王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

「日本人と中国人」を読んで

2006-08-24 13:07:41 | 中国関連
今年の正月に小泉総理が靖国神社を参拝 年初から是非を巡って侃々諤々であった

関連書籍を図書館から借りる中で「日本人と中国人」の購読申し込みをしたが40人近く待っている状態でそれがついに昨日手に入った

イザヤ・ベンダサン著、山本七平訳  内容は[文芸春秋]に昭和47年より49年にかけ連続的に連載され、平成8年に[山本七平ライブラリー13巻《日本人と中国人》に収録されたものを平成17年に単行本化したもの]と前書きにある

さらに祥伝者出版部の[読者のみなさんへ]が内容の要約をしてくれている
今を遡ること33年前、1972年に執筆が開始されたものです この年は、日中両国が歴史的な国交回復を遂げ、日本中が朝野をあげて沸きかえっていました その一方で、台湾との間で締結された日華平和条約は、一方的に破棄されたのです 本稿の執筆が開始されたのはまさにそうしたときでした
[条約より市民感情が優先される]、このようなことがあっていいのか そうした疑問と憤りに似た気持ちが、著者を本稿の執筆へと駆り立てたことは、疑いのないところです もちろん、ここで著者が言いたいことは国交回復の是非ではなく、こうした折に顔をのぞかせる、一時的な感情にあまりに支配されることの多い日本人の特性(この場合は明らかに欠点)についてでした 中略
日本がこれまで中国とまともに付き合ってこられなかった理由は何なのか、今後はどうしたらいいのか これまでの歴史的経緯を検証し、日本の側から問題点を追及しようとしたのが本稿です 後略

イザヤ・ベンダサンのユダヤのたとえ話など60有余年純粋日本人をやってきた爺には分かり辛い表現がある これは若いころ同氏の書く[ユダヤ人と日本人]を読んだ印象に同じ

しかし第一章の[トラウトマン和平工作]の失敗に言及している所に衝撃を受けた
駐支ドイツ大使トラウトマンの斡旋で[1.満州国の承認2.日支望郷協定の締結3.排日行為の廃止]を蒋介石にほぼ飲ませた 
トラウトマンは昭和12年11月6日、行政院長孔祥煕と会見しほぼこの線で事変は収束するとの確信を持った この際3条件は日本側の出したもので、相手が呑みさえすれば日本軍は平和裏に撤退するという事を第三国を保証人に立て申し入れたとう事である

中国政府は12月2日、トラウトマン大使に[日本案受諾][同条件を基とした和平会議の開催]を申し入れてきた 12月8日広田外相が中国による日本案受け入れを上奏している

しかし現地では12月8日南京城包囲、9日開城勧告 10日攻撃 と後日南京大虐殺と非難される戦闘行為へとつながっていく

ベンダサンはこれを[日本の要求が100%ベースで認められたのに戦闘を中止しなかったのはひとえに日本人の感情であろう]と指摘する [これまで2万人の英霊に対し敵の首都を目の前に戦闘を中止するなど許さない]とする国民の声なのであろう

ベンダサンの主張に[和平交渉の申し入れに過ぎない つまりファイナル アンサーを求めたものでない]との意見もある

しかし以降の交渉は一切成立しなかった そうであろう 自国の出した和平案を相手が丸呑みしたのに攻撃を続ける相手(日本)とは信用がなくなり交渉が出来なくなったのである 
歴史にもしはないが我々がその遺伝子を受け継いでいるのであるから恐ろしいことである

今ではベンダサンは山本氏と同一であることがわかっている 外国人に扮し自説を主張することの危うさ また例証の誤りなど[ユダヤ人と日本人]の頃から議論はあるが日本人でない人(相手国)がある事実をみたらいかに思うかを知ることは交渉の常識であろう 貴重な指摘であった 爺はその後山本七平氏の名前で出ている著作がわかりやすくて好きだ

コメント
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