王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

昭和天皇 A級合祀に不快感

2006-07-21 06:29:03 | 靖国関連
昭和天皇、合祀に不快感 靖国のA級戦犯に触れ (共同通信) - goo ニュース

20日の朝 みのさんの朝ズバを見たら当時の宮内庁長官が残したメモが見つかり日経特種となった話をしていた

仕事場についてパソコンを覗くと記事になっている 爺の知識と技術では日経新聞の記事をこのブログにリンクする事が出来ないので使える記事で日経に失礼する 
以下は共同通信の引用
昭和天皇が1988年、靖国神社のA級戦犯合祀(ごうし)に不快感を示す発言をしていたとする当時の宮内庁長官、富田朝彦氏(故人)が書き残したメモがあることが関係者の話で20日、分かった。日本経済新聞が同日付朝刊で報じた。昭和天皇は1978年にA級戦犯が合祀されて以降、同神社に参拝していない。メモは、明確になっていないその意図を探る貴重な資料であるとともに、小泉純一郎首相の靖国参拝にも影響を与えそうだ。

関係者によると、富田氏は同庁次長時代を含め、昭和天皇との会話を手帳などに書き留めていた。靖国発言のメモは88年4月28日付。昭和天皇は「私は或(あ)る時に、A級が合祀され、その上、松岡、白取までもが」「だから私あれ以来参拝していない。それが私の心だ」などと語ったと記されている

爺の感想は次の通り
その1:大東亜戦争は本来憲法上無答責である昭和天皇の政治的英断により無条件降伏を見た
その2:天皇の輔弼の臣であるA級戦犯(これ以外にも大勢いるが極東軍事裁判の範囲で妥協しても良い)は自ら天皇と国民に責任取る事無く刑死した
その3:戦後厚生省に入った旧陸軍の佐官と靖国神社が憲法の規定も法律も無視、或いは法の趣旨を曲げ遺族年金法改正のドサクサに戦死者名簿を靖国神社に送りつけ、名簿に基づき祭神名票(これが神と祀られる原簿)を作り戦死で無いのに祀ってしまった これに味を占め軍人ではBC級戦犯、ついでA級戦犯まで神と祀ってしまった 戦前は神と祀るのは戦死者のみ そして祭神命票は天皇の「裁可」を仰ぎ決定した 簡単に言えば天皇陛下が宜しいとしなければ決められない事項であった
その4:戦後先帝昭和天皇は戦争責任を負われ政治の場から身を引かれた しかしというか正に神に対し祈りを捧げる権能はお持ちのままと考えるのが妥当でないか
「天皇の大権である祭神名票の裁可」を無視し靖国神社の一宮司が執り行う事など僭越、僭上の極みであろう
一部作家や弁護士の中で極東軍事裁判やサンフランシスコ講和条約を物凄く幅の狭い範囲で読み解いてそれらの無効を声高に主張する人々がいる その人達に聞きたい 天皇陛下は「祭神名票の裁可権」をお持ちでないのかと しかしこういう議論に天皇の名を持ち出す事が「政治利用」となるといけないのでこの話はこれでやめておく

そこで爺としては「昭和天皇がA級戦犯の合祀に不快感をお持ちになり、合祀を機会にご親拝をしていない」とはよくよく腑に落ちる

資料としての真贋、何故今出たのか、誰の意図か等 右左両側から意見は出よう
「靖国問題」は本来国内問題であるのだからこれを機に大いに議論しましょう
爺の基本的立場は「靖国神社が遊就館で行う大東亜戦争は聖戦であるとの主張に強く反対します」「大東亜戦争が開始された事については当時の政府首脳には戦争責任がある」と思っています 御用とお急ぎで無い方はエントリー「靖国関連」をのぞいて見てください
コメント (22)
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