王様の耳はロバの耳

横浜在住の偏屈爺が世の出来事、時折の事件、日々の話、読書や映画等に感想をもらし心の憂さを晴らす場所です

M8.8 巨大地震 東北、関東を襲う 

2011-03-11 23:04:02 | 東日本大震災
東北、関東で巨大地震=M8.8、死者69人―福島原発、放射能漏れの恐れ(時事通信) - goo ニュース

今日横浜の南区で店番していたら午後3時一寸前に大きな地震がありました。
その瞬間電気が消えてTVが写らなくなりました。
最初の揺れでは間もなく収まるかと思っていたらとても普通の揺れでないないと分かり窓を開けて外へ出ようかと思いました。
でも外を見ると電線が波を打ってバシバシ音を立てています。出ようかどうするかと考えていると近所の方も外に出て騒いでいます。
さらに揺れたら通りに出ようと思いましたがピークは過ぎたようです。
でも掃きだし窓を開け放して逃げ出す用意を整えました。
帽子を被りましたが電線や落下物を考えるとヘルメットが要りますね。

携帯ラジオを点け停電に備えてロウソクを出して日暮れに備えました。
電気は10時過ぎまで復旧せずロウソクが役立ちましたが防災放送ではロウソクは使わぬようにと何度か注意をしてました。火災を防ぐためでしょうね。でも携帯ラジオは一度乾電池が切れました。懐中電灯も点け放しでは電池切れですもんね。
そこでしっかり着込んで(エアコンが駄目だから)窓辺でラジオを聴きながら横になっていました。

10時過ぎに電気回復。TVを点けると仙台では数百人規模で死者とか福島の原発が冷却装置に問題発生とか千葉や仙台では貯油タンクが延焼中だとか。
首都圏では帰宅できない方が万人単位で居るようです。
よく考えると関東大震災を上回る地震の様です。
明日になるともっと酷い状態が分かって来るのでないかと心配です。
原発による2時災害など起きない事を願っています。


時事通信:
気象庁によると、11日午後2時46分、三陸沖を震源とする地震が起き、宮城県北部で震度7を観測した。マグニチュード(M)は観測史上過去最大の8.8(暫定値)を記録。同3時15分にもM7.4の余震があり、茨城県南部などで震度6弱を観測した。同庁は北海道から徳島県までの太平洋岸に大津波警報を発令、仙台新港に高さ10メートルの津波が到来したほか、同50分に福島県相馬市で同7.3メートル、同4時52分には茨城県大洗町で同4・2メートルの津波を確認するなど、北海道から沖縄県まで広い範囲に津波が押し寄せた。午後10時現在、確認された死者は69人に上っている。

 同庁は岩手県から茨城県に至る南北400キロ、東西200キロの断層帯が破壊された可能性が高いことを明らかにした。

 福島県によると、自動停止した福島第1原発2号機の原子炉内の水位が低下。このまま低下し続けると、燃料棒が露出して放射能が漏れる可能性があるとして、国は原子力災害対策特措法に基づき、同原発半径3キロ以内の大熊町と双葉町の住民に避難指示を出した。

 各県や県警によると、岩手県や宮城県などの沿岸部を津波が襲い、多数の漁船や家屋が押し流された。岩手県山田町で死者が多数出ているほか、同県大船渡市で建物300棟以上が崩壊・流失した。同県では久慈市の漁港などで計33人、宮城県でも石巻市などで8人の死亡が確認された。

 茨城県では家屋倒壊などで80歳と86歳の女性2人を含む計5人が死亡。千葉県では野田市の男性(67)と習志野市の男性(96)ら4人、栃木県芳賀町のホンダの関連会社研究所では男性社員(43)が建物の一部倒壊で、それぞれ死亡した。福島県では須賀川市などで12人が死亡、相馬市の海岸沿いや白河市で土砂崩れが起き、不明者が多数出ている。東京都で3人、神奈川県2人、群馬県でも1人が死亡した。(引用終わり) 

コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

コント55号の坂上二郎さん 逝去

2011-03-11 08:17:55 | 芸能
坂上二郎さん死去=コント55号で一時代築く(時事通信) - goo ニュース

昨日10日「コント55号」のコンビの一人坂上二郎さんが亡くなりました。
76歳だそうで浜爺が思ったよりずっとお若い最後でした。

テンポの速いコメディーで浜爺も若い頃から好きでしたよ。
こんと55号の出来たのが66年頃だそうですから結婚前で子どもと一緒に見ていたわけ出ないのです。それで面白かった事だけ思い出します。
大人が見て面白かったんですよね。

その後二郎さんと相方の欽ちゃんとは別の道を歩んだようです。
その二郎さんが03年脳梗塞で倒れたそうです。
リハビリ後の舞台映像を見ましたが「昔のテンポの速い会話と反応」が見られないのが残年でした。
それでも周りが敬意を払って(と思うのですが)舞台で余り動きの無いそしてセリフも少ない役柄を勤めているのを知りました。
最後には映像だけが舞台に流れる(かなり無理目の)演出もありました。浜爺は結構体調が悪いのでないかと気にはなっていました。

さてそんな二郎さんですが昨年8月に2度目?の発作で転倒しかも利き手の右手を骨折とか。
本人も介護する側も大変な日々だったと思います。
昭和が又一つ消えてゆきました。
二郎さん 安らかにお休み下さい。    合掌


時事通信:
お笑いコンビ「コント55号」で知られるコメディアンで俳優の坂上二郎さんが10日午前9時40分、脳梗塞のため栃木県那須塩原市の病院で死去した。76歳だった。鹿児島市出身。葬儀は近親者で行う。

 中学校を卒業後、鹿児島市内の百貨店に勤務したが、1953年にNHKのど自慢で優勝したのを機に歌手を目指して上京。その後、獅子てんや・瀬戸わんやの門下になり、浅草の劇場でコメディアンとして活躍。そこで、萩本欽一さんと知り合い、66年にコンビを結成した。コンビ名は、王貞治選手の本塁打新記録55本にあやかってコント55号にした。

 テレビ出演の際、テレビカメラの枠を無視して跳ね回り、それまでになかったダイナミックなコントを展開し、一躍お茶の間の人気者になった。中でも「飛びます、飛びます」のフレーズは有名。「お昼のゴールデンショー」や「コント55号のなんでそうなるの?」「ぴったしカン・カン」などのバラエティー番組のほか、喜劇映画「コント55号」シリーズで人気を集め、一時代を築いた。

 70年代に入ってからは俳優として本格的に活動を始め、ドラマ「夜明けの刑事」シリーズでは、主人公の人情刑事を好演。映画「天城越え」(三村晴彦監督)、「御法度」(大島渚監督)などに出演したほか、舞台でも活躍した。

 2003年にゴルフ場で脳梗塞の発作を起こしたが、リハビリで舞台に復帰。萩本さんと共演するまで回復したが、昨年8月に再び自宅で倒れ、入院していた。 
(引用終わり)
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする