首相の靖国参拝、継続を…自民中堅・若手が提言 (読売新聞) - goo ニュース
読売新聞の報道によれば自民党の中堅・若手議員約130人が歴代総理は継続して靖国神社を参拝するよう求めたとある
政治の目的は「国民の生活が50年100年にわたって安全平穏であり実り豊かなである様国のあり方の大綱を決める事」としてこの人たちをどう評価したら良いであろうか?
自民党衆参両院の数は408人前後 中堅・若手が1/3として136-140人
と言う事は殆どが後継総理の靖国参拝を求めている事になる
以下はコピペ
日本外交は、満州事変、支那事変、第二次世界大戦というように幾多の失敗を重ねてきたが、今こそこのような失敗のたどってきたところを調べ、後世の参考に供すべきものと思う.(吉田茂)
当時の情勢の下においては、それがなしうる最善の事であった.それ以外には道がなかったという弁明も成り立つ場合もあろう. しかし結果からすれば、この期間における日本の対外策は、大局的にいって、作為又は不作為による過誤の連続であったということにならざるをえない(日本外交の過誤)
明治開国以降の日本国の政治的判断と決断が日本民族日本国という単位でおこなわれたのでは無く、行政・政権担当者の立場で行われていたのである.
日本民族の長い歴史から見れば大日本帝国というのは僅か80年の過誤にすぎない
『前フランス大使の小倉和夫は「吉田茂の自問」の終章の中で次に様に書いている. 三つの誤った判断(要点)
第一に中国大陸におけるナショナリズムの高揚とその歴史的意味に対する理解が不足し、徒らに中国の反日、抗日、侮日ばかりを問題にする方向に走っていたことである.何故大日本帝国の指導者たちは、同じアジアの中国民族の独立と領土保全、経済発展への願望を軽く扱い、支持するどころか逆にこれを抑圧しようとばかり焦っていたのであろうか. 第二、情勢判断の上で大きな誤りは、欧州におけるファシストグループと民主勢力との間の争いにおいて、民主勢力がやぶれると状勢判断を下していた事である. 第三、アメリカの政治、外交政策の方向についての判断の誤りである.排日移民法に象徴されるように、日本を「敵」とみなし、異質の侵入者とみなす人々の心情が、知らず知らずのうちに日本に対して懲罰的あるいは道徳的アプローチをとる方向を強め、現実的な利害調整に米国が乗ってこないことについて、日本側に深い洞察力がなかったことが、日米交渉を当初から「呪われた交渉」にしてしまった一因である.判断の誤りは「選択」の誤りを生む.国際連盟からの脱退、軍縮条約の廃棄、三国同盟の締結(中略). 何故日本は追い込まれて行ったのか. それは外交政策の与件とも云うべき国際環境と国内世論(及び国民感情)が、外交の選択の幅を狭めていたからである.(筆者注・日本の新聞が事実の報道の枠を越えて一部暴走者の政策の煽り行為を絶えずおこなって居た.)理念無き外交、それは、とどのつまり、外交当局に真の理念がなく、また、それを実行しうる実力もなかったかもである.』
過誤の反省の原点『かりに、あの際日本が隠忍自重して、戦争にはいっていなかったと仮定したら、どうだろうか.戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、鉄くずも足りない,ジリ貧だということになる.戦争さえしなければ、生きてゆくに不足はなかったはずである』過誤の原点これら全ての日本外交の過誤のお国あったものは、軍部の独走であり、それを抑えられなかった軍の指導部、外交当局、そして政党政治もちからの欠如である.二十一世紀の日本国家像を画くことは、再び明治以来の140年の失敗を繰り返してはならない事は勿論である.植田一信レポートより冒頭引用)
自民党の中堅・若手議員約130人の諸氏は国を誤らぬ様よくよく考えて行動して欲しい
選挙落ちたらただの人では困る 政治は在野でも出来るのである
読売新聞の報道によれば自民党の中堅・若手議員約130人が歴代総理は継続して靖国神社を参拝するよう求めたとある
政治の目的は「国民の生活が50年100年にわたって安全平穏であり実り豊かなである様国のあり方の大綱を決める事」としてこの人たちをどう評価したら良いであろうか?
自民党衆参両院の数は408人前後 中堅・若手が1/3として136-140人
と言う事は殆どが後継総理の靖国参拝を求めている事になる
以下はコピペ
日本外交は、満州事変、支那事変、第二次世界大戦というように幾多の失敗を重ねてきたが、今こそこのような失敗のたどってきたところを調べ、後世の参考に供すべきものと思う.(吉田茂)
当時の情勢の下においては、それがなしうる最善の事であった.それ以外には道がなかったという弁明も成り立つ場合もあろう. しかし結果からすれば、この期間における日本の対外策は、大局的にいって、作為又は不作為による過誤の連続であったということにならざるをえない(日本外交の過誤)
明治開国以降の日本国の政治的判断と決断が日本民族日本国という単位でおこなわれたのでは無く、行政・政権担当者の立場で行われていたのである.
日本民族の長い歴史から見れば大日本帝国というのは僅か80年の過誤にすぎない
『前フランス大使の小倉和夫は「吉田茂の自問」の終章の中で次に様に書いている. 三つの誤った判断(要点)
第一に中国大陸におけるナショナリズムの高揚とその歴史的意味に対する理解が不足し、徒らに中国の反日、抗日、侮日ばかりを問題にする方向に走っていたことである.何故大日本帝国の指導者たちは、同じアジアの中国民族の独立と領土保全、経済発展への願望を軽く扱い、支持するどころか逆にこれを抑圧しようとばかり焦っていたのであろうか. 第二、情勢判断の上で大きな誤りは、欧州におけるファシストグループと民主勢力との間の争いにおいて、民主勢力がやぶれると状勢判断を下していた事である. 第三、アメリカの政治、外交政策の方向についての判断の誤りである.排日移民法に象徴されるように、日本を「敵」とみなし、異質の侵入者とみなす人々の心情が、知らず知らずのうちに日本に対して懲罰的あるいは道徳的アプローチをとる方向を強め、現実的な利害調整に米国が乗ってこないことについて、日本側に深い洞察力がなかったことが、日米交渉を当初から「呪われた交渉」にしてしまった一因である.判断の誤りは「選択」の誤りを生む.国際連盟からの脱退、軍縮条約の廃棄、三国同盟の締結(中略). 何故日本は追い込まれて行ったのか. それは外交政策の与件とも云うべき国際環境と国内世論(及び国民感情)が、外交の選択の幅を狭めていたからである.(筆者注・日本の新聞が事実の報道の枠を越えて一部暴走者の政策の煽り行為を絶えずおこなって居た.)理念無き外交、それは、とどのつまり、外交当局に真の理念がなく、また、それを実行しうる実力もなかったかもである.』
過誤の反省の原点『かりに、あの際日本が隠忍自重して、戦争にはいっていなかったと仮定したら、どうだろうか.戦争を前提とするからこそ、石油も足りない、鉄くずも足りない,ジリ貧だということになる.戦争さえしなければ、生きてゆくに不足はなかったはずである』過誤の原点これら全ての日本外交の過誤のお国あったものは、軍部の独走であり、それを抑えられなかった軍の指導部、外交当局、そして政党政治もちからの欠如である.二十一世紀の日本国家像を画くことは、再び明治以来の140年の失敗を繰り返してはならない事は勿論である.植田一信レポートより冒頭引用)
自民党の中堅・若手議員約130人の諸氏は国を誤らぬ様よくよく考えて行動して欲しい
選挙落ちたらただの人では困る 政治は在野でも出来るのである