからだ。恥ずかしいがこういうのに弱いのだ。ジャケットがまたいい。「心の深遠に届くブロウ」をイメージさせるに十分な写真である。何気なく入ったCDショップの棚で見つけ、その言葉と写真を見て買ってしまったのだ。しかし、デイヴィッド・サンボーンに興味があったわけではなかったので、買ったCDは再生トレイにのることなく私の書斎の片隅に置き去りにされた。数ヵ月後、そんなことをすっかり忘れてしまった私は、違うCDショップで再びこの作品を見つけ(当時は発売されたばかりで目につきやすいところにあったのだ)、やはり帯の言葉とジャケットの写真によって買ってしまった。だから私は、この『インサイド』という作品を2枚もっている。家に帰り、同じ作品を買ってしまったことに気づいたときのショックは大きかった。特に聴いてみたいわけでもないCDに、2倍のお金を使ってしまったのだ。もとをとるために聴いてみることにした。

 結構いい。なかなかいいではないか。この作品は、サンボーンがマーカス・ミラー、マイケル・ブレッカー、ウォレス・ルーニー、ビル・フリーセル、カッサンドラ・ウィルソン、スティングなどの豪華メンバーを迎えて創りあげたもので、バックの安定した演奏に支えられて、サンボーンは都会の孤独を感じさせる哀愁の旋律を吹きまくる。かつてコンサートでみた時のような暑苦しいブロー一辺倒のサンボーンではなく、もっと内向的な演奏だ。タイトルの『インサイド』もきっとそういう意味なのだろう。バックもなかなかいい。マーカス・ミラーのベースがややでしゃばりすぎの感があるものの、全体的には抑制された節度ある演奏だ。以来、このCDはときどき再生トレイにのるようになった。

 世界が寝静まった深夜、私はときどきこのCDをアンプのボリュームをしぼって聴く。音は小さくとも、ベースは重く響き、サックスはしっかりと哀愁の旋律を鳴らす。


バルネ・ウィランのエッセンシャル・バラード

2006年10月03日 | 今日の一枚(A-B)

●今日の一枚 60●

Barney Wilen     Essential Ballads

Scan10015_3  晩年のバルネ・ウィランは素敵だ。もちろん、初期のいかにもハード・バップという感じの演奏だって悪くはない。けれど、バルネが誰にも真似のできないオリジナリティーのある演奏を聴かせてくれたのは1986年にカムバックした後ではなかったか。私はそう確信している。バルネのオリジナリティーって何だろう。私は、音の「表情」ではないかと思っている。バルネほど表情豊かな音を吹くサキソホン奏者を私は知らない。時に優しく、時に悲しく、時に楽しげに、そして時に孤独に、バルネのサックスの音はその曲に応じて表情を変える。しかも、そこで紡がれる旋律は歌心豊かでアドリブ自体がまるでひとつの美しい曲のようである。特にバラード演奏における晩年のバルネは特筆すべきである。というわけで、私のレコード・CDコレクションも晩年のバルネに集中している。この時期の他のアルバムをこのブログで話題にすることもあるかもしれない。

 この『エッセンシャル・バラード』は、日本のレーベル、アルファ・ジャズが1992年にパリで録音したものである。高名な評論家寺島靖国さんはその著書『辛口JAZZ名盤1001』の中でこの作品について次のように評している。

 「これ以上遅くできないスピードで『レディ・ビー・グッド』が演奏されている。このテンポの選択が本盤を名盤たらしめたと断言したい。テナーの悠々のバラッド奏法を、超低速、しかし重低音でベースが押していく快感は、言葉に尽くせない。いけないのはシンセ。余計だ。これほど激しくベースが隙間を埋めているというのに。」

 ちょっと違いますね、確かにこの曲あるいはこのアルバムにおけるグーんと沈み込むようなベースの音は快感だが、この曲あるいはアルバム全体を落ち着いた雰囲気にしているのはまぎれもなくシンセだ。私はそう思う。

 私のベストトラックは⑩ いそしぎ(The Shadow Of Your Smile)だ。


デモに参加してみました

2006年10月01日 | つまらない雑談

Scan10014_5   昨日、デモに参加して来ました。憲法改正反対・教育基本法改正反対のデモです。

 これまで政治や社会に対して一定の意見はもっているつもりでしたが、どちらかというと批評家的で現実からは距離をおいてきました。実際、きちんと思考しようとすれば、結論を留保せざるを得ない問題はたくさんあるものです。

 しかし、アフガン戦争・イラク戦争あたりから急激に変化する世界にとまどいながらも、自分自身ある年齢に達しとたこともあり、世界に対する態度を明確にせねば、と考えていたところでした。

 過日の安倍極右政権成立によって、「日本国憲法」及び「教育基本法」が現実的な危機にさらされることとなり、態度の明確化にせまられたわけです。安倍晋三政権は保守政権などではありません。はっきり、極右政権というべきでしょう。これまでの安倍氏の主張をみると、ヨーロッパで言えばネオナチといわれても仕方がないのではないかと思うのです。そのような人物が内閣総理大臣になってしまったのです。もしかしたら将来、日本史年表に「2006年、安倍極右政権成立」という項目が掲載されるかも知れません。

 私は、いくつかの問題を指摘しながらも、立場としては「護憲」の側につきたいと考えています。デモ行進というそれ自体「ダサい」行為に参加したのは、そういった自分の立場を表明するためのささやかな行動です。どのような運動も大同団結(「小異を捨てて大同につく」)のもとにおこなわれるのであり、その過程で微妙な主張の差異やデリケートなディテールが切り捨てられるものです。そのこと自体は非常に不愉快なものであり、思想の瑞々しさがスポイルされてしまうことも多いと考えています。にもかかわらず、行動の必要性を感じるのは、それだけ事態か切迫していると感じるからです。多分に自己満足的ではありますが、あの時行動しなかったという後悔はしたくないわけです。

 知人に会ったりしてちょっと恥ずかしい面もありましたが、街の中を大きな声をだしながら歩くというのもなかなか面白い経験であり、気持ちのいいものでした。

 「日本国憲法」「教育基本法」の問題は、党派を超えた市民運動であるべきだと思います。ブロガーのみなさんもたまには、外でデモ行進に参加してみてはいかがでしょうか。